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まあるく、柔らかく、しなやかな矢を。

だれかの何気ない言葉が、自分に矢のように突き刺さることがある。
たとえそれが、自分に向けて放たれたものではなかったとしても。
たとえそれが、正論で、誠実なこころからのものだったとしても。
ふと耳にしてしまった瞬間。
目に留めてしまった瞬間。
その言葉は、これまでの誇りや努力や自尊心や見栄や、そんなもろもろでできたちぐはぐな薄い鎧をいとも簡単に突き抜けては、こころの芯まで無慈悲に射抜いてしまう。

ぼくはなんと、ちっぽけなのだろう。

だれかに思い切り殴られたほうが、まだましだと思ってしまう。
言葉にはそれくらい、大きな力があるから。

そんなときは、どうすればいい?
気の済むまで、暗い部屋で膝を抱えていればいいのだろうか。
貫かれたこころが癒えるまで、包帯を巻いておけばいいのか。

わかってると思うけどね。
答えは全然、そんなことじゃない。




やっぱり、自分を強く持つこと。
答えはそれしかなくて。

それってね。
これが自分だ、っていう信念を貫く。
っていうことじゃなくて。
影響されること。
受けとめること。
人と関わること。
それらをいとわず、変わることをも、凹まされることをも恐れないっていうことなのだと思う。

これまで夢中で頑張ってきたこと。
こころをこめて、綴ってきたもの。
それらはきっとどれひとつとして無駄なものなどなくて、全部が全部、ぼくらの生命になっているはず。
それは、全肯定してあげる。
無駄なものなど何もないって、ちゃんと自分をわからせてあげること。
その上で、自分をつよく持つ。
影響される、受けとめる。
人と、関わる。
そこから、目標づくりやなりたい自分を探す旅がはじまるんじゃないかな。

そう思えたら、1年後も2年後も、今よりすこし、希望が持てる。
そんなふうに、思うんだ。




だれかの何気ない言葉が、自分に矢のように突き刺さることがある。
ぼくらはもう、それを知っているから。
自分の何気ない言葉が、だれかに矢のように突き刺さることがある。
それもきっと、知っているはずなんだ。

どんなに気を遣っても、意図していなくても。
ときに言葉は人を無慈悲に射抜いてしまうことがある。
それは、避けられないこと。
だけど。
それを怖がっていたら、何も生み出すことができなくなってしまう。

だから、ぼくらの矢は。
まあるくまあるくしておこう。
柔らかく、しなやかなものに、しておこう。
大丈夫。
射抜かなくたってきっと、だれかのこころに届くから。

まあるく、柔らかく、しなやかな矢を。
弓をつよく引いて、力いっぱい、空に向かって放ってみよう。

そう、これまでと、同じように。
届け!と願って、力いっぱい、放ってみよう。







おわりに。

一顧の価値もないようなこころない言葉は論外として、ときに本質的な言葉や正論過ぎる正論、自分を見透かしたような言葉に出会うことがあります。
そんなとき、ぼくもだいたい目を覆いたくなります。
聞きたくない、知らない、関係ない。
そんなふうに、逃げたくなる。
でも、そういう人の言葉って、じつはとてもありがたいものなんですよね。
出会ったときは動揺してしまって、心中穏やかではいられないかもしれない。
でもすこし時間を置いて、ゆっくり考えてみる。
そうすると、思いがけないヒントや力になったりすることが多い気がしています。
そう。
すこし時間を置いてでも、ちゃんと向き合うことができるかどうか。
で、影響されることを受け容れられるかどうか。
自分をつよく持つというのは、そういうことなのかもしれません。

そう考えると、他者の存在ってほんとうにありがたい。
人と関わることが苦手だと、ぼくも毎度毎度書いていますが、それでもすこしは努力しています。
前回の記事も、ぼくにとってはチャレンジでした。
みんなに共感してもらえて、うれしかった。
背中を押してもらえた気がして、勇気が出た。

だから頑張れるんだよね。
みんながいるから。

本日もさいごまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
日曜日、東京は今ちょっと雨ですが、気持ちのよい一日になりますように。
note酒場いかれる方、楽しんできてくださいね!
今日はきっと、人生を変える出会いを果たす人がたくさんいるんじゃないかな。

それでは、また。






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