自在

鉄臭い匂いで目を覚ます。

予定外に目覚めたので脳みその働きが普段より遅い。

ケン爺が外で何か燃しているようだ。

朝飯だと良いのだけど。

虫食い穴が空いた霜降りセーターを着込み一階へと降りていく。

「おお、おはよう」

「おはよう。今日は早いんだね」

何しているのとケン爺に問いかけると遺品整理と笑っていた。

相変わらずよくわからない爺さまだ。

程々にしなよ、と告げて外にある洗面所で顔を洗う。

洗顔のたびに左目の義眼がゴロゴロと動く。

備え付けのタオルで顔を拭く。幾らか頭がスッキリした。

空を見上げる。機械の天井にニセモノの空が映されている。

ご丁寧なことにこの機械の大釜は温度調整機能がついており、

天井に移される雲からはもうじきやってくる寒さが感じられた。

無くなった左目が疼く。

「おいマリ、今日は四番街のほうだ」

ケン爺から声をかけられる。

「何時頃?」

「もうすぐさ、朝飯は後だな」

左腕と接続された数字の増減する電子端末を見やりながらケン爺は告げた。

仕事道具の工具一式を腰に結いつけ四番街へと駆け出す。

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ガゴッという音と共に空の一部が抜け落ちる。

そら来た、さすがケン爺。

バラバラとモノが落下してくる。果たして一体今日は何かな。

落下地点へと駆ける。

到着までの間に少し私の世界の話をしようか。

この世界の子供たちはある程度大きくなると(ある程度生き残ると)地図を見せられる。

縦長の地図を見せられながら、私達が生きているのは多層に分かれた大きな方舟であるとそう説かれる。

機械部品で組まれたこの船。いったいどこに向かっているの。それは今でもわからないけれど。

またまた最悪なことにわたしたちが普段走り回っているこの層は下層に属するらしい。窓もない。

私が貧しいんじゃない、私の周りが貧しいんじゃない。この世界が貧しいのだ。

当然、神などいない。

地図を見せられる時には合わせてこの世界のお作法を教わる。それは三つ。

・上から落ちてくるゴミを拾え

・生き方は死んで覚えろ

・下を見るな上を目指せ

上層の方々が廃棄物を仕分けているのだろう。落ちてくるモノにはある程度規則性がある。

落下する内容物の比率にて医療地区や工業地区、飲食地区なんて区分けがある。

でも実際のところわたしたちはこの世界を数字で呼ぶ、一番街、二番街……。

一番街にはこの世界で一番高い建物がある。

わたしたちはいつかモノが捨てるほど溢れているであろう「上」へ向かうことが目的だ。

なので上に一番近い街が一番優れていると見なされる。つまりは一番街。

とにかく上を目指す。それ以外の人生など、この世界には無い。

私の友だち「カイ」の人生以外には。

そうそう。さっき神などいないど言ったけどさ、まだまだ食べれるモノを捨てている上層はそれこそ神の領域だろうよ。

これが私が見ている景色。私が見ている世界。

上様のオコボレでどうにか生き延びている。

今拾い上げている缶詰、人工筋肉。使用済みの医療機材。全てが上様にはゴミ。私には宝。

これらをケン爺が加工して、卸すことが私の生業。

めぼしい資材の回収を終えたところでドスンと背後で一際大きい音がした。

期待に胸が高まる。重たい音は最高だ。垂涎にて振り返ると。

機械化人間の頭蓋が、こちらを見ていた。

私の左目の義眼と同じ目でこちらを見ていた。

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「首尾はどうだった」

電子端末にケーブルで接続したケン爺が私に問いかける

「缶詰、筋肉。そしてなんと…ほら!」

機械でできた頭蓋を見せる。どうだほら、褒めてご覧よ。

「こりゃあ……だめだな」

「なんでさ!」

「よく見てみろ、目玉にヒビが入っている。かなり売値は下がる。カイにロハでやっちまいな」

「それじゃあ損じゃないか」

「バカ言え、朝飯があるだけ儲けものだ」

「それもそうか」

「最近にしてはまあまあさ。いいか、接続を切るぞ。今日の指示はここに書いておいた。後は頼むぞ」

