無能デカ 第一話

「彫think」という看板の店の前に先輩といる。

黒字に金抜きのロゴで、ちょっと刺々しいフォントの看板。

少し大きめな、英国あたりの古アパートに据えられているようなドアの取手。
入り口は全体的に擦りガラスで外部からは閲覧できないようになっている。
うっすらと観葉植物とアクアリウムのようなものが見える。
美容室と同じように、入り口にちょっとした待合スペースがあり、奥が施術を行う場所だろうか。
初めて触れ合う刺青文化に、若干の高揚を覚えるも、テンションを抑える。今日は仕事で来ているのだ。
手帳を取り出し、店主の情報や事件の概要を復習。さて先輩の様子はどうかなと後ろを振り向くと目を大きく見開いていた。

「どうされたのですか」
「パチパチ」
「意味がわからない」
「昨日ね、目が大きいねって褒められたから、どうかな」
「目を大きくする体操ですか」
「きみ、きみ。あんまり結論を急ぐなよ。会話は楽しむものだよ」
「んまぁ、たしかに」
とは言ったものの、納得はできていない。が、この先輩はある程度遊んであげないと仕事をしないことはこの数日で学んだ。
「パチパチ」
「目を大きくする擬音ですね」
「パチパチ」
「よくできました、という意味ですね」
「パチパチ」
「駄菓子でありましたね」
「それは知らない。男の子のお菓子じゃない。わたし、知らない」
「会話を楽しむと言った割には引き際」

おれは二週間ほど前に中途採用の高度技術犯罪捜査官として、この部署に配属された
配属先はこの先輩と上司が一人というなんとも閑散とした部署だった。
部署名は「無犯罪証明能力開発部」
通称「無能部」だ。
「無能部」はもちろん署内で揶揄されている隠語である。
無能部の主な業務は、無犯罪証明、つまりは国家権力である捜査機関においての不備を補完し、誤認によるというお題目だが
実際のところはただの追い出し部屋である。
配属間もなく自身の所属をこんな風に紹介できてしまうのは、些か悲しいものがあるが致し方なし。
上司と先輩にまったくやる気がないのである。
今日は珍しく外回りだが、昨日の始業直後なんて、

「先輩、今日はなにかやることありますか」
「なにー。どうしたのやる気出して。そうだな、折句でもしようか」
「オリク?なんですかそれは専門用語ですか。」
「ううん。言葉遊び。そうね、私の名前、マヤコで折り句するとさ、負けないぞ、やめてたまるか、この仕事ってなもんよ」
「それは捜査となんの関係があるのですか」
「え……ないよ……」
「なんで関係ない話をしたんですか」
「だって、したかったんだもん……」
「マヤコさん。あのですね」
「今マヤコさんって呼んだ?」
「あ、いえ、すみません」
「いいの。やっと呼んでくれたね。きらーん」

満面の笑みを作る先輩。左耳にはパンクバンド顔負けのゴツいピアスがずらりと並ぶ。
目は大きく二重、鼻筋は高く唇はスラッとている。
東洋人の不思議な色気を携えた先輩ではあるが、まったく仕事をしない。
趣味は詩、俳句、短歌。苦手なものは血。好きなものはカレー、寿司。仕事をしないこと。
採用はコネ。上司は実祖父。奥の椅子に座っている部長だ。
「きらーんじゃないですよ。ちょっと、部長。何か言ってください」
「お爺ちゃんは今忙しいよ」
先輩の言葉通り、こちらに全く目もくれない部長。真剣な面持ちでディスプレイを睨んでいる。
還暦前の叩き上げといった風貌。少し後ろに流した総白髪。目は鷲のように切れ長。痩せぎすで皺の数に歴戦の力を感じる。
すこしだけ生えた顎髭は、洒落っ気だろうか。ロマンスグレーの醸し出し静謐さに、身が引き締まる。
「すみません、部長。気づかないで。何かお手伝いすることがあれば……」
部長の隣へと立つと、そのディスプレイにはヤフーニュースが表示されていた。
「なにをしているんですか!」
「なにって……見ればわかるだろう」と、部長
「いや、わかりませんよ」
「まさか、ヤフーを知らんのか……ここはソフトバンクグループでな」
「そこじゃないです。仕事ですかこれは」
「まぁ見なさい」

