血液

「レコ発!また不発!どう勝つ?抑圧!仕事はバイト、毎日納豆、ノーモア野口ワンモア諭吉ノーモア野口ワンモア諭吉、友達出世!親族うるせぇ!売るぜCD!血液型AB!職場ではアイアン、実家ではジャイアン、そう、俺の名は鉄」  

躁、な私の彼氏の名は鉄、売れないバンドマン(Gt)。彼の背中には警視庁、というタトゥーがある。

彼曰く、俺をフった女が何処でも俺を思い出すように、との事だけど、私の出身は青森県であるから全く意味はない。

フラれたぐらいで雪深き里まで帰郷する気は更々ないけど。

ひとしきり言葉をかなぐり捨てた後、鉄っちゃんはライブハウスの床でクロールをしている。

あ、笑いが取れないから、今度は転んだ後に2秒で置き上がる特技をしている(これが意外と難しい)  

「ねぇ、大丈夫?帰れるの?」  

「スッ」

屁なのか返事なのか分からない音が返ってきた。

森山未來と松田龍平を足して2で割ったような屁だ。返事か。

私はそれを先に帰っていいよ、と判断した。

我が家はここから歩いて20分ぐらいだ。

酔い醒ましにはちょうどよい。と、踵を返した瞬間、  

「呆れてんのかい」

 香ばしい鶏肉を差し出す手の甲の体毛が相変わらず気になる。

どう見てもヤリ目 だとは思うが、一度も誘われたことが無いライブハウスのジャークチキン売りに話かけられる。  

「ジャークチキンは漁師のメシだ、また、奴隷のメシだ。遠い旅、辛い日常、知恵から産まれたメシだ。俺は、お前に元気を出してほしいんだ」

前職がハワイアンセンターの事務だった男に言われても女性ホルモンは全然分泌されない。

ていうか私、女優志望だし…一応。

シリコンブラがかゆい。

奴隷でも漁師でも、なんでも無いし。

じゃあ何なの?

鉄っちゃんはツタヤのカード作る時に ミュージシャンって書いてたけど、俳優志望ってなんて書くの舞台女優とでも書けばいいのか、何が、トライアウトだ。

あのテレビ、嫌な気分になるよ。

私には。私にはね。

「ありがとう」  

それだけ発して、鶏肉を口に運びながら、気圧差のあるライブハウスのドアを開いた。

金は鉄っちゃんが払うだろう。

一緒に住んでるから、払うもクソも無いけども。

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俺は何なんだ、元は鶏だ、それは間違いない。

ただ、屠殺され精肉されマルエツに並んだ後、香辛料を擦り込まれ燻されジャークとなって意識を持つ俺は何なんだ?  

まぁ良い、短い命だ、ここは暗い、けど苦しくはない。

岩盤浴ってのはこんなだろう。胃液、意外と悪くないじゃない。  

「何も買わない、ってのは通らないねぇ」  

「だから間違って、入ってしまって」  

「そう言うなよ、ここは願いが叶う店なんだからさ」

 おいおい、家にまっすぐ帰るんじゃなかったのか、俺の消化を、安寧の我が家で迎えてくれるんじゃ、なんだ、糞、見えないのがこんなに辛いなんて、コイツ…たしかミヤコとか言ったな、ああ、だめだ、気持ち良い。溶けて一つになる。もうすぐ俺がミヤコになる。なら信じるしかない。買うな、変なものは買うな。隣の鶏は、新しい飼料で死んだぞ、実績が、無いものは…買うな…。

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腹が鳴った。さっき食べた塩辛いばかりのジャークチキンとやらが消化されている。  

鉄っちゃんのバンドの物販の売り子さんに挨拶しようと、非常階段をうんせと上り扉を開けたら、なぜだろう、古着屋と海外の空港を混ぜたようなニオイのする見たこともない煤けた雑貨屋だった。

