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多感な時期と僕だけの音楽

なぜ、僕のような60歳近いおじさんが70年代や80年代の洋楽ばかりを好んで聴くのかいろいいろと考えてみました。

10代の終わりから20代というのは、実家を離れ独りの新しい生活を迎え、今まで体験していなかった事に多く触れ、なにかしら影響されたからではないかと思うんです。あまり斜めに物事を捉える人ではなかったので、常に「へぇ~凄いね!」が口癖だったかと思います。よく田舎者と馬鹿にされましたが、それもまた嬉しかった。そのときはすれ違っただけなのに、時が過ぎれば勝手に自分の中で美化され、まるで事実であったかのような記憶にすり替わる。

 なにせ携帯やスマホなんか無いわけですし、デート場所を間違えて伝えて御縁まで切れることもあれば、片思いと分かっていても手紙の返事を3週間も笑顔で待つことが出来た時代です。「もしかしたら彼女は入院してるかも!」「いや、実家に何かあって帰省しているんだ、きっとそうだべ」待つ幸せというものを今どう伝えていいのか分かりませんが、男として生まれ妄想もできない不憫な奴にはなるな、と。

あの頃、一緒に音楽が傍にいてくれていたので、今聴いてもあの頃が蘇るんです。その記憶が事実であったかどうかなんて実はどうでもよく、そのとき生きた自分の時代は無意識に消化できていて次の時代を迎える。ただそれの繰り返し。そりゃぁ誰にだって辛いことは体験するわけですが、音楽とその時代の記憶の中ではイランもんは消し去ってくれるんです。

当時は、レコードを買うお金はそんなにありませんでしたので、もっぱらFENを聴くかアメリカに住む従弟からラジオ番組まるごと録音されたカセットテープを送ってもらいウォークマンで聴いているわけです。

田舎には無かった街の喧噪まで蘇り記憶に光がさしてきます。
渋谷のホブソンズでミーハーな学生たちと寸分違わないレタード・カーデガン、スタジアムジャンパーを着て並び、後ろにいたキンピカナなネックレスをしたぬりかべのような妖怪に「うるせー!」とひどく叱られたこと。
スウエンセンズで仲間とコイットタワーやドリアを食べた事。大して用事もないのに東急ハンズの中二階、中三階のような小分けされた店内が好きだったことと、男のくせにコップひとつ買うためにパルコにあったオレンジハウスの棚を隅まで物色していたこと、
いやぁ、どれも大したことないなぁ・・。

大学の図書館の本の臭い、気なる人をみつけたとたん黙読できず同じ行をさまよっていたこと。バイト先のシンクの下を必要以上に綺麗にして褒められた事。終電間に合わず原宿駅から代々木八幡まで歩いて帰る途中のまるで夜のセントラルパークのような代々木公園。
あれはホントに美しかった。

「昔は良かった~」のではなく、もう二度と同じ体験が出来ないと知っているから美しいんですよね。


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