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今の日本と、過去の自分自身

小林賢太郎さんのオリンピック開会式演出解任。
この報道に、ラーメンズや小林氏に影響を受けてきた多くの表現者たちが衝撃を受けたと思う。私もその一人。

過去の過ちに対して、司法ではなく「世の中から裁かれる」ということ…。
自分自身が今後、裁かれる側の当事者となる可能性を考えざるを得ない。

過去の自分の行いや発言を振り返って、全くもって間違いを犯してこなかったと言い切れる人がどれ程いるだろうか?と思う。

しかも、小林氏の場合は、自分自身の「人を傷つける可能性のある笑い」を認識して、以降20年以上は人を傷つけない笑いを追求し続けている。
自身のコント動画をYouTubeで公開して、そこでの収益は全て寄付しているような人。
誰にでも出来るようなことではない。

勿論、過去の発言(創作)自体は、本人も認めるように許される話ではない。
ただ、それを悔い改め続けていた人ではあると思う。
そんな中、過去のことを引き合いに、今の行いや人間性は度外視されるとなると、では一体どうすれば…?という気持ちにもなる。


そして今回、任命責任などは問われず、本人だけが解任となった一連の流れに、正直違和感も感じる。
トカゲの尻尾切りとはこのことでは。
しかも演出プランは変えずに使用されるらしい。どういうことやねん?

そのようにして、表現の世界は軽んじられ、現在の情報による精査や擁護はない。(なんなら更に捻じ曲げられて悪質に描かれている。)
その人個人の、過去の認識の甘さのせいとなる。

でも、深く突き詰めると、これって本当に小林賢太郎氏だけが悪いんですか…?


たとえば、日本の歴史教育。
個人的な話をすると、私がホロコーストの残酷さをしっかり認識したのなんて「ライフ・イズ・ビューティフル」をはじめとする映画作品を見てようやくだっように思う。
学校教育の上では、その教科書に書かれていることをつらつらと読み上げるだけで、実際にそこで起こった悲惨さや、残酷さなどはほとんど語られない。
戦争などの教育に関しても、ほとんどは情報の羅列。
そして最近のニュースで聞くところによると、色々と教科書の内容も書き換えられ、沖縄で起きたことや、ひめゆり学徒隊のことなどは文章が削除されているという。

こんな状態の教育が今後もなされる中で、本当に同じ過ちを日本人が繰り返さないと言えるのか…?

私は色々なことに関して、真実を知りたいと思うけれど、あらゆることが隠蔽されてしまっていて、いまだに本当に起きたことが何だったのか分からないことが沢山ある。
慰安婦問題は?
南京大虐殺は?
関東大震災のとき、朝鮮人虐殺が行われたというのは本当なのか?

あらゆる出来事に、当事者からの発言もある中、それは無かったと言い切る人もいて、真実が何なのかは未だによく分からない。

私はこのオリンピックの一連の出来事、いや、もっと前から日本の社会では、隠蔽体質やことなかれ主義が横行しすぎているような気がする。

過去の自分の過ちを認めて反省に向かわない政治家も多すぎるように思う。
ましてや犯罪的な行いをしていても、検事陣を巻き込んで無かったことにする。
それは私から見れば、今回の過去の出来事よりも、よっぽど悪質だと思う。

しかしそれがまかり通る日本。
利権のために周りも悪行を擁護する日本。

誠実さはどこにあるのか…?

明確に、悪いものが悪いと司法で罰せられない世の中である限りは、世論に罰せられる基準もどんどん曖昧になっていくように思う。

今の世の中は世論に頼りすぎている。
折角司法の場があっても有効に機能していない場面が多すぎる。
だから更におかしなことになる。
基準がなくなり、誤解が広がる。
あらゆる人が、好き勝手に各々の意見をぶつけ合って滅ぼし合っている。
実際には目に見えない話者たちに、私たちは滅ぼされかかっているのではないか…?

これはまた少し違う話ではあるけれど

過去の行いは、必ず自分に返ってくると私は思っている。思うようになった。
良いことでも悪いことでもそう。
それは私自身の実体験からだけれど、二十代前半の頃にしてしまった、他者への感謝のない不誠実な行いは、全く同じような形で三十代に入って自分にそっくりそのまま返ってきたということがある。
仕事で裏切られたと感じた時、私はようやく過去の自分をその中に発見して、どうしようもなく後悔し反省した。

ただ、やはり悔い改めたぶんは、きちんと鏡のように良いこととして自分に返ってくるもので。
本来、人間というのは、その繰り返しを通して成長していくものなのではないかと思う。

だから隠蔽して無かったことにすることには全く意味がない。成長がない。

このオリンピックを通して、日本の色んな悪い膿のようなものがドロドロと次から次へと溢れ出している。
これは政治家やお偉いさんたちのせいと言ってしまうのも勿論簡単だけど、それを選んだ責任というのは当然私たち一人一人にもあって、その一人一人が、これまで無かったことにしたり見ないようにしてきたことのツケが蓄積されて、日本の生き恥となって現れたように思う。

根本的なことなかれ主義をなくして、それぞれの過去を一つ一つあらためて、前に進んでいかなきゃ未来はない。
色んなことに気付くためには、このオリンピックは良いきっかけなんだと思う。

過去と現実を見つめて、誰かのせいにしきらず、当事者としてこの問題を捉えていきたい。

人間は変われるし、変われる人間を認められる世の中であってほしいと、私は思う。

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