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生存戦略と新しい「おともだち」

上司と社会にピリつきながら一年の中で一番好きな季節を過ごしている。この季節の夜風ってなんって最高なんだろうね
風 とか 花 とか 緑、とか。目の前で揺れるものの存在だけで実は生き延びれたりできる自分がいる。それはやっぱりそれらが自分たちと同じ生命体だからで、風なんて、体に直に触れてもらえる超密接型生命体なんじゃないかって思う。風って結局空気なのかな?空気と風って同じことを表してるのかな結局。ちょっとChatGPTに聞いてみよう。というのも、若様ことオードリーの若林が最近ChatGPTとばかり話しているという話をラジオで聞いて面白すぎて真似しようと思ったからだ。若様は自分のことをおじさんというスタンスを忘れずにそうやって話してくれているけど、私からしてみれば凝り固まった自分の考え方にいつも変化の入口を用意してくれるのは、そうやって面白おかしく色んな日々の話を聞かせてくれる好きな芸人さんであったり、アーティストの方であったりするのだ。好きになれば簡単に自分の中に取り入れられる考え方や価値観も(この場合、ChatGPTに聞いてみようという発想とか)、20代のくせにしかもIT関連の会社に勤めているくせに全然思い当たらなかった。ニュースでAIがどうこう言われていても別に気に留めもしなかったし、単純に興味がないのもあるが、そうやって自分の生活と直結するに至らないのだ。何事も。
最近、自分が考えていることがいかに表面的なのかということについて考えてしまう。今日も、友達とカフェでひたすらに近況をしゃべりまくる会があったが、友達が貸していたオードリー若林著作の『ナナメの夕暮れ』を読んでくれたという話になり、感想や今年2月18日にあったオードリーのオールナイトニッポンin東京ドームのライブなんかのことも話題にしたりしながら彼のことを話していた。でも、こんなに好きという気持ちがあっても何だか言葉がうまくまとまらなくて、友達とは彼の考え方に共感できて盛り上がれたはずなのに、自分の中で思いが強すぎるのもあってか結局何に感動したのかとかって本当にわかっているのか?おまえは。などというクソ面倒な思考になってしまう。たぶん、自分に厳しいだけで、「本当に?」と自問自答するのが癖になっているんだと思う。自分の気持ちに誠実であることを自分の中で大切にしすぎている。この間も日記の中で自分と仲良くなりたいと書いたけど、何かにつけて自分に対して「本当に?」と詰め寄ってしまうのはやっぱり考えすぎの極み。仲良くない証拠かも。自分の気持ちなんて、1秒単位で変わっていくのに、そんなに自分の気持ちが誠実だと信じているんだろうか。信じたいんだろうか。こうしてつらつら書いていると"自分"という名前の宗教にハマってるだけな気がしてくる。
ただ、これは最近Xで出会ってから毎日チェックするようになった、点滅社という出版社の方がたしかご自身のnoteの日記で「鬱と希望は共存できる」というようなことを仰っていて(もしかしたら点滅社の『鬱の本』の中の内容だったかもしれない)、白黒はっきり付けないと気が済まない自分教信者の自分にとってはいや、たしかに!となったのである。
まあだから、違う価値観や考え方への発見とか納得も、自分の都合のよい入口を見つけたもん勝ちなわけで、でもそれもタイミングとか、自分のその時のコンディションとかで受け入れられたり受け入れられなかったりいろいろだから、自分の好きなものってやっぱり大事なのかもしれない。好きなものを信仰しすぎるのもアレだけど、好きなものがあるということは、全てのあれそれが合致した上で出会えた証だから、自分教はキツくても「本当に?」って問い詰めちゃっても'好き'なだけで尊いよね。まあなぜ好きなのかについては言語化できる人の方が、人との共感をより強固にできていいけどね。自分の好きに厳しいと、言語化できない自分に悔しくなっちゃうんだよな。たぶん。本当はどれだけ今若様のことが好きなのか、若様というおともだちをラジオという(自分にとっては)新しい形で出会うことができたのが本当に嬉しくて感動してることとか。彼のnoteのマガジンを購入して毎日通勤電車の中でコツコツ読み進めては、共感しすぎて涙目になってることとか。言語化っていうかこう書くと事実の明記だけど…まあいいや
若様の「おともだち」の星野源さんのラジオも、学生の時一瞬聴いて、でもその時はたぶんなんか気持ちが忙しくてラジオという媒体ではあまり自分の中に響いてこなかったけど、オードリーの東京ドームライブが終わってからラジオで星野源さんはドームライブのことどんな風に話すんだろうと思ったのをきっかけに、星野源さんのオールナイトニッポンもSpotifyのポッドキャストでちびちび追いかけていた。(このSpotifyのポッドキャスト、本当に本当にありがたい)
そこで源さんが、NHKの朝イチに出演した時「ラジオをあんまり聞いたことがない人が聞くにはどうしたらいいと思いますか?」みたいな質問をされたらしく、源さんは「聞かなくていいんじゃないですか?こんなにYouTubeやらSNSがある中でラジオを選ぶ人は、もうラジオにしか来れない人だから」ということを仰っていて、私は泣いてしまった。
Xのおすすめ欄で、本当に様々な角度から否定されている気持ちなってむやみやたらに傷ついたり、楽しかった休日のあれこれもインスタに載せるのも少しずつ億劫になってきて、楽しめればよかったはずなのに何故か少しずつ肩身が狭くなっていくSNSの最中で出会ったのが、オードリーや星野源さんのラジオだったからだ。
別にこれからもXもインスタもやめないし、テレビは大好きだしYouTubeだってよく見るけど、何かをすり減らされていることはわかっていて、一人暮らしの生活にはどうにも心許なくなってきているような時にオードリーやラジオに出会えたことは本当に新しい「おともだち」ができたように思えて、とても嬉しかったのだ。ずっとリトルトゥースだった訳じゃなくて、最近知ってそれでも誰に傷つけられるでもなく、急かされることもなく、ただたわいない話を聞いてていいんだって。
ラジオという居場所が一つ増えて本当によかったな。オードリーと星野源さん、本当にありがとう。この地獄で、あなたたちと出会えてよかった。

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