部長に促され、再度画面を観ると、損益 +611.31の文字。
「な!増えているんだよ!順調に!」
「なんの話ですか!これ為替の画面でしょう!」
「そう!あ、これドルだからね」
「その見栄はなんですか」と合いの手を入れていると、お爺ちゃんはね、と先輩が横から入ってくる。
「うちの部の予算を増やしてくれているんだよ」
「増やすってどういうことですか、そんなの法規に違反しているでしょう」
「だってしょうがないじゃない。全然もらってないんだから」
「いくらですか」
「十万」
「まさか」
「そう、年間」
「そんな」
「韻が踏めちゃうよ。年間に十万の予算、練炭で勇敢な登山」
「何もできないじゃないですか」
「何もないところから作るのが創作だよ」
「捜索がしたいんです」
ジリリ、と部長の机上にある内線がなる。
この時代にダイヤル式のショッキングピンクの電話だ。
よく見れば部長が使用している端末も数世代前の型落ち機。
半分壊れているのか、野戦病院の通信兵さながらの大声で部長が大きな相づちを打っている。
「はい、わかりました。ではすぐに」と最後に告げ部長は受話器をおいた。
無駄に深刻な面持ちで部長がこちらに向かって一言
「仕事の話していいかな?」
「業務時間中は、仕事の話をするものですよ」とおれ
「ええ、怖いなぁ。人が死んでるやつは辞めてね、おじいちゃん」と先輩
「どうやら、彫ったら死ぬという噂の刺青屋があるようなんだ」

「彫think」の前の道路は古いアスファルトで、凹凸が目立つように感じた。

外回りには生憎の曇天。

人の生き死にでの外回りでピーカン晴れも何もないかとも思う。

早いところ入店したい。先輩はさっきから気圧が変で調子が悪いと言いながらバッグを漁っている。

「もうすぐ春だねぇ。今日は暑いねぇ」

「さっきから何をしているんですか早く入りましょうよ」

「いや妙に暑いと思ってたらさ。これ、鞄。ほら。携帯電話のバッテリー膨らんですごい熱い。ねぇ触って。わたしとっても熱い」

「うるさいですよ」

僕の合いの手を意に介さずびっくりした面持ちでマヤコさんが鞄からなにかを取り出す。

「見て、焼肉屋でもらったスースーするやつ。ちょっと卑猥じゃない」

「そうですか」

「今、ちらっと見たよね。スースーするやつの名前ってなんだっけ?」

「……」

「スースー」

「……」

「なんで黙るの」

「心の中でそうだねって言いました」

「質問にそうだねって」

「そうですね」

「生意気なやつだな君は昔から」

「二週間前に初めて会いましたよ」

「スースー」

「そうやって話の落ちを僕にばかり持たせないでください」

「早く入るよ」

先輩は言うが早いか扉を押し開ける。

濃い抹茶のような香料の匂いで満たされた室内。壁一面は赤坂あたりの企業にありそうなホワイトボード。そのボードには落書きや小劇場演劇のチラシ、果や自主制作のCDなんかが所狭しと貼り付けられている。

すこし開かれた奥の扉には施術台だろうか、黒い長椅子のようなものが見える。

外からガラス越し見えていたとおり、この場所が待合室のようだ。

安っぽい壁面とは裏腹に待合室の中央には革張りの黒い大きなソファが対面で二脚、間には深い色味を持った木目のテーブルが置かれている。

手前側のソファに目をやる。重厚感のある革張り。

普段はここにお客さんが座し、打ち合わせが行われるのだろうか。

そのまま目線を奥側のソファへ。店主らしき男がどっしりと座り込みこちらをねめつけている。何故かスルメを咥えながら。

「……いらっしゃい」

警察手帳を懐から取り出し、男に話しかける。

「どうも。事前にご連絡させていただいておりましたが、わたくし、鬼洗い署の猫屋敷です。あなたが……ええと、店主のシノさんでよろしいですか」

「もう、話すことなんてないんだけどね」

とことん無愛想な店主。ドレッドヘアー、フレームの太い黒縁メガネ。七分丈の袖から覗く和彫り。スルメはこちらへの反感を強めるための小道具なのだろうか。一本だけ咥えている。咀嚼音が妙に煩い。

「シノさん。そうは言わずに、我々はシノさんの味方なんですから」

「刑事は刑事なんだろう」

「刑事と言っても、わたしたちは無犯罪証明という観点から捜査を行っていまして。そうですね、わかりやすく言えば、容疑者。いえ関連する方々にね、公僕である警察が、不正といいますか、まぁ無理やりな捜査を行ってないか、そういったところから」

