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だからスキを手渡したいんだ week21

深い夜からこんばんは、だいすーけです。
その週に読んだnoteのなかからいくつかの作品をピックアップしてご紹介するという取り組みをしています。今回はその21回目。

自分のスキをしっかり表明すること。いささか抽象的ではありますが、このことを今年の目標に据えています。
今週もたくさんのnoteを読みました。で、たくさんのnoteにスキを押しました。毎度すんなり選べないし、ご紹介したくてもうまく言葉にならなくて諦めてしまうものもあります。試行錯誤しながら取り組んでいますので、是非お付き合い頂ければと思います。

それでは。
今週のスキnote、ご紹介します!






わたしも弱い人間だから「権力」が怖い / yuki ota さん

努力に努力を重ねて、ようやく手にした「権力」。組織や場所の大小はあれど、経験のある方も多いのではないかと思います。それを手にすることで、できるようになることがある。人に認められて、その分報酬も上がる。それを手放したくないし、強くありたい。弱い自分を、見られたくない。
だからこそ、ときに(無意識に)つかってしまうことがある。「強い(はずの)自分」を、守るために。

その一方で。
ただの一般人である私もたくさんの「特権」を持っている、とyuki otaさん(はじめまして!)は書かれています。文章が書ける、本を読める。大学にも行けたし、インターネットもつかえる。そんな、様々な「特権」。
これらの「特権」について、みなさんはどのようにお考えになりますか。大げさだと思いますか。無理もありませんよね、これらの「特権」に、人に強制力を伴うような「権力」が宿っているわけでもありません。
でも、otaさんは続けます。これらの当たりまえに見える「特権」を、きちんと自覚していなけれないけないと。

そうしないと知らないうちに、誰かを差別したり傷つけたりしてしまうから。

これって、無意識に「権力」を振りかざしてしまうことと構造的には同じことだと思いませんか。「当たりまえ」と「権力をふるう立場」。その思いこみが、人を盲目にする。
自分の持っているもの(=特権)を自覚することで、自分自身を把握できるようになる。ひいてはそれが、差別や人を傷つけることのない場所づくりに繋がっていく。

自分の持っている「特権」探し、みなさんもいかがですか。機会を見て、考えてみませんか。


この先の道は、どこへ続くのか / 百瀬七海 さん

870日連続更新だった。
1639記事。

「noteの毎日更新」というものを経験したことがない方にもお分かりいただけるのではないでしょうか。これが、どんなに大変なことかということが。
七海さんが続けてきたnoteの毎日更新。フォローさせて頂いてから2年くらいでしょうか、毎日のように七海さんがその数字を積み上げていくのをぼくも見ていました。
毎日更新が途切れてしまったのは、書いているnoteのための調べものをしているうちに、寝落ちしてしまったから。これまでも、七海さんが「百瀬七海であるために」書き続けていく。そう仰っていたのを憶えていました。だからこれは、相当なショックだったと思うのです。だって、止めようと思って止めたのではない。ちょっと、寝落ちしてしまっただけ。

毎日更新を経験された方はお分かり頂けると思うのですが、毎日書いていくことで、そのかわりに失っているもの(代償というか)が、あると思うんです。あたらしい試みや、より推敲に推敲を重ねた作品づくり。そのための、準備の時間。どちらがいいという話ではなく、日数を積み上げれば積み上げるほど、それらを天秤にかける余裕がなくなっていく。いつか毎日更新が途絶えたとき、積み上げた分だけぽっかりと穴が開いてしまう。ロスのような燃え尽きてしまうような、そんな感覚に包まれてしまう。
そんなふうに七海さんのこと、心配しました。
でも。

もう10年以上、私は百瀬七海と付き合っている。
だから、誰よりも私が百瀬七海を好きで、これからも変わらず書き続けていきたいと思っている。

こう書いてくれて、ぼくはとてもうれしかったです。この870日の経験が「百瀬七海」をどこまで高く押し上げるのか。ぼくは引き続き、それを近くで見せて頂きたいと思っています。
七海さん、これはnoteでの、ひとつの区切りですね。たいへん、ほんとうにたいへん、お疲れさまでした。


135gが持てなくなるまで / 田所敦嗣 Atsushi Tadokoro さん

ついているスキの数からもおわかりだと思います。お付き合い頂いているみなさんも、すでに読まれた方が多いのではないでしょうか。

13歳、中学2年生の田所さん。春、転校をした先ではいった野球部。そこで出会った「天才」が、チームのエースピッチャー「ヨシアキ」だった。

彼の投げるボールはまるで重力が存在していないかのように、マウンドから真っすぐな糸を引いた。

タイトルの意味を考えながら、読み進める。
「135g」。きっとそれは、ボールのことだ。「持てなくなるまで」。だから、「ヨシアキ」の身に何かが起きる。転校当初の「あるある」に頷きながらスクロールした手の動きが自然に止まって、ぼくはそれを覚悟しました。

ここからはぼくの感想文です。スキnoteのご紹介、というよりは、このnoteを読んで感じたことを書きたいと思います。

このnoteの「すごい」と思ったところは、「余白」でした。友、そして憧れの存在。その生命の喪失と、遺された約束。淡々と描写される、一つひとつの場面。そこには、「悲しい思い出」だとか、「人生の忘れられない1ページ」だとか、そんな言葉は一切なくて。見た目にスペースの多い文章なのに、その「余白」に力づよく一切の情景が詰め込まれている。文字として書かれていないものが文字として書かれているものよりも雄弁な気がして、その部分にただ圧倒されました(「余白」で語られる物語、それは田所さんのほかのnoteを読んでも感じたことです)。

