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ただ、「言葉」の可能性を信じていたい。

ひとは、「思い」と「言葉」によって
人格が作られている、とわたしは思う。

「なんとなく生きている」そう言う人が
いたとしても、今日までの道のりの中で
その人の「思い」のもととなるような
考えや感じ方が必ずどこかにあって、
「言葉」を使っていくつもの選択を
してきたはずだ。

わたしは小さいころから今に至るまで、
周囲からはよく「考えすぎだよ」と
言われるほど、なんでもあれこれと
考える性格だ。

その性格は、自分の「言葉」に大きな
影響を与えてきたと思う。

家族以外の人と接するときは、
「こう言ったら相手はどう思う?」
などと会話を先回りするように考えて、
それにふさわしい表現を探して、
やっと言葉にしてきた。

それは、言葉によって
深く傷ついたり、怒ったり、
その反対に涙が出るほど嬉しい言葉で
励まされたり、心が通じたようで
何とも言えない喜びを感じた経験が
たくさんあるからだ。

だからこそ、自分の思いは選び抜いた言葉に
乗せて、相手を想う自分なりの伝え方をしたい
と思ってきた。

けれど、その思いの強さゆえに
人からの言葉もまっすぐに受け止めては
落ち込んだり、いちいちこんなこと
考えてる自分って、めんどくさー。
何か意味があるんだろうか?と
思うこともしばしばある。

✳︎✳︎✳︎

そんなことを考えていた最近。

ランチをしに、Soup Stock Tokyoに
行った時のこと。

何気なく「女川産さんまのつみれスープ」を
注文した。
すると、トレイには注文したスープとともに

「女川産さんまのつみれスープ」を
ご注文いただいた皆さまへ

と書かかれた小さなメッセージカードが
置かれていた。

その中には、東日本大震災のあった2011年から
宮城県女川町とともに毎年期間限定で
このスープを販売してきたこと、
その売上の一部を復興支援に使うという
取り組みについて書かれていた。

そして、今年もその準備をしていた最中に
能登半島で地震が起こったこと。
それを受けて、今年のスープの販売で得た
寄付金は、能登半島地震で被災された方に
届けようと、女川町の方々とともに考えて
決めた、ということが心のこもった言葉たち
によって丁寧に書かれていた。

この取り組みの素晴らしさはもちろん、
こうしてその商品を注文した人に
直接メッセージを伝えるという行為そのものや
思いのこもった言葉のひとつひとつに
引きこまれ、胸がじんわり熱くなった。

そしてそのメッセージを読みながら味わった
スープは、特別温かくおいしく感じた。

もしこれが、メニューや店内POPに
書いてあるだけだったら。
あるいはWebサイトで発信して
いるだけだったら・・。

きっと、伝えることができなかった
この取り組みに力を合わせてきた人たちの
「思い」があったのではないかと思う。

広告の仕事に携わるビジネスマンとして、
言葉や伝え方を大切にしてきた1人の人間として

本当の意味で”伝える”ということは
こういうことだと、ハッとさせられた。

「言葉」の重みや存在は、ひとそれぞれで
自分の中の価値観でしかないけれど、
自分のこの価値観のおかげで
受け取ることができた思いや、
伝えられたこと、繋がる事が出来た人がいた
ということに気づく事ができた。

誰かに感動やワクワクを与えられること、
大切なひとに感謝を伝えられること、
あなたなら大丈夫、と背中を押して
あげられること。

それは全部言葉に宿るパワーだと、
その可能性を心から信じていたい。
そして、言葉を尽くして自分なりの伝え方を
模索していきたいと思う。


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