好き。を重ねた先の景色が観たい
赤子の頃の僕は、並べられた「財布」「筆」「そろばん」の中から「筆」を選んだらしい。自分の将来を暗示しているようで、我ながら誇らしい。というか、赤子の頃からの直感も意外とバカにならないというべきか。
ともかく、僕は日ごろから使う「言葉」に人一倍愛着を感じている。さらに言うと、自分の取り込んだ言葉、発信する言葉には愛情を注ぎたいと思っている。なぜなら個人的にはその人の発する言葉にはその人が宿る、と考えているからだ。その愛情の深さは「『偏愛』という言葉を知らない人が、僕の言葉への愛情を見て『偏愛』の概念を悟るのでは…」というくらい深いと思う。
あと音楽も結構好きだ。昔はそれほどでもなかったと思うのだが、今では「NO MUSIC, NO LIFE!!」とタワーレコードもビックリのパクり発言を恥ずかしげもなく言えるくらいには好きだ。
それから、忘れてはいけないのが「お笑い」だ。これはあまりおおっぴらにしているとすべからく周りの人がドン引くレベルで好きなので、多くは語らない。
大きく分ければ僕の愛情は3つに注がれるのだが、細分化すると好きのラベルは無数に貼られていって、僕が出来上がるんだと思っている。何が好きで、何が嫌いで、何に心の琴線が触れて、何に喜びを感じるのか…それらを通じて、僕は「僕」を感じるし、それらを知ることで「僕らしさ」が生まれるんじゃないかと思う。
そんな僕によって紡ぎ出されたものが、少しでも世の中の役に立てば、これ以上幸せなことはないと思う。僕の好き!が集約されて、僕の言葉として発せられて、たくさんの人から「良いじゃない」とか、「明日も頑張るかー」なんて言ってもらえたら生きてて良かったなぁと思える。
だから僕は、自分の好き。をもっと積み重ねたい。好き。が増えれば自分の豊かさが増すと思う。その延長線上に「温度の伝わる言葉」が待っていると思うから。そうして数億通りもあるだろう言葉の組み合わせから、誰かを温められる言葉を選び取れるようになりたい。
これからも言葉を筆頭に、好きなものを愛する。それを忘れずに生きていくし、言葉を紡いでいく。その未来に誰かが(たとえばあなたが)上がった体温と共に新たな一歩を踏み出してくれることを願って。
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