metro

半蔵門線と田園都市線の境で歌をうたい始めて何年ほどだろうか。

顎髭を撫でつけながら少々思案するも、全く思い出せん。

理由なんかはとうに過去に塩漬けしてもう何年物かわかったものではない。

一つはっきりとしているのは目の前にあるギターのハードケースに入った小銭程度では今晩の夕食代にもならないということだ。

お腹が宇宙になればいいのに。

おれがたっている通路は、半蔵門線と田園都市線のどちらかを選ぶ為の連絡通路だ。

通路にはデカデカと案内がある。

裏に照明が仕込まれたプラの薄い素材。そこには緑色で「DT」の文字。田園都市線の略称。その隣には紫色の同素材で「Z」の文字。こちらは半蔵門線の略称だ。

連絡通路は角度のついた上りのスロープが長々と続く。

スロープにはいつもピカピカで綺麗な鉄の手すりが備え付けられている。

この角度を乗り越えなければ、DTになるかZになるかは選択できないとでも言わんばかり。

都市に手綱を握られている気分でいけ好かないが、この街でDTかZかを選ぶということは人生においての重大なる決断の一つと言えるだろう。なぜなら、今まで雌雄の区別が無い無性だった自分に「DT」か「Z」という性が与えられることになるのだから。

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今日も今日とて、歌をうたいに半蔵門線と田園都市線の境となるスロープへと降り立つ。

スロープと言っても適当なところで演っているわけじゃあない。決まった場所がある。

真っ白で清潔なこの通路、その通路脇の柱と柱の間の薄汚れた配電盤前。

この小さなスペースがおれのステージだ。

この隙間は先達の宿無しから頂いたものだ。大事にしなければ。聞くところによるとその宿無しも俺と同じ無性のヤツで、ここでハンガーストライキを行っていたらしい。なんの主張があったのかはまったく知らんが。学校で意思の引き継ぎ方法などは習っとらん。

いずれにせよなんかの確信があって死んだのだ。立ちながら死ぬほどなのだから。

その大事な大事な俺のステージに、一人の制服姿のシブヤがしゃがみ込んでいた。

シブヤというのは侮蔑を含んだ隠語だ。「DT」にも「Z」にもなれない者たちをそう指す。

雌雄決する事もできない渋るやつから来ているらしい。

こいつも何らかの革新があってここに居るのかもしれないが、そこは、その場所だけはどいてもらわないと困る。

「おい、あんた」

「わっ……なんですか」

振り返るシブヤ。

髪は肩にかかる程度、ベージュのパンツにタンクトップ。その上から薄いカーディガンで抜き襟の出で立ち。

顔には幼さが残るもくっきりとした睫毛に大きな黒目が印象的だ。

はっきり言って好みだ。そうじゃない。

「邪魔だ、どいてくれ」

「いや、もうしょうしょうおまちを」

そう答えるとまた配電盤に向かい、何やら弄り倒している。

「イタズラならほかでやってくれ」

「イタズラじゃあないです。革命です」

「おれのが革命なんだよ、年季が違うんだ」

ジロリと睨めつけるも、こちらを一瞥するだけのシブヤ。はぁ参った。おれは歌をうたいたいだけなのに。

ぶん殴ろうと思うも昨日の稼ぎで腹に入れたのは薄めた麺つゆだけなので、右拳百五十一キロカロリーでは一撃で倒せないかもしれん。

若者に年寄りはいつだって属性の相性が悪い。

さて、どうしたものかと癖になっている顎髭を触りながらの思案。

するとシブヤはふと立ち上がり、

「……そういえばきいたことがあります。弾き語り浮浪者のたしか……ヒロイグイさん」

「違う。それはただの悪口だ。おれはヒロエという」

「ヒロエさん」

「はい」

「終わりましたよ

「じゃあさっさとどいてくれ」

「聴いていっていいですか」

「自分のことをおれに聞くなや」

「いや、じつはわたし昨日も聴いてましてね」

「そうかい」

機械いじりに使っていたのかいくつかの工具を鞄にしまい込みながら、シブヤは場所をあけた。

代わりにおれがそこへと座り込み、ハードケースから年季の入った鉄弦ギターを取り出す。

チューニングをゆったりとしていると、質問が飛んできた。

どうやらこのシブヤは本当におれのうたを聴いていくらしい。やりづらくてしょうがない。

「昨日聴いてて思ったんですけど、なんでヒロエさんはあんなに人が死ぬ歌を歌うのですか?」

小うるさい餓鬼だ。相手にするのも面倒くさい。

「……ねぇ聴いてます?うつ病の時は部屋掃除がいやだとおもいません?」

「さっきからうるせぇよお前は、音姫かよ」

「だって糞を垂れ流しているから」

「クソじゃねぇよちゃんと聴け」

「人が死ぬ唄のどこがクソじゃないんですか」

なんだかしらんが。なんだか知らんがおれの時間を刻んで邪魔するこいつに無性に苛立ちを覚える。

「いいか、よく聞け。こういった暴虐的な、悲惨な唄をうたうことは抑止力になるってことだ。将来とんでもない暴力を考えたやつが、おれのうたよりひどいことを思いつかないように