遮るように、店主が一言。

「容疑者ってなんだよ。取り消せよ」

「いえだから、関連する方々と」

「取り消せって言ってんだよ」

困った。こうも敵愾心が強いと話を聞くどころでは無い。

ふとマヤコさんを振り返ると、端の方にあるアクアリウムのメダカに餌をやりながら新宿系の唄を歌っていた。

「ちょっと」

「ん。もう終わったの」

「いやそうじゃなくて」

「今日の顔面テーマは蜜柑なんだよ」

「コスメの話は後にして」

ダン、と威圧的な音を出して「シノ」とやらの店主が炭酸飲料のペットボトルを一本テーブルに置いた。

「それ飲んだら、帰ってくれ」

なぜ、一本。と思うやいなやマヤコさんが不機嫌そうな顔で前に出た。

一瞬の間。店主がたじろいでいる雰囲気を感じる。仕事をしないで短歌ばかり作っている先輩が遂に動き出すのか。

先輩は左耳のピアスで指で弄びながら切り出した。

「わたし噛まれるの好きでね、噛まれやすいように切り取り線みたいなタトゥーでも入れようかと」

「……なんだよあんた」

「刺青屋さんでは刺青の話をするでしょう」

「……デザインは」

「だから切り取り線だって。聞いてるの」

「刑事さんなのに良いのかい。」

「彫らないやつでお願い」

「うちは彫るのが仕事だから」

「自殺した二人も、こうやってカウンセリングしたの」

「そう。別の刑事さんにも言ったけど、うちではカウンセリングを受けただけ。

遺体にちょっと刺青があったってだけで、血相変えて問い合わせられても困るよ。別の店で入れたんじゃないの。俺、アリバイあるの。知っているでしょ」

玄関のアクアリウムからドボンと音。空気が変わる。変色が始まっている。

先輩はその大きな目で店主をジッと見つめている。

先程まで左耳のピアスを触っていた手は、組まれた足の上で一定のリズムで動かされいた。

妙に長く感じる間だ。先輩が部屋の中の空気を塗り替えきっている。

この静止した色の中で、先輩の指先にある群青に黄色の星があしらわれたネイルだけが忙しく動き回っていた。

「そうですか。うーん、今かなり悩みましたが。おじいちゃんに許可をもらっていないので、今日はこのへんで。お先に失礼します」

言うやいなや先輩は炭酸飲料の蓋を開け、一息ですべて飲み干した。手は腰に。

「ごちそうさまでした!」

マヤコ先輩はすっきりとした顔でそう告げ表へ出る。

ぼくはというとロクに台詞も無いまま、その後を急いでついていくことしかできなかった。

店を出る時、入口のドアに付けられた鈴がシャランとなった。入店時には気づかなかった。緊張していたのだろうか。

「ちょっとマヤコさん」

「なあに?」

「いや店出ちゃってどうするんですか」

「わたし面食いだからさ」

「どういうことですか」

「いや、あのツラでシノってさ。耐えられないよ」

「事件のためなんだから耐えてくださいよ」

「事件じゃないよ。もう。」

「え、どういうことですか」

「うふふ、教えてほしいのかな。きみはSAQQUというのを知っているかね、猫ちゃん」

「いえ、存じ上げませんが」

「そうか、じゃあちょっと買ってみよう。捜査はそこからだよ。いいね、今約束して、買ってね」

「はぁ、まぁ」

「よしじゃあ行こう。西武が近い」

「ちょっと待ってください。なんですかサックって」

「ファンデ、新色」

「いやですよなんですかそれ」

「コスメの話は後にしてと言ったよね。それに約束を反故にするような男なのかい君は。仕事もできやしないのに」

「……はい」

「おや、珍しい」

「僕は、新人ですから」

「仕事ができないことを新人というワードでうまく逃げたね」

「ほんっとあのね、先輩じゃなかったら噛み付いてますよ」

「いいよ」

「え」

「いいよ、わたし、好きだから」

一陣の風が吹く。先輩は不思議な笑顔でニコニコとこちらを見ている。

確かに今日は暑い。新しいファンデーションが必要とは思えないほど、先輩の肌は色づいて水果のようだった。

「いいよ、わたし、板橋宿のクレオパトラと呼ばれているから」

「聞いてないですよ」

「だからさぁ、一弦は絶対切れちゃいけない時に切れるのよ」

「……」

「ねぇ、聞いているの。猫ちゃん」

「聞いていますよ」

「返事」

「はい」

「君はいつもそうなのかな、仕事中だよ。もっとおしゃべりしてよ」

「仕事中ですから、喋らないのですよ」

「ブーブー」

カチャーンとコーヒーカップにシュガースティックを叩きつける先輩。

ねぇ、砂糖なのに硬い音するの不思議でしょう、ほらほうら。とニマニマしながらこっちを見つめてくる。もう合いの手を入れるのも疲れた。

「彫think」の店主であるシノとの問答を終え、最寄りにあったデパートで化粧用品を買い込んだ先輩はその後、さも当然に直帰します!と元気よく叫んだので、慌てて喫茶店に連れ込んだ。先ほどの「もう、事件じゃない」という言葉の意味を確かめるためだ。

