
友達って結局なんなんだろうか
小学生の頃、よく何人かの友達を家に呼んで遊んでいた。
漫画を読んだりゲームをしたり、結構色々なことがあったけど何をして遊んだかという楽しい思い出よりも印象に残っていることがある。
たしかあの時私は『あさりちゃん』を読んでいて、その友達(Fちゃんとしよう)は何か別の遊びをしていた。
私は漫画を読んでいて面白いことがあるとすぐに誰かに共有したくなる癖があって、その時もたしかあさりちゃんで笑えるシーンがあったのだと思う。
「ねえ、Fちゃんちょっときてよ!」と声をかけてFちゃんにあさりちゃんの面白いシーンを教えようとしていたのだが、それをたまたま見た母が私にこう言った。
「友達はおもちゃじゃないんだからやめなさい」
正しいと思う。
友達はおもちゃなんかじゃない、血の通った1人の人間である。(なんかこういう言い方がもう良くない感じがするのは私がこの件を客観的に処理しきれないからである)
そうじゃなくて、私は無自覚に友達をおもちゃだと思っていたのか。
そのことが結構ショックだった。
じゃあ私は友達をなんだと思うのが適切なのだろう。
この問題はあまり解決できていなくて、私は今でも友達付き合いについて自分は健全にやれているのかと心配になってしまうことがままある。
Fちゃんに関しては彼女が今どうしているのかはさっぱりわからない付き合いになってしまったが私にも古い付き合いの友人は何人かいて、今でもその友達たちのことをおもちゃのように思って付き合いを続けているんじゃないだろうかと心配になってしまうことが結構あるのだ。
楽しい予定を見つけてLINEで遊びに誘うときも「あれ、私友達を自分の都合がいいようにコントロールしようとしていないだろうか」と不安になる。
その分誰かから誘われた時はなるべく予定を合わせたいという気持ちが強く出てしまうのもなんだか不健全なのだろう。
今は自分の予定を多少は優先できるようになったけど、いっときは友達の予定に合わせられないことが怖すぎてバイトをするのも嫌、サークル活動も最小限、土日はなるべく暇がいい、必要以上に個人の活動を増やさないようにしないと不安で仕方がないぐらいだった。
今も拭いきれない「友達をおもちゃにしてしまっていないだろうか」「仮におもちゃにしてしまっていたとしたらどこかで報いを受けなくてはならない」という気持ちや思い込みが強く出ているのだと思う。
じゃあ友達がおもちゃじゃない状態ってどんな状態なのかということを何度も考えはしたのだが、一体どんな状態が健全な友達付き合いなのかあまりわかっていない。
たとえば1人の友達に依存していない、されていないだとか友達を自分の思い通りにコントロールしていない、逆に友達にコントロールされていないといったことがあるんだろうけどここまでいくと誰の目に見ても不適切な人間関係であるのは明らかだ。
それ以前のラインで私は友達をおもちゃと思っていた可能性が高くて、それが具体的にどんな状態なのかわからなくて不安で心配でたまらなくなる。
友達も、時には自分が持っているおもちゃも大切なものだけどイコールで成り立たせてはいけないことはわかる。
しかし一方でどうしたらその一線を踏み抜かないように振る舞えるのだろうかということがわからなくて人付き合いが恐ろしくなってしまうのである。
BOOTHにて文学フリマで頒布した同人誌を売っています。
匿名配達で通販の注文を受け付けています。
お題箱にてリクエストや質問を受付中です。
奮ってご応募ください。
いいなと思ったら応援しよう!