「だから、間違えただけって」  

「サービス料ってのがあるからねぇ、あんたの為に色々とこの店今フル稼働させちゃったからさ」  

「どう見ても一人でやってますけど」

「皆照れ屋だからねぇ…ちなみに、フツーは間違えないよ。願い叶えますなんて看板。フツーの人は」

「まぁ…うーん…このライブハウス、いつもは上が物販なんだけど」

「知らないよそんなの、まぁいいじゃないか、聞いてきなよ、良い品が入ってるんだ、女優さん。これも縁だ、別嬪さん」  

「…はぁ、なんですか」

「むかーしむかし、の、銀幕女優の血液」

まいった。嫌な街だ。下北沢。中途半端な詐欺っぽさがある。

嫌な店だ。私の好きな猫の人形がこれでもかと並んでいる。

しかも、全部かわいい。

奥の方には猫のTシャツみたいのも売っているぞ。

でもこれ、絡まれてるよね。

さてさて、財布の中には3000円。

スタジオジブリで作画したみたいな婆さん。

でも、これってちょっとだけ、物語の主人公みたい。

「血液って売っちゃ駄目なんじゃ」

「まぁまぁ、そこは夢の浮き橋。明日も分からん商売、話だけでも聞いていきな」  

「ていうかこれ、どうするんですか?」

「打つんだよ」

「打つ?」  

「打つんだよ、血液なんて眺めてもしょうがないだろう。あんたの腕にプスッと打ってみな、栄養満点、滋養強壮、演技力向上、さぁさ、どうだ、二千円。ん?わかった!腹切ったつもりで千円!」  

その瞬間、並んだ人形たちの目が、LEDかなんか知らんが、一斉に光った。

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目がチカチカする。始まった。ババアの啖呵売。

今は猫の人形だが俺も昔同じにようにあの啖呵で。あのウリ文句で…なんだっけ。

綿いっぱい思い出そうとしても、もう殆ど思い出せない。口は縫い付けられている。

ズラリと並んだ、我々猫の人形。天井からぶら下がった暖かい色のランプ。

新宿の南口の露天商が売ってそうなチープなアクセサリーと血液だけが売り物の店。

どうみても幸せなんか手に入らない。遠回りの極地。

嗚呼、ババアが奥から注射器を持ってきた。綿に血はない、姉ちゃん。いいのかい

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「またおいで、注射器、二つまけとくよ。足りるだろ」

「…どうも」

「忠告」

「…なんですか」

「いいかい、それを打ったらあんたはもう女優だ。他の血はいらない」

「…」

あの婆さんは、眺めてもしょうがないって言ってたけど、電燈に透かしてみたら、妙にきれいに見えるぞ、銀幕女優。

店の扉を開け放った瞬間「ニャオン」と猫の声が聞こえた。店の外からなのか、中からなのか。

気づけば酔いは冷めて、階段の下に鉄っちゃんが転がって寝ていた。

この、酔っぱらい。打っちまうぞ。

ミヤコの右手には、二回分の銀幕女優の血液。

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「で、打ったの?」  

「打った」  

「はぁ…。それで女優になれるわけ無いでしょ。」  

「他の血液も売ってたけど、別のを打つと効果なくなっちゃうんだってこれで私は女優になるしかなくなった!マイも打てば?ストラディバリウスの血液とか」

「あんたさぁ」

「まーまー店舗構えて売血なんて普通無理でしょ!色も白っぽいし脱法の冷たい系かな?ってところよゲロするとね。実際そんな感じだったし。売り方もそれぽいよね。」

「あんた本当に」

「こうやって、ちゃんと報告することで、私になにかあったらマイが助けてくれる!ああ、ごめんごめん、怒るな怒るな。でもほんと大丈夫だよ。元気いっぱい。それよか、顔、むくんない?仕事、どうなの?夜勤だっけ」