ケン爺が電子端末からケーブルを引っこ抜く。

「ああそうだ、いつものことだが七番街のやつらに気をつけ……」

言葉の途中に突然、ケン爺は体を震わせ白目になり口から出てはいけない色の泡が吹き出す。

慣れた光景ではあるがゾッとする。

ケン爺は脳の一部を改造してこの船のシステムの一部に干渉しているらしい。

過負荷なのか、電子端末で落下物の予測を終えた後は必ずこうだ。

目覚めた後には記憶の一部が飛んでいる。

この街で老人が生きていくには、こうでもしないと駄目なんだと笑う。

私もいつか年を取り、このように命を燃やして生きる必要が来るのだろうか。

老人は少ない命を賭して子供に生き方を教え今日の糧を得る。それしかない。

そうだ。朝食がまだだった。

腰道具で無理やり缶詰を開ける。

縦にビッシリと腸詰が並ぶ。二本ほど纏めて頬張る。

強過ぎる塩味なのに味気ない。食事というより餌だ。

ケン爺を一階奥の座敷に横たえ口元の泡を拭う。

残りの缶詰をカイと一緒に食べよう。ケン爺の指示を片付けるのはその後で良いだろう。

七番街の大穴へと足を向ける。

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カイは医療地区の七番街に住んでいる。

七番街には資材が滅多に降ってこない。背の高い建物も存在しない。

序列最下位だ。その代り、底の見えない大きな穴が存在する。

また、医療地区なんて名ばかりで、末期医療の人たちや得体の知れない薬を飲んで日銭を稼ぐ人たちが集まっている。これが七番街。

私も子供のころ小遣い稼ぎにカプセルを飲み下す仕事をしていたら物の見事に左目を失明した。

追加手当は無し事前約束通り報酬は三日分の大麦だ。

痛みや熱さが左目から引いた頃に薬屋に殴り込むもてんで相手にされなかった。

畜生。舐めやがって。

溜飲が下がらず、忸怩たる思いで路地に座り込んでいたところにそっと今の義眼を差し出してくれたのがカイだった。

「僕が作ったんだ。きっとわるくないよ」

「あんた何」

「ここに住んでるんだ。見ない子がいたからさ」

「なにそれナンパ」

「違うよ。君のことが気になるんだ」

「なにそれ……ナンパじゃん」

「そうか……」

その時から私たちは仲がよい。

カイの仕事は七番街に開いた大穴からのサルベージ。口癖は「わるくないよ」

全てがひっくり返ったようなこの街で穴からのサルベージなんてカイは相当の変わり者だ。

七番街の真っ暗な大穴、カイはいつもどおりそこに佇んでいた。

この大穴も私達の更に下層につながっているんだろうか。

「おはよう」

「マリじゃないか、どうしたの」

「おはようの挨拶は」

「おはようございます」

「もう食べた?朝ごはん」

「いや、まだだよ」

「じゃあ一緒に食べよう」

「いいのかい」

「いいよ、気にするな。あと、お土産」

機械化人間の頭蓋といくつかの缶詰をカイに渡す。

「ありがとう」

「ケン爺は売り物にならないって言ってたけどさ」

「そんな事無いよ、溶かしたらまだまだ使える。……マリのと違って目玉は駄目みたいだけどさ」

カイはそう言って私の左目を見やる。上気した顔で。

全く。この欠損フェチめが。

「そういえば、もうすぐ一番街が上に到達しそうだって聞いたよ」

油漬けの魚の缶詰を開けながらカイ。

「あっそ、興味ない」

興味ないと告げたものの、最近嫌でも耳に入ってくるのがこの話だ。

もう既に神が産み落とされたような熱狂を街に感じる。

嫌なカンジだ。通ってない。始めから終わりまで通ってないんだよ。

左目の義眼が妙にゴロゴロして取り出す。拭くモノあったっけな。

「神様がいるとしたら一体どんな匂いなんだろうね」

続けて妙に詩的な事をカイが言い出す。

私の真っ暗になった左目の穴をチラチラと見ながら。

カイは私のことが好きだと思っていたのだけど、実際のところは私の無くなった目の穴が好きなんだろう。

カイの前で義眼を取ると、妙に落ちつかない。お互いに。

「カイは上に行きたいの?いっつもこの大穴で釣りしているのに」

「いや、僕はここでいいよ。理由は説明できないけどさ」

