思いの成仏
7/15 連絡を控える、コミュニケーションを取らない、それが最良の道だと重々分かっているのに、自分の納得の為に、行動に移してしまった。
反省…はしていない。自分の納得の為にしたことなので、相手がどう捉えようが、怒ろうが嫌な気持ちにさせようが、それは相手の問題で、自分には関係ない、と考えるに至ったからだ。
ずっと、何故相手は怒ったのか、何故あの時、相手は笑っていたのか、考え続けていた。時には頭の片隅で、時には頭の中をいっぱいにして、考え続けていた。
たくさんの言葉を読んだし、たくさん考えたし、一人で怒ったり、罪悪感に苦しめられたり、とにかくずっと囚われていた。こだわっていた。
結局私は、自分の気の済むまでとことんやらないと終われない、厄介な人間なのだ。
メンドクサイ部類の人間なのだ。どうせ嫌がられるなら、とことんまで嫌がられればいい、とまではさすがに思ってない(はず)けれど、とにかく自分の問題としてのケリは、着いた。なんというか…思いの成仏?
【参考文献?】
そして11/1、ハロウィンの翌日。
古代ケルトの暦でいけば新年のような節目。
それなのに、成仏したはずの思いは、私の元から去ってくれず、まだ悶々としている。
下記の動画によると、ダニエル・カーネマンという人が発案した「システム1/システム2」という概念があるそう。この先生いわく「システム1の速い思考を使ってしまっているのが、嫌なことを考え続けてしまう原因なのでは」という。
システム2について調べてみると、苦手な言葉が並んでいたので、思い切りよく思考を断ち切れないのが自分という人間なのだと、現時点では、成仏を諦めるしかないのかもしれない。
(前頭前野を使う思考、論理的に考えるとか、数学的に考えること)
https://wasedamental.com/youtubemovie/7693/
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