「うん、夜勤…。本当に何かあったら言ってよ。心配。あーゴメン、だめだ、眠い。家に帰ったら日本昔ばなしやってるし、寝る前に朝のニュースで恋愛運最高だし。最低だよ」

「恋愛は心の性病だなんて言ってたのに」

「恋愛と言うか…なんだろうもう全部」

「昇進したって言ってたもんね、SEって、大変なんでしょ」

「そうだねぇ、お金は増えたけどなぁ」

「夜勤明けですっごい申し訳無いんだけど、今日ゲネがあるんだ、最近よく褒められるの、お芝居見に来ない?」

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 その日に見た、ミヤコは、本当にキレイで、輝いていて、陳腐だけど私の魂が、揺れた。

仕事なんてしている場合じゃない。

私も何かしないと、そんなフレーズが頭に浮かぶぐらいには。揺れたんだ。

気の合う女友達との一日、しかも心ときめくような彼女の姿を観た。

そんな日が一日あるだけで、辛い夜勤でも少しは心が和らぐ。

ゲネを見た日、迷わずその場で本番のチケットも取り置きしてもらった。  

当然、本番のミヤコは、ゲネよりもっと面白かった。

私は演劇のことはよくわからないけど(と、言うとミヤコはそんなの関係ないといつも言う)

ミヤコが演じていた役の背景だったり、お話が、実際にミヤコの身にあった事の様に感じた。  

ミヤコとは大学からの友達で、役者になりたいって酔う度、吐く度言っていた。 

二人で行った屋久島旅行ですごい親切なおじさんに街を案内してもらったら

実はタカリのホームレスだった時も、演技に活かせる!とベッドの上で怒りながら納得していた。

AB型で気の合う子、初めてかも。  

役者になるという事がのがどういう事なのかはわからないけど、終演後の拍手を笑顔で迎え撃つミヤコは、十分に立派な女優として、私の目には映った。

悔しい、悔しかったよ、あまりにキレイなんだもの、と部下に話すと、私がそんな楽しそうに話す姿初めて見ました、素敵ですねと言われた。  

その子、チームリーダーなりたての私との関係はそれまでうまくいってなかったんだ。  

ミヤコ、あんたがしたことが、私の部下にまで。なんて。

こうなると、もうファンだ。

急なシステム障害、突然の仕様変更、全く出ない残業代。なんのその。

ミヤコの舞台を観に行く度、なぜだか私も元気をもらう。

学生時代に所属していたオーケストラに、久しぶりに乗ることにした。

実家に送ったヴァイオリン、持ってこないとな。  

でも、大丈夫だろうか。何だか、この前見たあの娘は辛そうだった。

今が頑張り時って、返信が来たけど。本当に大丈夫かな。

辛そうなのは、あれかな。今度の劇の演出家と、一回しちゃったからかな。
 
その時は二人で、あの人ゲイじゃないんだ、なんて笑ってたけど、彼氏…たしか鉄っちゃん。いるもんね。

笑ったの、ミスったかな…。今度、一緒に温泉でも行こうか。ミヤコ。送信。

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ミヤコの携帯が鳴っている、この喧嘩の真っ最中に手にとるのか。

