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(株)ワイキューブ・ラボ代表取締役/都市魅力プランナー 杉本容子さん

 まちづくりの分野での女性の活躍の道を、実践を通して作ってきている(株)ワイキューブ・ラボ代表取締役/都市魅力プランナー 杉本容子さん。
 女性として、母親としての生き方モデルについてお話をうかがってきました。

杉本容子さんプロフィール
活動地域:大阪府
経歴:杜の都仙台生まれ、白砂青松湘南育ち、水都大阪に生きるまちづくり好き。
大阪大学大学院工学研究科環境工学専攻博士後期課程修了。工学博士。
一級小型船舶操縦士かつ国内旅程管理主任者であり、水都大阪の水陸両用ガイド。
水辺の魅力づくりや歴史的環境のまちづくりを得意とし、大阪ええはがき研究会等まちをおもしろくするNPO活動にも積極的に参加。
民間特別任用により大阪府都市魅力創造局立ち上げの政策企画を担当した経験をもつ。
現在は一児の母とまちづくりコンサルタントの二足の草鞋で奮闘中。

記者:杉本さんが今のお仕事をされるようになったきっかけを教えてください。

杉本容子さん(以下、杉本 敬称略):もともとは、環境工学科で都市環境デザインを勉強していました。環境工学科に入ったきっかけは、私が高校生の頃、湾岸戦争時で油まみれの鳥がニュースでよく出ていたんです。他にもオゾン層の破壊といった話題もよく取り上げられていました。それらの話題を耳にして、地球はヤバいんじゃないかと感じて、環境問題に取り組みたいと思ったんです。自分は何のために、何がしたいのか、それを当時の狭い世界観で考えたんですが、自分の中でこれだと思ったのが、地球のことしかなかったんです。
 そして大学で色々と学びながら、中でも建築や都市デザインに魅力を感じて、その道へ進むことにしました。
 大学院では、明治時代に大阪の市内にあった農村集落がどのように市街化して、今の姿になっているかという研究していました。
 歴史的な環境というのは、京都のようなところは文化財保存として政策的に守られます。一方で、ありふれたまちの歴史的な環境となると政策的に守る方策が日本にはほとんどなくて、どんどん開発されたり、建て替わったりしてしまうんです。
 そういった現状に対して、自分でも何とかできないかと思い、歴史的な環境を活かしたまちづくりや街並み整備などの政策を考える仕事をしていたんです。
 その時に、水都大阪再生の話が立ち上がっていました。大阪はずっと歴史的に、天下の台所と言われた時代もあれば、商いの都と呼ばれたり、近代化してきたら、工業化して工都(こうと)と呼ばれたり、時代によってまちの性質がすごく変わるところなんです。
 江戸時代はなにわ八百八橋と言ってすごく水路が多かったのですが、水運が廃れてきたら全部埋めてしまって今はちょっとしか残ってないんです。でも、水路がロの字に都心部にあるっていうのは世界的に見ても珍しい地形なんですよ。ロの字の水路を活用して都市の再生をしましょうというのが大阪府大阪市経済界で言われ始めて、2009年をシンボルイヤーとして「水都大阪2009」というイベントをやりました。中之島公園もそれをきっかけに綺麗になりました。

記者:大阪にはそういった魅力もあるんですね!そこで杉本さんはどういった関わり方をしていたのですか?

杉本: 私はコンサルタントだったので、どういう風にまちを再生しようかという構想づくりを行政の仕事としてやっていました。一方で、活性化をしようというNPOとして活動している人達とコミュニケーションを取る機会もありました。その人たちは、こんなに川沿いがあるのに、川沿いで美味しいビールも飲めないし、夜一人で歩いて行ったら危ないと言われていましたし、そこをもっと楽しく使っていったらいいじゃん、というすごく単純明快な感覚で、面白い考え方をしていました。
 そのうちに、NPOをやっている方が大きくまちが変わっていく感じがして楽しいなと思い、そこから水辺にのめり込んでいきました。
 周りにビルがいっぱいある中で「水辺ランチ」と言ってみんなでランチを持ち寄って食べながら水辺を楽しんだり、夜には「水辺ナイト」と言ってお酒とかをゲリラで売ってライブとかやって。
 活動してる人たちと一緒になってやっていたら、研究対象だった大阪にどんどん愛が湧いてきました。
 水辺の仕事は、行政としての仕事やNPO活動、コンサルタントもやって、いろんな立場から取り組んだけれど、結局は当事者、つまりまちの中にやる気がある人やキーパーソンがないと動かないんですよ。そろそろ外野から言うだけじゃなくて、自分でやっていきたいなという気持ちが芽生えてきました。

まちに関わる仕事と自分の幸せを両立したい

記者:様々な立場から水辺の開発に取り組んでこられた結果、当事者として活動されることを決められたのですね。独立されるにあたっての思いを聞かせてください。

杉本:この仕事はすごく調整事が多いしネットワークが広くないとできないんです。そのため、同じ分野の女性の先輩方を見ていると、飲み会にも参加して、帰ってから資料を作って、という仕事のやり方の方も多くて。個人の幸せは二の次で仕事最優先という方々が本当に多かったんです。でも私はパートナーと素敵な時間も持ちたいし、子どもも欲しかった。私自身、24時間365日仕事でプライベートはほぼなく、年齢的にも体力が落ちてくる時期が重なったことで、新しい働き方を模索していました。
 そして、どうやったらまちに関わる仕事と自分の幸せとが両立できて生きていけるのかというテーマの研究会をしようという話が若手仲間であがりました。その中で「まち女子」(正式名称:まちと女子の生き方・働き方研究会)という研究会を立ち上げて小冊子を作成しました。
 まちの仕事と自分の幸せの成功モデルは何なんだろうと議論して、素敵な働き方をしている人たちに取材をしに行ったり、ワークライフバランスやまちに関わりたい思いや、ストレス発散方法は何かといったアンケートをとって冊子に載せました。
 元々が建設業界なので男性ばっかりなんですが、その中でみんな苦労しながらも楽しく頑張っているんだなというのがわかって来ました。
 私たちの働き方に、プロトタイプはないんですね。皆それぞれの形の中でやっているんだというのが見えてきた時に、ちょうど子どもができて、研究じゃなくて実践に入ることになりました。