読み終えてからヘッダーの写真にまた目を移して、(文字と)「余白」から受けとったものと重なりました。

空気を切り裂く豪速球を投げ続けた男との約束は、25年が経った今も守っている。

分けて頂いた大切なエピソードに、感謝したいと思っています。


20年ずっとは愛せなかったけど / 深澤佑介/yusuke fukazawa さん

今日は20回目の結婚記念日になる。

深澤さん、まずは、ご結婚20周年おめでとうございます。当たりまえですが、読む前にタイトルを見ました。しあわせな20年でした、のひとことで済む時間だけではなかったことは、よくわかりました。

スキnoteの紹介文としてはどうかと思いますが、ちょっと個人的なこともあわせて書かせていただきます。
ぼくは深澤さんと同い年で、まだ結婚して10か月で、子どもはいません。同じ時間を生きてきた人間としてちがいすぎる人生。41年の人生の、すでにその半分をともに生きた人がいる。しかも、ふたり。
20代の頃を思います。成熟なんて微塵もしていなかったし、身の程も知らなかった。日々をそれなりに一生懸命生きているつもりだったけれど、ふり返ればどうにも雑だった。褒められた時間じゃなかった。
だから、有無を言わせず守るべき家族がいる状況に身を置いた20代(と30代、今と、これからもですけど)、ちょっと伝わらないかもしれないけれど、そこに流れた現実がどれだけ人としての厚みに繋がっているのだろうかと、想像しています。
みなさんはいかがですか。20年という時間を自分がつくった家族と過ごした経験のある方もいらっしゃると思いますが、その苦労としあわせは、どのようなものですか。大事な人生のチャプターですよね。もしくは、人生そのもの、でしょうか。いずれにしても、端的に語れるものでもない。

20年の節目に思うのは再始動と言ったところだろうか。

「20年ずっとは愛せなかったけど」、この節目を、再始動にする。

20年の節目は夫婦としての成人式みたいに。

人生40年、パートナーを得て、(親になって、)20年。大きな大きな、人生のマイルストーン。
ご結婚20周年、おめでとうございます。


1日1シェアを始めて / 七志野さんかく さん

好きなものは、シェアしたい。そう思うからぼくもこの取り組みを続けているわけですが、ここにお仲間を発見しました。七志野さんかくさん(はじめまして!)。

先日ふと思い立って、「1日1回、その日に読んだnoteをツイッターで紹介する」ことを始めました。

読んで、スキ押して、シェア。もちろんぼくのようにnoteでのご紹介も含めて、その一連の流れを日常のこととして行っている方がここにもいらっしゃると思いますが、いかがですか。そのはじめたきっかけやモチベーション、マイルールとか。実際、そんなの決めてないよ、ゆるくやってます。あくまで個人的な意見ですが、そういった方がほとんどだと思います。そして、ぼくもそれがいいと思っています。

疲れている日や他のことを優先したい日には、その気持ちに従うつもり。

続けるためには、これ、大事なこと。
「目的と手段がすり替わる」ことは避けたいですよね。シェアするために読む、に、気づかないうちになってしまうこと。仮にそこにたいして自分が納得できる理由があるのならもちろんそれでいいと思いますが、気持ちよくできなかったらそれは逆にストレス。

日に日に増えていく、noteユーザー。ひと昔前に比べても、自分の書いたものが多くの人の目に触れるのはかんたんなことではありません。だからなおさら、「このnoteよかったよ!」、それを発信すること。それってとても、価値のあることだと思っています。
こんなふうに書いてしまって、プレッシャーになってしまったらすみません。どうか楽しくシェアを続けられますように!



「だからスキを手渡したいんだ week21」、今回も5つのnoteをご紹介しました。いかがだったでしょうか。まだ見ぬスキに出会えた方がいらっしゃったらうれしく思います。


すこしだけ、後書きを兼ねてちょっと所感。

たった今七志野さんかくさんのところで書いたばかりですが、noteユーザーの数ってひと昔前に比べると段違いに増えていますよね。
そんな中で読まれようと思ったら、一筋縄ではいかない。もとから知名度のある方ならまだしも、大部分の方はそうではないはず。読まれてこそ書く楽しみだとは思わないけれど、書いても反応がすくないことを理由に離れてしまう(=続かない)人は一定数いると思うんです。
ここにご紹介するのに、敢えてそういう方ばかりを探そうと、ぼくは特別思っているわけではありませんけどね。これはぼくの義務ではないから。でも、やっぱりはじめましての方にもたくさんお会いしたいんですよね。「発掘」なんておこがましいことではなくて、その存在に気づいていない、気づかれていない人同士がつながるきっかけ、それを提供できる可能性があること。そこに、「スキnoteご紹介」の魅力はあります。

正直に言うとですね。
とっても大変なんですこのnote。
でも、ランニングやロードバイクに乗ることに感覚は近いと思っていて。最初は何となく腰が重いんです。仕方なく走り出すんです。でも、のってくるとこれが不思議で何ともたのしい。で、心地よい疲れがあって、次回はもうすこしだけ呼吸が続く。長く走れる。体力がつくんです(念のため書きますけど、できてるかどうかは別の話として)。

長くなりましたが、くり返す先に、何かがある。それがわかっているから続けられる。そんなふうに、今は思っているところ。
まとまりませんが、だからまた、次回以降もよろしくお願いします。


さて。
それでは今回は、このあたりで失礼します。
お付き合いありがとうございました。
みなさんにとって、うつくしい週末になりますように。
それでは、おやすみなさい。






このシリーズはマガジンに収録していますので、よかったらこちらもご覧くださいね。






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