無能デカ 2-1

 非番の日、急いで来て。とだけのぶっきらぼうなメッセージをマヤコ先輩から受信した。
 取り掛かっている案件についての進捗があったのだろうか。初秋にしては蒸し暑さの残る日に、呼び出された繁華街へと足を向ける。
 到着した旨を伝えると程なくいつものところへ呼び出された。百貨店一階、化粧品売り場だ。
 艶やかな美容部員が取り仕切るコスメの海で、オレンジと黒のストライプのジャケットに白いTシャツ、スキニージーンズの女性が一人。間違いなく先輩だろう。近づいていくと、向こうもこちらに気づいた様子だ。会釈をする。
「おつかれさまです」
「おお、猫ちゃん。アリガトリー」
「いえ、で、用事は」
「チークはどれがいいかな?」
先輩が指差す先には一番から十五番までの番号が振られた綺麗なチークが並んでいた。
「先輩あのですね」
「待って、ここでは」と指を僕に向けて制すマヤコ先輩。焦りと苛立ちで反論のスイッチが入りそうになるも抑える。ここ数ヶ月でそれに何の意味も無いことは学んだ。
一拍置いて、わかりました。と返事をする。事件のためだ。しかたない。
無能部に染まり始めている自分が少し不甲斐ない。
対象となるチークを見渡し、逡巡の後先輩へと言葉をかける。
「ぼくの感覚では人の肌というものは果物に似ていると思います。食べたくなるようなツヤを念頭に置きました。
また、チークは濃淡が大事とも考えます。
桃や林檎だって綺麗な階調があります。
食べたくなるような色づきはその濃淡で作られるのでしょう。パレットの中で物語が作られているかを注視しました。
更に先輩のことを考えました。
一言ではまとめきれません。アホ……アホですよね。でも鋭く誠実で真摯な心の部分もあると思いますです。少なくとも、何かが真っ直ぐ立っておられるとおもいます。この凛としたブランドはまさに、お似合いかとは思うんです。無邪気な美しさ。一番か十番のどちらかでいかがでしょう」
「おお、さすが、無能!」
「先輩、無能は勘弁してもらって」
「だってだって無犯罪証明能力開発部ってもの凄い言いづらいよ」
「せめて無証とか」
「それに名刺にも書いてあるよ」
指摘事項について確認するため懐から名刺を取り出すと、きっちり無能部 猫屋敷アオイとの記載があった。真実だが、あんまりだ。
「そんな事より、チークを選んだならもう帰っていいよ」
いつのまにか十番のチークの購入を済ませた先輩が外へ向かいながら僕に告げてきた。まだ肝心の話ができていない。百貨店の自動扉を抜けた後、懐から洋モクを取り出し公共喫煙所へと向かう先輩の背を追う。
「いえ、あのですね。生体解剖事件について」
「えっ!ダメダメ!それ血が出る話でしょ」
「いえあの、事件は大体血が出ますよ」
「こわいよ、だめだよね。血は流れないに限るわね。猫ちゃん」喫煙所に到着後、慣れた手つきで紫煙をうまそうに喰いながらぼんやりとした笑顔でヒッピーじみたことを語るこれが僕の刑事の先輩だ。涙が出る。憂鬱な非番。
「しかしこの事件はその猟奇性もあって、報道被害等も発生する恐れがあり、我々としても」
「まあどうせ変な宗教じゃないの。ネットで見たよ」
「先輩それはあまりにも」
「ほら、宗教は人類サイコの無線LANとも言うじゃない。」
「だとしても、だとしてもですよ我々は警察の警察といいますか」
「わかったわかった。事件を解決したら、事件の話しないのね」
「それは……まあ」
「明日、夜、ここに来て」
にべもなく洋モクの煙を吐き出しながら、住所の書かれた紙片を衣嚢から差し出す先輩。
紙片を受け取りをしたものの、明日は何か予定があったような……。ああ、そうだ。
「先輩、明日は部長から呼び出しがあって」
「いいってば、おじいちゃんにはわたしから断っておくからさ」
「そうですか、それならまぁ。……ところでこの……店、ですか?ここで一体何が?」
「句会」
「はい?」
「俳句の発表会だよ」まだ長い煙草を不味そうに揉み消す先輩。
「猫ちゃんも三首作って、今日中にわたしに連絡してね。それでは、バイバイです!」
こちらの返答を待たず、ターミナル駅へと先輩は駆けていく。
いつも通りと言えばいつも通りだが、毎回振り回されるスピードが加速している。とりあえず、僕も煙草を吸うことにした。国産煙草を取り出し、深く吸う。鼻腔に、先輩の洋モクと髪の匂いが絡みつくのを感じた。

短歌と掌編小説と俳句を書く