駅前に居を構えるこの喫茶店は、風俗街にもほど近くガラの悪い客が多く騒がしい。叩けば埃が出そうな輩ばかりだが、それは目の前の先輩にも言える気がした。

硬音の砂糖に飽きたのか、目を大きく見開く練習をしている先輩に切り出す。

「先ほどの、もう事件じゃないという話なんですが」

「え、何。仕事の話するの?好きだねぇ。わたしのこと」

「いったい、どういう意味なんですか。真相がわかったということですか」

「……さっきの刺青屋で出されたジュース。見たことある?」

「あの炭酸ですか。いえ、あまり見かけないデザインでしたが」

「じゃあ△△製薬の総合感冒薬についての報道は知っている?」

「たしか、異常行動を引き起こす恐れがある、というものでしたね。突如飛び降りたり、走り回ったり」

「そう、偉い。いい子。あの炭酸飲料はね、猫ちゃんもどう表現していいかわかんなくてメタ的に炭酸飲料と述べるにとどまったやつは、じつはレゲエやラップの界隈で大流行りしているのよ」

「有名な、アーティストが愛飲しているとかですか」

「いんや、バッドトリップを抑制する効果があるの」

「……脱法ドラッグの一種のようなものですか」

「んまぁ、そんな怖い顔しないで。音楽なんてドラッグみたいなものじゃない。その一次生産者達が薬物に手を出したって私は不思議じゃないよ。ま、それはさておき、結論からいうと、先の△△製薬の総合感冒薬と一緒にあのジュースを服用するとさ、凄いトリップだったのよジッサイ」

最後の方は、あ、口が滑ったなという顔をした先輩。急にシュガースティックの袋を開け、そこから裁縫針を取り出し。ああ!わたしの命を狙っている輩がわたしの飲み物に針を混入しようと!とのたうちまわっている。

「……いいですから。続けてください」

「あ、そう。やめてね。警察には。言わないでね。……で、続きなんだけどもうわたしも時間の感覚がおかしくてさ、三時間ぐらい経ったかなと思うと五分ぐらいだったりさ。身体中が洗浄されて、一本柱が通った感覚というか、わたし。時の番人?みたいな。ものものすごい万能感で、気づいたら窓辺からジャンプしてたよ。よかったよ、ゴミの日でさぁ。家に戻ったら、やる予定だった用法用量の三倍ぐらいをシててさ。バッドトリップを抑制するということは、快感を伸ばし続けるんだなぁとおもったよ」

本当にこの人は公民なのだろうか。ちょっとした失敗談みたいな体で話をしているが。どうあがいても悪行だ。でも、なんとなく手繰り寄せたいモノがみえてきた。

「たしかに、自殺した二人は飛び降りですが。どうやって店主がそんな状態を。」

「猫ちゃん、これ見て」

急に肩をはだけだす、先輩。慌てて静止しようとするも、現れた肌に残る文様に手が止まる。

「刺青ですか」

「うーんちょっと違うかな、ヘナタトゥーって言ってね。南アジアのあたりの文化でさ。特殊なペーストにいろんな粉を混ぜて、数日で消える染料で書く、ボディーアートみたいなものでさ。最近は実際に入れ墨をいれるまえに、こういったもので試す人もいるみたいよ」

「カウンセリングの時とかに、ですか」

「そうそう。そんな感じ。でもさぁ、怖いよねやっぱ。わたしのシュガーステッィクみたいに。何が入っているかわかんないじゃない。店のモノなんてさ」

「あの、もしかして」

「あ。オマケなんだけどさっきのチヒロ式。あ、あのジュースと一緒に△△製薬の風邪薬をキめるのはチヒロ式って言うんだけどね。しかしまぁ、副作用がすごいのよ、口臭がひどくなるの。カルキ臭というか栗の花というか。それこそ、スルメでも食べないとね。」

「あ、あの!調査をつづけ、」

と言葉を紡ごうとすると、先輩は幕末に命を散らせた人斬りのような居合抜きで、裁縫針をこちらに向けてきた。

「わたしたちは、無犯罪証明能力開発部」

そう言って、さらに語気を強める先輩。

「わたしたちの仕事は、無犯罪証明をすること。間違えないで」

針の鋭い先端が僕の右目を向いている。たとえ今この喫茶店で火災が発生しても、逃げる前にまず刺すから。そんな強い意志を感じる。

数分が何時間にも引き延ばされるような感覚。目の前の時の番人が針を持つその手の爪に踊る星。大きな先輩の目。

「猫ちゃん」

「はい!」

「お会計、よろしくです!本日は直帰いたします!」

「あ、ちょっとマヤコさん」

「うん!うん!」

何が「うん」なのか全くわからないが、勢いでそのまま帰られてしまった。

この後どうすればいいのか判断に悩む。

とりあえず一つ言えることとして、ヘナタトゥーを入れてピアスだらけの左耳で脱法ドラッグに詳しい先輩は、きっちり今日の仕事を済ませて帰っていった。

短歌と掌編小説と俳句を書く