電話だったら取るか。

なんせ女優だからな、一緒に住んでるけど、バンドバンドバイトバンドのイニシャルBの俺とは違うもんな。  

「煙草」  

それだけ告げ、ベランダに出る。

室外機から吹きつける温風と、七月の夏の夜の熱気で、体にこびりつくような暑さを感じる。  

ポケットからわかばを取り出し、百円ライターで点火。

わかばの良い所は、安さに加えて一本一本味が変わるところにある。

工事現場のバイトで、親方が葉っぱクズの寄せ集めだから、味にブレがあると教えてくれた。たまに、スーパーレアな味わいがあるんだって。

本当かどうかは分からないけど、何だかそれがとても気に入って、今でもずっと吸っている。

ベランダ籠もった熱気とは裏腹に、怒りの熱が低下していくのを感じる。

部屋着として愛用しているアイアンメイデンのTシャツ。

アイアン、自分の名前と同じ鉄が入ってるところが気に入っている。

左手首に入れたIの文字のタトゥー。

ギターのネックを強く握る度に観客に見せ付けてやれる。

年をとって皮膚が垂れ下がってもIならきっと大丈夫。気に入っている。

一部屋とキッチンダイニングしかない狭い家だけど、下北沢駅まで歩いて二十分ぐらい。悪くない。

バンドの状況、気に入らない。

ミヤコの腕の注射痕、気に入らない。  

レコード会社の人いわく、スタジオは貸してあげる、流通にも乗せてあげる、1ヶ月の売上で、今後を判断する。

売上はスタジオ代にペイするから。  

ミヤコいわく、元気が出る薬って話。でも、注射の痕は、一つや二つじゃない。

涙袋かと思ったら目の隈がひどいだけだ。  

俺達はライヴ・バンドだろ。ライヴをそのまま音源にすれば良いじゃないか。1日100万のスタジオで照れながら弾くギターより、何もかも洗ってないようか甘い味の生ビールを出すライブハウスで掻き鳴らすギターの方が、価値があるんじゃないのか。

今の俺は命をもたもた、ぼんやり燃やし続けている気がする。  

ミヤコはアレを常用し始めてから、トントン拍子ででかいステージにいっている。

お互いガラガラの客席の芝居やライブを見に行っていた頃とはもう違う、今度は池袋のでかい劇場だ。

私鉄沿線じゃないんだ。

いや実際、俺も駅前の芝居小屋でアイツを観た時…畜生。

今のミヤコは、駆け足で、くっきりとと燃やし続けている。  

灰皿代わりにしているアサヒスーパードライの空き缶に吸い殻を捨てる。

普段は気に入っているこの街の空気が、今は瘴気の塊みたいに感じる。  

急性アルコール中毒になって、井の頭線のホームから転落して駅員に変な誓約書書かされた時、ミヤコは泣いていた。

鉄っちゃんと私は二人で新しい一人なんだよって。

今はどうだろう。なんであんなにキレてしまったんだろう。

でも、ミヤコも悪いだろ、なんだよ、鉄っちゃんが今日出来なかった事リストって。

つうか出来ないことにうんこ流してないって書いてあったけど。そのまま残すなよ。

俺今日、寝坊してたじゃん。しょうがないじゃん。流せよ。うんこは。  

ふざけんな、何でうんこで俺はこんなにキレてんたよ。

なんでそんな先行っちゃうんだよ。俺のCD、もう少しでリリースなんだよ、もうちょっと待ってくれよ。

ベランダから室内に戻り、そのまま玄関へと足を向ける。

「鉄っちゃん、どこ行くの?まだ、怒ってる?」

「煙草買う。あと来週のミーティング」

「私の公演初日と、同じだっけ、リリースパーティー。残念だな、観てほしいな」

「…」  

「私も一緒に出ようかな、買わなきゃ、薬」

「方向違うから」

思ったより強くドアを閉めてしまった。

もう駄目かもな。ていうか、方向同じか。

あいつ、この前のライブハウスの上で買ったって言ってたもんな。

まぁ、いいや、もうなるようになるだろ。  

くたびれたマーティンのブーツで階段を降りる。

突然、脳裏に夜中二人で天ぷらを揚げて、ボヤを起こしかけた事が浮かんだ。

特に行く宛もなく、大通りへと向かう。

後ろ手に強く閉めたドアは、まだ開かないようだった。

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椅子を舐めるな、椅子、つまり俺の事だがお前たちが今から観劇をするだろうお前たちが座る椅子つまり俺のことだが。

お前らが安心してのほほんと非日常だわんなんて快楽をこの劇場で享受できるのも、ひとえに俺のお陰なんだ。

あって当たり前だからこそ、毎日使うからこそ、完璧な造形が求められているんだ、始まりの前の始まりなんだ。

感謝が足りない。

あ、あの娘可愛い。彼氏連れかよ、まぁいい、こっち来なさい。

温めておいたから。

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目のいい人は気づいてるかもしれない、舞台にキラキラとそれでいてひっそりと光る俺達の事を。

