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【雑記2】さよなら、またどこかで。

大学時代に私ができるようになったことの1つとして、『別れ難い人と一生会わないかもしれないと自覚をしながら別れること』があげられる。

それまでの私は生きている限り、自分が会いたい時に会いたいと伝えることができれば、また会うことはできると思っていた。実際、できるかできないかでいえばできることだろう。

しかし、そんな私にももう一生会わないかもな、と惜しみながらもお別れをする機会があった。それが、昨年の夏に行った銀山温泉のリゾートバイトだった。

私は初めてのリゾートバイトとして、寮が個室であり、期間が短く都合がいいという理由だけで銀山温泉にある小さな宿で仲居として10日ほど働いた。
そこには、約13名ほどのスタッフが働いていた。人数が少ないこともあり、10日間の出勤でも被る人はほぼ同じ。仕事内容をはじめ、経歴や恋愛、夢についてなど個人的なことまで多くの話をした。
特に嬉しかったことで言えば、私の欠点の1つである、真面目で冗談が聞かずつまらないという点を受け入れ、それを踏まえて会話を盛り上げ、私を大いに可愛がってくれたスタッフがいたこと。小さな可愛い仲居さんが働きながら追っている、叶わないかもしれない夢を教えてくれたこと。

最終日の夜の帰り、別れ道で少し長い立ち話をした。そこで初めて、もう一生会うことはないということを意識した。住んでいる地域は遠く、仕事が宿泊業ということもあり、いつまでもそこで働く可能性も低い。さらにそれぞれが今を生きると同時に様々な未来を思い描いている。仕事上の関わりのため、SNSを聞くこともはばかられる。なんの繋がりも残らない一生の別れだった。

その後も数は多くないが、同様の別れがあった。他の土地でのリゾートバイト、大学の友人、お互いに思いを伝えられずすれ違った人。

これを機に考えたことは、終わりがあるから始まりに意識を向けることができること、そして、いずれ別れはあるにしろ現状最も長く一緒にいられる可能性がある人はパートナーであることだった。

私が思っていたよりも、一生を覚悟する別れは前向きなものだった。
例え二度と会えなくとも、共有した時間を土台にそれぞれが違う場所で同じ時間を懸命に生きている。ふとした時、当時の気持ちを思い出して懐かしい気持ちに浸り、前に進めていると実感できたら十分だ。

同じ思い出を胸に、もう会うことのない人たちがそれぞれの場所で同じ時間を幸せに生きていますように。
また偶然、お互いの人生が交わることもあるかもしれない。その時は少し、思い出話に花を咲かせられたらと思う。

さよなら、またどこかで。


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