「ふーん、カイが良いなら、いいんだけど」

ベチャベチャとした水音と引っ掻くような缶の音にしばし場が支配される。

静寂を破るのはケン爺からの通信。

腰道具の受信機を取り出す

「はいはい……」

「馬鹿野郎、お前今何処にいるんだ」

「カイのところだけど、なにか問題ある?」

「あるよ、大ありだ。お前がカイのとこにいるのが問題なんじゃない、俺もカイのところにいないのが問題なんだ」

「なにそれ、意味わかんない」

「……指示書は読んだか」

「まだ」

ため息ひとつ。

「いいか、マリ。よく聞けよ、耳はまだ両方残っているだろう。この街、あの地図はな、逆なんだ。この船はいつからかひっくり返ってるんだよ」

「はあ?脳洗浄やった?」

「黙ってろ!いいかよく聞け、俺の端末に出ているのは、廃棄のタイミングなんかじゃない。表示されているのは別の層の人口と物資の数だ。上……いや、俺達が今まで上だと思っていたところの人口は日に日に減少している。物資の総量も減っているんだ。俺は恐ろしいよ。餓死や事故死の数字が上がって人口は減っていくのに。上から缶詰や薬なんか落ちてくるなんて。上の奴らは、何を食べているんだ。本当にそれは人間が捨てているのか。機械どもが捨てているんじゃあないのか」

「ちょっとちょっと、よくわからなくなって来たけどめちゃくちゃ大事なこと言ってるよね。何でこの日常のタイミングで」

「馬鹿野郎。だから書いといたって言っただろう。もう遅い。俺たちはずっと間違っていたんだ。上に行くのが正解なんじゃない。下に降りるのが正解なんだ。この世はずっと昔から逆さまさ」

「違うよ!だからもっと早く準備できていればさ」

「そりゃ無理だ。俺が好きで接続後に気絶していると思ってんのか。機械共はシステムに干渉した俺の脳髄に毎回お土産を残す。大事な電脳がぶっ壊れる前にそのパーティションだけパージしてんだよ。ああ、糞。今日の指示書の為に生きていたんだよ」

「……言葉、足りなすぎ」

「カイのところにいるんだろう。いつものファイルサーバをマウントしろ。10分以内に落とせ。そう伝えとけ。マリ。マリよお。俺には顎髭が無い、口髭だけだ。口髭だけの奴ぁ昔から生き残れんのよ。じゃあな、達者でな。お土産を今から食べるよ」

おあつらえ向きに天井から破壊音。見なくてもだいたい物語のこの状況のデカイ音なんて良いことなんて一つもない。

続けて激しい機械の擦り合わせた音が聞こえる。

神様の匂いはグリースとガスの匂い。

気づけば受信機からはケン爺の声は消え、ノイズだけが残っていた。

訳がわからない。顔を上げる。

カイは先程渡した頭蓋を弄り、どんな機能なのかは分からないが目玉を光らせていた。

「これで、ランタン代わりにはなるかな」

いつもどおりの優しい顔でカイはそう呟き、こちらを振り向くと自分の髪をめくる。そこの頭皮にはベッタリと鉄の皮。

「ケン爺と同じ手術、受けたんだ。大丈夫。ケン爺からの指示書はもう落としてあるよ」

ここにね、といった自分のこめかみを叩くカイ。

「マリ、君への手紙もある。でも残念ながら今読んでいる時間は無いみたいだ。うわあ、なんだろうあれ、機械の蜘蛛のおばけみたい。じゃあ、そろそろ大穴に降りようか。腰道具はもっとしっかり縛って。そう」

「待って、カイ。私、わたし」

「いいかいマリ。時間がないんだ。一度しか言わない、よく聞いてくれ」

「なに、なんなの」

「一緒に来てくれ。僕と一緒は……そんなに、わるくないよ」

そう言ってカイは、私の左目に口づけをした。期待して損した。

ほんの数秒で期待させてしまうカイが一緒に来てくれだってさ。

「……わかった、わかったよ」

「いい子になったね」

「バカ、お前私より年下だろ。タメ口」

「いつもそうじゃないか」

「いい子は上からすぎ。上は駄目なんでしょ」

「そうだね。さぁいこう」

カイお手製のウィンチワイヤーを体に括り付ける。左目に義眼をはめ直す。もうゴロゴロしていない。

上を目指すために下を目指せ。

内臓の軸が全部ずれたような浮遊感の中、わたしは真っ暗へ落ちていった。

カイと二人で、終わりの無い真っ暗へと落ちていった。

短歌と掌編小説と俳句を書く