業界人はチッコーチッコーなんて言うが、何のことは無い、ただの蓄光シールだ。

しかし俺達が居なきゃ舞台は始まらないぞ。

舞台美術の端、出はけ口、見切れるヶ所、挙げたらキリがない。

縁の下の力持ち。縁の下だから、君らが垂涎ものの女優のパンツ見放題だぞ。

見れる人生と見れない人生なら、俺は見れる人生を選ぶね。

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体中に力が廻る。熱が光となって放出される。

そうか、今日は初日か。

天井からぶら下がってると月日の流れがよく分からんのよね。

お、まぁまぁボチボチの入りじゃん。

制作の姉ちゃんが頑張ったんだな、よしよし。照らしがいがあるよ。  

しかしまぁースポットは羨ましいよな、出番短いくせに目立っちゃって。

俺たち地明かり組は大変だよ、長時間労働なんだから。

痛みも早いし。いくら鉄の体でもね。

ま、でも上から見下ろすってのは本当に良い気分だ、特等席だし。

それに、ここだけの話、本当にここだけの話、一人殺しちゃった事があるんよドーンと頭の上に落ちて。

そうビビるなよ、安心しな。お前さんは上がれないよ、この舞台にはさ。

おっと、非常灯が消灯した。

俺も徐々に暗くなる。始まるぞ。

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公演が始まる前、一番興奮するのが人の匂いを嗅ぐとき。

空っぽの劇場に、お客さんが入り、ざわざわと音が舞台袖まで伝わっていく。

音に乗ってその匂いも。椅子に座る音、今か今かと待ちわびている蓄光シール、ゆらゆらと舞台を照らす照明達。

今回も褒められてばっかりで、どうも落ち着かない。

けど悪い気はしないよ、人は褒められて育つってお婆ちゃんも言ってたしね。

一番嬉しかったのは、舞台監督に褒められた事。

今回の舞台の終幕では、ブラックライトで舞台全体が照らされるんだけど、本当に偶然、私の衣裳がブラックライトに反応して光るやつだったの。

演出…のTさんもゲネでその偶然を気に入って、最高の演出だって笑ってた。

その日の帰り際、舞台監督さんが本当に脂が乗っていて凄い女優は、そういう引きの良さを持ってるんだって、お前もそうかもなって。

ははは、今思い出してもまだまだ嬉しいぞ。  

ブーッと始まりのベルが鳴った。

もう少しだ。緊張する。余計なことばかり浮かびそう。

腕が痛い。

今回の衣裳は長袖で良かった。誰がどう見ても、薬物中毒だ、この腕。

女優の血液を打つだけで、女優になれるなんて思わないでしょ普通。

でもこの血、打つとおかしくなるからなぁ、二回目に打った時なんて、家から駅にたどり着くまでに六時間もかかったし。

もうヘトヘトで駅のホームで休んで、二時間ぐらいうずくまってたかなぁ、って時計見たら三分も経ってなかった。

ていうかそもそもどうなんだろうね、あんま実感ないよ、昔の私と何が違うんだろ、何だかあの婆さんも値段吊り上げてきてるし。

この前はTさんのお金でどうにかなったけど。

はぁ大丈夫かなぁ、初日はいつも不安だ。

そういえば。鉄っちゃん、今日リリースパーティーか、うまくいくかなぁ?うるせぇ、黙れ。幕が上がる。私を始めよう。

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前二組のバンドが盛り上げてくれたお陰で、凄い熱気だ。

トリでライブってのは気持ちが良い。

しかも、レコ発祝いなら尚更だ。

メンバーと簡単な円陣の後、ステージに上がる。

顔なじみの奴らが、頬を上気させて楽しそうにしていた。

最高の夜だ。ミヤコもそろそろ、上演時間か。

このライブと、あいつの公演が終わったらちゃんと話そう。

「鉄っちゃん!何その目、すげー光ってる!バイブスやばい!」

「改造人間だからな、俺、今日は気合入ってるから!」

アンプにシールドを繋いだ、簡単にチューニングを見直す。

忘れてた、ステージ袖に置かないと。

