「What do you think?」と聞かれると、いつも正しい答えを探してしまっていた

聞かれたことにはいつも完璧に答えたい。
期待に応えたい。
恥をかきたくない。
周りの人にどう思われているか気になる。

ずっとそんな風に考えていたわたしが、思わずハッとした体験をお話しします。

わたしが苦しんでいたこと


イギリスの学校に行ったばかりのころ。
高校まで当たり前のように日本の教育を受けていたわたしは、
「参加型」の授業にくるしんでいました。

発表しないと、ディスカッションやディベートに参加しないと、評価してもらえない。
参加するだけじゃなくて、さらにその内容が評価される世界。

クラスルームで自分の意見を問われたとき。
まず、思いつくのは、
正解を答えなきゃ!
ということ。

ただでさえみんなの前で発表するのが苦手なわたしは、
それを英語でやるなんてもう無理!と思っていました。

なんでわたしにはむりなんだろう?なんて、きちんと突き詰めていなかったんです。
というか、半ば英語のせいにしていました。日本語でも苦手なのに。

先生が気づかせてくれたこと


ある日のクラスで、いつものように聞かれました。
"What do you think?"

たしか、Global Politicsの授業で、
発展途上国の難民のことが書かれた記事をその場で読み、考えを発表する内容でした。

どうやったら良い答えになるかな?と焦って考えるわたしに対して、
次々と発表していくクラスメイトたち。羨ましかった。

とうとうわたしが最後の方になってしまったとき、先生と目が合いました。

"I just want to know YOUR IDEA, May.
No one’s gonna judge you.”

そのことばを聞いて、スーッと何かがとけてく感じがしました。

先生やクラスメイトはわたしの意見を聞きたいのであって、それが正解か不正解かなんてどうでもいい。
わたしという人間がどう考えているか、それを求めてる。

よくよく考えると、さっきから発表していたクラスメイトたちの意見のなかには、
ん??
と思う意見もけっこうありました。
なんでそんなことあんなに堂々と発表できるんだろう?

そしてわたしは気づいてしまいました。

わたし自身がみんなの意見を"judge"していたことに。

あのひとの意見はまあまあ、あのひとのはぜんぜん的外れ。あのひとのは良かった

ーーああ。だからわたしは意見を言うことを恐れていたんだ。
自分がジャッジしてたから、相手にもジャッジされると思って。

なんだか気にしてた自分がすごくちっぽけに思えました。
と言うか、実際とてもちっぽけですよね。いまでも恥ずかしいです。

その後の変化


それからすこしずつクラスでも意見を言えるようになって、

今度は意見を言えないでいる子たちのことも、すこし余裕を持ってヘルプできるようになりました。
前のわたしと似たり寄ったりの気持ちを持っている子たち。

けど、発表が得意な子たちはそんなこと微塵も気にしてないということ。

まとめ。

ちょっと考え方を変えるだけで、すこしずつだけど変われたかなと思います。

小さい頃から苦手意識を持っていたことを克服するって、なかなか大変だけど
わたしはこのプロセスが好きです。
わたしは苦手なことたくさんあったので、いろいろと工夫しないといけませんでしたが。笑


こうしてひとつずつシェアすることで、
誰かの琴線にふれることができたら、
そして誰かのなにかのきっかけになれたら
とっても嬉しいです。

わたしのnoteに遊びにきていただき、ありがとうございます♡ ひとつの記事を通して出会えたことが嬉しいです。 何か少しでもお役に立てるものがあれば幸いです。また遊びに来てくださいね!