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父親との思い出#4

noteを始めてから父親との思い出を書いてきたけど、今回で思い出シリーズは一旦最終回になると思う。

大学時代から社会人に成りたての頃は少し関係が悪くなったりしたが、そこから徐々に改善し、僕がマレーシアと日本を行き来しだしてからは飛躍的に会話が増えて色々なことを話すようになった。
仕事の話だけでなく、実家に帰ったときはお酒とともにTVで野球観戦しながらあーだこーだ言うのが楽しかった。

前職を辞めて独立する!って決めた時も父親は「おお、そうかぁ」と特に何も言われなかったし、ちょっとだけ嬉しそうだったのを覚えている。

独立してからは、「会社の状況はどうやねん?」と実家に帰るたびにと聞かれて「あぁ気にかけてくれてるんだなぁ」と思っていた。

そんな頃からちょっとずつ、父親の体は悪くなっていった。
最初に悪くなったのは足。
ヘルニアのひどいやつ(坐骨神経痛)みたいなものになって、とにかく歩くのが痛いと言い出し、そこから次第に階段の上り下りなどは手助けが必要になるようになった。
もちろん病院に行って手術もしたけど、そんなに良くはならなかった。

そんな中、小さい頃は家族で旅行にほとんど行けなかったのに、大人になってから、うちの家族+下の妹家族+弟家族+父親&母親の計13人で旅行に行った。
その後に更に体が悪くなったので、結果的に家族みんなでの最後の思い出はこのときの旅行になる。
半ば強引に決めた旅行だったけど、今考えてみるとこれは正解だったと思う。お通夜や葬式のときにも「あの時旅行しといて良かったなぁ」ってみんなで話していた。

ぶっちゃけ行き先はどこでもよくて、家族みんなで美味しいものを食べて、美味しいお酒を飲んで、父親も僕たちも宿泊先で盛大に酔っ払った楽しい旅行だった。

その後に軽い脳梗塞を起こし、それをキッカケにちょっとずつ悪くなっていった。

父親は僕が物心ついたときからずっとずっと自分はもちろん家族のために働いていた。僕が子供から大人になり、社会人になって、ええ大人になり、父親自身に孫が生まれてじいちゃんになって体が弱っていっててもずっと働いていた。
ずっとずっと社長だった。

さすがにマズイということで、およそ1年ちょっと前に父親から弟に社長交代して、自らは会長になったのだが、本人は弟に交代したことは認識できていなかったかも知れない。
そんなギリギリの時までずっと社長で居続けた人だった。

そんな父親は魚がめちゃくちゃ好きだった。特に刺し身にはうるさかった。
下手な飲食店に間違えて入ってしまうと素材に関してブツブツとずっと文句言ってて母親に怒られるというシーンをちょくちょく見た。

そんな魚好きな父親に小さい頃に焼き魚の食べ方を教えてもらったことは今でも思い出す。
「骨をこういうふうに取ったら食べやすいんやで」とか「この魚はこの部分がめちゃくちゃ美味しい」とか色々教わった。
それを僕は大人になっても覚えていて、教えられた通りに魚を食べると、ちょくちょく「めっちゃきれいに魚食べるな!」と驚かれることがある。
結婚した嫁さんの実家でも言われたこともある。
これは完全に父親の教えのおかげ。

とにかく食に関してはうるさい人だったけど、近年はその大好きな食事を自分では出来ないくらいに弱っていた。
そんな姿を目の当たりにしていたので、亡くなったことは本当に悲しいことだけど、父親が亡くなったという一報を受けて「あぁこれで美味しいものを好きなだけ食べれるようになるな」と思ったのも事実。

僕の祖父から当たり前にように会社を継いだ父親は自分のためだけの時間がほとんど持てなかった人なのかも知れない。
本当にギリギリの限界まで働いていたんだと思う。

天国ではどうか自分のためだけに時間を使って欲しいと思います。
本当にありがとうございました。
あなたの子供で本当に良かったと思ってます。






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