ポケットから携帯を取り出すとそこには「ミヤコ」からの着信中を示す文字があった。

ありえない。どういうことだ。  

ステージの照明が暗くなり、ベースとドラムが顔を見合わせる、曲が始まる前の独特の空気、俺はもはや習慣で一曲目の始まりであるコード「E」に押弦する。  

たった一度、Eのコードを鳴らしただけで、右手の人差指の爪から血が出た。

あいつが一度でも、俺のライブ中に電話をかけて来た事があっただろうか。

家の鍵を忘れた時だって、南口のマックで待っているような女だ。

一弦が切れた。

大丈夫、今日は替えのギターがある。

すまない、とメンバーに軽く手を上げて、場を繋いでくれるよう頼んだ。

目にしたスピーカーの網目とミヤコの注射痕が頭のなかで重なる。

「いやぁ、あいつ緊張しちゃってね、練習しすぎ。ま、そのぶん最高の夜にするからさ」

何故か、歓声。

ボーカルの適当なMCでも盛り上がるぐらい、熱い夜だ。

袖においておいた替えのギターを担ぐ、一言告げすぐに切ろうと携帯を拾い通話ボタンを押下すると

「鉄さん!私!ミヤコの友だちのマイ!ミヤコが…倒れて…おかしいの!早く、早くしないと!手伝って!」

客席にスイマーのごとく飛び込んだ。

裏口から走ったほうが早かったかもしれない、と空中で思った。

誰もキャッチしてくれなくて打った膝がしこたま痛い。

めげずに立ち上がり気圧差のある入り口のドアを蹴飛ばす。膝いてぇ。

知った事か。遠回りでも膝が痛くてもいつもの倍の速さで走ればいい。

耳元で「☓☓☓☓☓!」と叫ぶ声が聞こえている。

ミヤコ、大丈夫か、ぶっ倒れるな。もうぶっ倒れてるけど、すぐ行くから。

走れ、走る。走るんだ。俺の名は鉄!

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走っている、兎にも角にも走るしかない、

焦りや怒りを全部エネルギーに替えるんだ。

畜生、どっちだ、何でこの街はこんなに路地がざわざしているんだ、

ミヤコ、バカ、バカミヤコ。

何が最高の初日にする、だよ。

なんだよあの腕、あんなのまともじゃない、

注射の跡がミミズ腫れみたいに這って顔もミヤコじゃない。知らない顔。

私、なんのために友達やってんだよ。

ミヤコが倒れてるのに、公演中止がとか、言ってんじゃねぇよ。

くそう、何でだ、泣いてる暇があるなら、走れ、私、精一杯。  

見つけた、あそこだ。  

「まだ開店前だよ…なんだ、あんたもあれかい、目が光る目薬を買いに来たいのかい、いやぁ、最近良く売れるからねぇ」  

「血っ…!血っ…!売ったでしょ、女優の血だとかなんだとか」

「売ったけど打ったのはあの子だねぇ」

「とんちは良いの。治し方。いくら。」  

マイは鞄から財布を取り出すと机の上にそのまま置いた。老婆は、美味しいものを頬張るように笑う。

「一見さんに血液シリーズの話ねぇ…目薬からどうだい?うちも商売だからさ」

「ミヤコが治ったら、私が別のを打つよ。どうせ他のもあるんでしょ。目薬だって買うよ。」

一瞬、目を丸くしたような老婆だったが、棚から直ぐ汚い文字で薄っすらと、天才作曲家とラベルが貼ってある赤い液体が入ったパックを持ち出す老婆。  

「でもこれはねぇ、もう先約もあるし…。うん、やっぱアレかなぁ。そうしよう。お姉ちゃん。お金はいらないよ、その代わり、ここにサインを貰えるかな。なぁに、うちでしばらく働くだけさ」

「働くだけでいいなら口約束でもいいでしょ、守るから絶対。あんたの店で働く。勤務先だって実家の電話番号だってなんでも教えるから。」

「決まりだ。なかなか複雑だけど、一度しか言わない。覚えてもらうよ」

バンっとマイが机を叩く。奥にある猫の人形一瞬浮き上がり、目が輝いた。  

「ケレン味があるお姉ちゃんだね。じゃあ、行ってみようか。メモの準備は?繰り返しはナシだよ、トイレはもう済ませた?ハハハ、まず、あの子の血をあんたに打つところからさ。そうだね、もう一人いると尚良いよ。次は…」