記者:研究から実戦へと、自然な流れですね!実践を通しての思いや取り組みについて教えてください。

杉本:研究をしただけでは答えがでないけれど、理想を具現化する事務所をつくって実践することが私の研究の答えになるなと思っています。私自身が諦めたくないという思いもあります。
 水辺に関しては、 自分がプレイヤーになりたかったので、 事務所兼自宅を探して川沿いを歩いてずっと探して、たまたまここの倉庫が売りに出ていたのを見つけました。とにかく好きにいじりたかったので友達の大工さんと設計士さんと一緒に、夫と四人で作ったんです。なので、水辺に関するチャレンジはこの家が一つの答えなんです。
 私自身独立して2年目に子どもが生まれて、事務所も女性スタッフばかり。一歳半の子どもがいるスタッフもいます。子連れで打ち合わせもするし、現場にも連れていく。最近はそれを武器にして仕事をしているところもあります(笑)。
 こういう業界に女性は少ないですが、最近は子育てのまちをどう作るのか、子どもの目線をどうまちづくりに取り入れるのかという話もあるから、お母さんのリアリティをもって話ができます。

女性として母親として一線で働き続ける

記者:業界の中で新しいポジションを確立されているんですね。今後の目標などはありますか?

杉本:私の子どもは今5歳で来年から小学校なのですが、子どもがもうちょっと大きくなった時にも私が一線でやり続けていることです。この業界で、女性で、子どもを育てつつスタッフを雇って一線でやり続けている人はあまりいないので、やり続けることに意義があるんです。
 子どもが手を離れた時にも一線でやり続けられるようにするにはどういう風にやれるのかというのが日々社会実験です。事務所の運営の仕方も社会実験という感じでやっています。仕事とお母さんの両立モデルになりたいと思っています。やり続けていると周りも応援してくれたり、クライアントさんの理解も得られるようになっていきます。

記者:様々な活動をする中で、一貫していた思いやこれだけは譲れなかったというものはありますか?

自分や家族を幸せにすることは社会全体を幸せにすること

杉本:家族を社会の最小単位だと思って常にみんながハッピーでいられることを大事にしています。
 自分があって家族があって地域があって日本社会全体があって、というドーナツ状の関係性の中で、私たちは生きて、働いています。そこを突き詰めて考えてみると、自分の事と家族の関係性を考えることと、地域や社会全体の関係性を考えるのは同じなんだという感覚になりました。そこが大事にできなかったりごまかしたり、嘘をついたり、正面から向き合えなかったら、世界にも世の中にも向き合えないという感覚があります。
 家を犠牲にして仕事をするというやり方は絶対にしない。自分も犠牲にしない。自分がハッピーじゃないと人をハッピーにできないと思うところもあってそこはブレないところですね。

大阪には、若者が元気に活動できるまちであってほしい

記者:大阪のまちづくりに携わっている杉本さんの、大阪に対する思いを聞かせてください。

杉本:若い人が夢やビジョンを持てるような、そして元気に活動できるようなまちになってほしいです。
 私は大学生の時から大阪に住んでいますが、関西のおっちゃん達が応援してくれて、場を与えてもらったから色々と経験を積むこともできたし、社会人として成長することができた。ここで育てられたことはとても大きいんです。
 色々なことをやってみて失敗したり成功したりしながら成長することができたので、そういう場を次の世代に提供するのが義務だと思っています。
 受け入れて育ててくれたまちであり続けて欲しいと思うので、そのために私は何ができるか、という思いはずっと根底にあります。

 多様な問題がまちにはあるし、一つの方法で紋切り型に解決できるようなことではなくなってきているので、すごくいい計画をひとつ作るよりも、いろんなアプローチができる人が増えることで、世の中が本当に変わっていくと思っています。
 なので、人が育つ環境とか、まちに積極的に関わる人がどうやって育つんだろうというところにすごく関心があって、今は職場という形で事務所を運営していますが、スクールという形で小さい頃からのまちとの関わりを作っていきたいです。
 まちとの関わりが子どもの頃からあると、まちや社会との関わりが強くなって、自分自身も楽しかったり生きがいを感じたり、専門家じゃなくても、暮らしている人ひとりひとりのボトムアップでまちが良くなると思います。
 そして、積極的に他者と関わるような人材がもっと増えたらいいと思っています。どんなことがあれば他者と積極的に関われるのか、そんな人材が育てられるのかと、とても興味が湧いてきます。

記者:これから、人とまちが一緒に育っていくのが、楽しみですね。本日は貴重なお話をありがとうございました!

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杉本さんについての情報はこちら

株式会社ワイキューブラボ Webページ


■編集後記
今回インタビューを担当しました、岡田と平井です。
女性として、母親としての働き方、そして大阪の魅力についてたくさんお話を聞くことができました。ますます大阪を盛り上げて元気にしていきたい気持ちが湧いてきました!
今後もますますのご活躍を応援しています!

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この記事はリライズ・ニュースマガジン“美しい時代を創る人達”にも掲載されています。


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