巫女と龍神と鬼と百年の恋 ④

 異変に気が付いていない村の人は居ないはずなのに、沈黙を貫いていた理由を私は知らない。
 
奈々がまたしてもお祈りをしているときにひょっこり顔を出したのは前回から二週間くらいが過ぎてからだった。
「おいのりしてるの」
 普段はニコニコしている奈々の目元には生気が薄っすらとしか感じられなかった。ちょこんと隣に座り込む奈々を私は抱き寄せるようにしてその頭を撫でていた。
「りゅうじんさまはおこっているの」
 夢に出てくる寂しがり屋の神様のイメージが強い私はその問いかけに直ぐに返事をすることが出来なかった。人が苦しむ姿を見るのが好きなようにも見えない。仮にも神として崇めている村を根絶やしに居しようとするだろうか。
 確かに村人達の信仰心は薄れている。私の力を恐れているのが理由であるにしろこのままにしている訳にはいかない。
「神様も忙しいんじゃないかな」
「あめがふらないのも」
 年々減ってきている雨量。川が氾濫しても甚大な被害が出るが日照り続きでも問題がある。
「かみさまがおこっているから、うめられたのかな」
 数日前、奈々の弟が息を引き取ったのを思い出す。収穫が減ってきており、村人にも影響が出てきている。
 ポロポロと大粒の涙を流す奈々が私に抱き着いた。
「ちちもね、ないてたの。それなのにつちかけてたんだよ」
 巫女として私が至らぬから、龍神様に必死に祈りを捧げていても声が届かないのかもしれない。異形のモノが視える力を持っていても届かぬものなのか。
 500年前に村を救った少女の話を思い出す。腹が空いたと泣いていた時に聞かされる昔話。神がお怒りのため自らの命を差し出した勇敢な少女。
「おきたらたいへんだからずっと、みてたらねちちがおきないっていうの」
 抱きしめてあげることしかできない。どう奈々に言い聞かせていいのか分からない。輪廻は巡る。生まれた弟のことをとても喜んでいた奈々。村の中で噂が流れ始めているのは侻から聞いている。『龍神様がお怒りになり、雨を降らさないのだ』。
誰がそんな噂話を始めたかは分からないが、同じく昔話も引き合いに出し、龍神へ人柱を捧げれば雨は降ると。
「ここにくればかみさまにあえるんだよね、あめふればタロウはおきるんだよね」
 雨が降ったとしても、もう一度弟会えることは無いと言えるわけもなく、私は奈々が泣き疲れて寝てしまうまで抱きしめていることしかできなかった、
 小さな奈々は、私に人として大切な感情を無くさないで居させてくれた大切な子。貴女が泣き止むのなら私は、きっと妖達が嫌がる決断だってしてしまうわ。
 夢に出てくる神様が村を守護している神様と同一ならば一つ言ってやりたいこともある。私は泣き疲れた奈々を抱きかかえながら桜花達に決断をどう伝えるか考えていた。
 
 
「おかえり細波」
私は桜花の隣に腰を下ろした。誰かの体温を感じていたい、例え人でないモノだとしても。桜花からは微かに桜の香りがして、隣に居ると居心地がいい。
「今日は他の子たちは居ないの?」
 私の質問に桜花はにっこりと笑った。
「わらわ以外の妖怪達は明るい時の活動が苦手な者が多いからのぉ」
 人の感情を読み解くのに長けている桜花は、私が落ち込んでいるのに気づいているだろう。
「ねぇ、人は嘘を平気でつくの?」
「人が嘘をつくのは、人が人である証拠だとわらわは考えているのじゃ」
 私は生活の面でもっと住みやすい場所へ移り住めばいいのではと考えてしまう。大人達は龍神の元へ誰かが行けば救われるから、離れるつもりがないのかもしれない。信仰心は薄れてきているのに。
「桜花は日照りが続いていたときにもここにいた?」
 桜花は一瞬だけ驚いた表情をしたけれどいつもの柔和な笑顔で答えた。
「本当にお主は聡い子じゃ」
 嬉しさと切なさを合わせたような声。
話を聞いてしまったら後戻りが出来ないような予感があった。気付いてしまったら聞かないわけにはいかない。
「知っている事を全部教えて」
 そして私は自分が自らにかした務めを果たす時が来ているかもしれない。
 誰からも必要とされていなくても、巫女としてあり続けようとしている私に残された最後の責務。
 
 
 
「わらわは、以前雨が降らないときにここにいた。どこまで話を知っておる?」
「名乗りをあげた一人の少女が龍神の元へ行ってから雨が降ったって」
 私は釈然としない物の終わり方に疑問を持っていた。身寄りのない少女が居たのなら真っ先に人柱に選ばれてもおかしくないのに、選ばれていなかったのには何か理由があったはずだ。桜花は思案する素振りを見せてから私に問うた。
「名乗りをあげた娘についてなんと聞いておる?」
「両親を早くに亡くして、一人で暮らしていた」
「娘には、細波と同じく妖を見る力があったんだ」
 今の私と境遇が同じではないか。両親がおらず見鬼の才があるという点。
 桜花がギュッと私を抱き寄せた。大切な宝物を抱きしめるかのように優しく、強く。
「細波、これから話すことは別にお主に強制している訳じゃない。選ぶのは自由じゃ」
桜花から語られたのは本当の昔話の結末だった。
 