本当にミヤコは良くなるのだろうか

私はやけっぱちになっていないだろうか。

頭の中が熱い。さっきから、時間の流れがよく分からない。

手順を頭に叩き込み。復唱する。よし、大丈夫。

入口の引き戸から、外に出る瞬間 、纏わりつくような声で老婆は一言。

「次のご来店を、お待ちしております」

「ニャオン」と悲しそうな猫の声が店内から聞こえた気がした。

タクシーに飛び乗り、行き先を告げる。

あと一人、思いつかない。思いつかない。

あいつしか、思いつかない。

ミヤコ、すぐ行くよ、待ってて。

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「ミヤコ、ねぇ起きて、ミヤコ」  

私を呼ぶ声がする。

目を開けると私が居た。

鏡写しのようにそっくり。

新人さんの練習でつけてもらったつけまつ毛、セールで買ったシリコンブラ。

夢独特の、透明なヨーグルトを歩いているような感覚がある。

むしろ、夢じゃなかったら困る。

三十路でメンヘラ、危ないって。  

「ミヤコは、どうして演劇がしたいの?」

目を開けて五秒で哲学とはどういう神経だ、私。

というか二十八歳にもなって、自分と向き合うって。

流石に無いんじゃない。私じゃない私、なんじゃない。  

「逆に質問だけど、去年の住民税何キログラム払った?」

「三〇キログラム程」

「中学生の時にあった変質者は?」  

「自分の精子ですり傷が治ると言いはり迫ってきた男」

「初めての彼氏との一番の思い出は」

「私が毎回無理なオシャレをしすぎてうまく脱がせられない」

「得意なモノマネは?」

「日本文化センターのCM」  

これ私だわ、ガードの仕方が分からん。向き合うの辛いな。  

「ミヤコは、どうして演劇がしたいの?」  

出たよ。そんな事より面白い話しようよ、私がこの前鉄っちゃんにADHDって何?って聞かれてACDCのフォロワーだよって教えたらヴィレヴァンで探してたよとか。  

「何で、銀幕女優の血液を打ったの?」

それは…それは…なんで…とかじゃない。

打つか、打たないかしかなかったから、私は打つ方を選んだだけ。

「打って、人様の力でやるお芝居はどうだった?」

楽しいよ、最高だよ。だって私、もう二十八…いや、今年で二十九なんだよ。

わかってるよ、もう駄目なんだって。諦めたほうがいいって。

けどやり方はあるじゃん。

才能が無くても、方法はあるじゃん。

「じゃあミヤコにとって良い事だったの?」

わかんない、わかんないよ。結局また、ズルズルと続けるんだと思うお芝居…っていうより、私を続けるよ。たぶんそれだけなんだと思う。私が好きなことは。  

「また私に会いたい?」  

「もう二度と会いたくないよ、演技がうまいね、銀幕女優さん」

私が私に対して、ニコリと笑った。

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目が覚めると、なぜかガーゼで左腕を抑えるマイと

クロックタワーにそのまま出演できそうなぐらい血にまみれた腕の鉄っちゃんが側にいた。

「良かった、本当に…本当に」 と、マイ。 

全然状況が分からないけど。

鉄っちゃんの方を見る、目の血管も血走りすぎてて怖い。 アメリカの猟奇殺人犯みたい。

「ミヤコ、ジョン・レノンとシューベルトと吉永小百合がバンドを組んだ時のバンド名は?」  

意味がわからん。目覚めにひどくない。でも鉄ちゃんは笑わせたい。

貧血のようにクラクラする頭の中、無理やりピースサインを出しながら私は言った。

 「血を分けたきょうだい」  

背中に警視庁というタトゥーのある男が、笑った。

短歌と掌編小説と俳句を書く