俺は悲惨の唄をうたい続ける。なんで俺なんだ、頭に浮かぶのはそれだけさ、それをそのままうたっているんだ」

間。

「ちょっと何言ってるかわかんないですね」

「ほんっとなんなんだおまえ、だいたい昨日もいたってなんなんだよ、なんなんって何回も言わすなよ。さっさと選べよDTかZ。そんで消えろ」

「いやそれがですね、わからんのですよどっちがいいのか。

好きな人はいるし、その人とシブヤしてみたいんですけども。略してシたいんですけどもねえ。あ、今は性交渉のこともシブヤと言うんですよ。

それだけが理由ですとねえ。ええ。

どうも決めかねていてですね、どうやらほんの三、四十年程前はみんな生まれつき有性だったそうじゃないですか。オトコとかオンナとか。

でもその辺は検閲になってて下手に調べると将来にも影響があるんですよ、今は。

おかしいと思いませんか?自分で性を選んで手術をするなんて。

それとも悩まないでレールに乗るのが良いのですか?

どうやったら自分をモノみたいにあつかえるのかしら。

そしたらDTかZかなんてすぐ選べるのに。

まったく、ヘゲモニー政党制はこれだから」

一気呵成にまくし立てられたが、感想は一言しか浮かばなかった。

「おまえ、ばかだな」

すると、褒められたと言わんばかりの笑顔で、

「そうなんです、わたし、バカなんです。へへ。

ふふ。初めて、検閲に怯えないでどうどうと話せましたよ。これも革命の第一歩」

「随分と小さな革命だな、おまえはよ」

「第二歩は、今からですよ。お話してて踏ん切りがつきました。

わたしがこれからすること、怒らないでくださいね?」

「いいよ株価が下がんなければ」

「為替で稼いでるんですか」

「んなわけあるか、昨日は麺つゆしか食ってねぇよ」

「良かった。ねえ、ちゃんと見ててくださいね。わたしの革命」

そう告げた後に朗らかな笑顔を見せ、携帯端末を弄る小さな革命家。その瞬間、「DT」と「Z」の裏にある照明が、一斉に弾け、ショートした。

皮切りに全ての照明が落ち、人工的な灯りがスロープから消える。

まばらだった人達から小さな悲鳴、性の前に安全だと誰しも顔が物語、一斉に出口へと踵を返す。

騒動の中、ギターが喧騒に飲まれそうになり慌てて引き寄せる。その際、左手の中指を思い切りどなた様かに踏まれた。

「イテエ!」

「わ、大丈夫ですか」

「思いっきり踏まれちまったよ、爪の中に血が溜まって痛え」

「わーすごいですね、何しているのですか?」

「おかしいだろ、いま説明しただろが!病気かおまえは!」

「ははは、ブサイクな顔ですね」

「おい、おまえ……いやなんか、笑えてきたな、なんだこれ、朝っぱらからどでかい騒ぎだ」

「ほんとうですねえ、お騒がせですねえ」

「気に入ったよ、自己紹介しよう。おれは善久ヒロエ」

「天狗一重?」

「ちげぇよ、妖怪が気にしないだろ一重二重。そいつはあやかしを辞めろ。焼酎の名前か。」

「メンズビオレ?」

「押韻すればいいってもんじゃない、まあ名前はなんだっていいさ。ああ、騒いだら喉乾いた。なんか飲み物持ってないか」

「ありますよ、はい」

鞄から取り出されたのはふたきれの煮干し。

「なんでだよ!おれより乾いてるじゃねぇか」

「よく怒るからカルシウム足りていないのかなと」

「足りてないのは配慮だよ」

「愛情ですか?不公平な生い立ちぽいですもんね」

「……なんだまあ、おまえが何かしたくて、おれに声をかけたかってのはわかってきたよ」

「あら、そうなんです。DTでもZでもない第三の性、それがヒロエさんですからね。一緒に色々ぶち壊してくれるかなと」

「いいよ。今日はもう弾けないしな」

ひび割れ鬱血した、爪を見せる。にんまりと笑顔が返ってくる。

なまえ、決めないとですね、わたしたちの。

「メトロと名付ける。次の曲の名前を授けてやる」

「なんだかとってもみだらな響きですね」

「そうだろ、とりあえずどこか店でも行くか」

「いいよヒロエさんなら、三千円で」

「なんでお前がワリカンの額決めんだよ」

「ふふ。今日、この日を迎えられたこと、とても嬉しいです」

「お前は南米辺りのフォワードの移籍会見か。まぁいい。行くぞ」

「ねぇ、待って。何食べるんですか」

「ダイヤモンドの唐揚げを出す店があるんだ、出てすぐの裏路地に」

作戦会議といこうじゃないか。あるき出す。

DTとZとは反対側の出口へ。

真っ暗闇となったスロープ。先ほどよりも大きな喧騒。

おれたちが向かう出口からだけ、陽の光が差し込んでいた。

短歌と掌編小説と俳句を書く