 
「名乗りを上げた娘には二つの心配があったんだ」
 桜花は話が長くなるからとお茶と茶請けを用意してくれていた。私は手を付けることはせずに桜花を見つめていた。
「娘の悩みの一つは直ぐに解決したんだ。都から力のある女性がやってきてね。後を継ぐと。細波の先祖にあたる者だね」
 言葉を切り桜花は湯飲みをじっと見つめていた。
「自分を大切にしていた妖達をどう説得するか、娘は悩んだ末、生まれ変わったら必ずここに来ること、そして今度はそばを離れないと言ったんだ」
「生まれ変わってもまた来れる保証はないじゃない」
「長命な妖達には娘の寿命が長くないことも薄々勘づいていた。来なければ迎えに行けばいいと考えて皆納得したんだ。でも娘はちゃんと約束を果たしてくれた」
 桜花が私の手に己の手を重ねる。
「細波、お主は娘の生まれ変わりじゃ」
「嘘よ、いきなりそんなこと言われても信じられないわ。第一私は前世の記憶がないもの」
 桜花達に初めて会った時から以前から馴染みのあるような安心感が確かにあった。
「いいや、魂の色で判断しているんだ。記憶の有る無しは関係ない」
 それが本当だとすれば私は約束を破ることになるのか。龍神の元へ行くことは人柱になることだ。奈々のような子がいてはいけない。私はそんな涙を見たくなくて決心したのに。
「わらわは、お主の味方だ。決めたことがあるから娘の話を聞きたかったのだろう」
 歯を食いしばらなければ涙が溢れ出してしまいそうだ。桜花が重ねている手の力を強める。
「わらわは、約束を違えたとは思っておらぬ。責任感の強いお主が巫女として村の人に認められていなくとも精一杯仕事をこなしていると知っている」
「それじゃぁ、桜花話を聞いてくれる?」
 生まれ変わりと言われてどうしていいか正直分からない。
 龍神様に逢ったことは夢の中だけだ。前世の夢だと思えない。
 ひっそりと湖の奥底で自分の感情に戸惑って泣いている姿しか知らないから。
 私のお願いに桜花は一つ頷くとゆったりと立ち上がった。
 
 
    〇●〇●〇
「日照りが続くようになった」
「こりゃぁ、龍神様がお怒りなんだ」
「数百年ぶりじゃ、どうすればいいんだ」
 己に火の粉がかかってしまうことを恐れ、肝心なことを誰も口にしない。目に見えて雨が減り始めてから大人達はこっそりと集まり話をしていた。
 結論が出ない集会が本日も終わろうとしていた時にバァンと勢いよく襖が開く。
「話は聞かせてもらいました」
 開かれた襖、私は一人左右に鬼火と一人の女を連れ集会場となっている婆様の家に足を踏み入れる。
「助かるために犠牲が必要なことはここに居る皆さん分かっているはずです」
 十数人集まっていた大人達は鬼火に驚いたのか、村で見たことのない美女を私が引き連れてきていることに驚いているのか、ピクリとも動かない。
 ただ一人だけ、昔話を語り聞かせた婆様だけがゆっくりと頭を垂れた。
「巫女様自らがおいでくださるとは」
「困ったときだけ巫女扱いですか」
 別に怒っている訳ではない。こういう時にしか自分を見てもらえないことが情けなく思っているだけだ。
 桜花は一言も喋らないようにお願いしているため、婆様が頭を下げたことに腹を立てたのか妖気が強くなる。感じない人には影響は無いが、鬼火は怯えたように揺らぐ火が大きくなる。部屋を照らす光がユラユラ、私は婆様の前に仁王立ちした。
 ちょうど部屋の中央に婆様がいて周囲を数十人の大人達が囲んでいた。明確な解決策を誰も何も言わない集会は開く意味があるのだろうか。
「ここへ来た理由を教えていただいても」
 婆様が顔をあげながら、窺うように訪ねてきた。大人達は誰も口を開かない。
私の知っている神様はとても淋しがり屋。
「雨が降らないのは、本当に神様がお怒りになっているからだと思うのですか」
 困ったときは神頼みにすることはある。普段信仰心を表さないのに都合が悪くなると神のせいにしているのが私は許せなかった。
 大人達は私の問いかけにお互いに視線を交わらせるだけで答えようとしなかった。
夢の中に出てくる神様が村を守護しているのだとしたら、淋しくて自分の役割を忘れてしまっているだけなのだとしたら?
 「私が人柱になりましょう」
生きた証を残したいわけじゃない。ただ、桜花に聞いた話が本当だとしたら私が神様の元に行けば何かが変わるかもしれない。
奈々の涙が頭から離れない。人は生まれればいずれ終わりが来るけれど、何もできないまま終わってはいけない。
 婆様が表情を読まれるのを隠すように頭を垂れた。
「勘違いしないでください。私は決して村のための犠牲になる訳じゃありません」
 そう言い残して私は大人達の返事を待たずにその場を後にした。

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