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教育現場と、EQとジェンダー

アメリカの大学院で社会正義と人権の勉強を始めてあっという間に修士のプログラムの1/3が終わりました。

私は10代の頃からどうしても『ひとりひとりが自分らしく生きられる世界を作りたい』と思ってシンガーソングライターとして歌をうたって活動し始めて、それが感情知能EQにもつながって夢中になってアメリカの団体で勉強をしながらグローバルプログラムのコーディネーターをさせてもらったり、日本にもDAIJOUBUという団体をつくったりして活動してきました。

日本で生まれ学んで育ってきた私にはEQはとてつもなく人生を変えるスキルで、それこそ結構人生をかけて学んで仕事して活動してきていますが、あるところから『どれだけ個人がEQを学んで活用して生きても、それだけでは先に進めない分厚い壁がある』と感じていて、それが「社会構造」であることに気づいたのがアメリカに来てから。

そしてアリゾナ州立大学の修士で『社会正義と人権』を勉強し始めて、私の仮説がいろんな角度からたくましく補強されたり驚かされたりしながら確かになってきたことがあります。

それが、
EQもSELも非認知能力もマインドフルネスも、社会構造や規範、社会的文脈を無視して『大事だ!』とだけ語っていては、この息苦しくて多くの人が変えたい、良くしたいと願っている『自己責任社会』の再生産に加担しているということです。

本当に子どもたちの未来を思うなら、社会構造のレベルから疑問を持ったり、おかしいと思うなら声をあげたり、変革のためにアクションを起こしたい。

アメリカでも従来型のSELについて『世の中の強者が定めた良いことのための社会性を教育するツールになっているとも言える』という研究レポートがありました。導入の仕方が上からだったり、システム的になると、せっかく人生を豊かにするはずの感情知能EQが強者のための社会をサポートするために使われてしまう。そして実際に、日本の多くのEQを語る文脈で、そういった言葉をたくさん見てもいます。

もっと自分も誰かも、社会も、そしてその全部の未来も大切にするEQの学び方・使い方がある。それは、社会について無視していては伝えるどころか身につきもしない。

せめて私が関わるEQプログラムはいつも、社会構造と本来のequityの視点を欠かさずに心を込めてつくりたい・広げたい。と、この教育現場のジェンダーに関する記事を読んでより思いました。

EQ関係の記事にサポート頂けたらDAIJOUBUに、音楽関係の記事にサポートを頂けたら音楽活動に、大切に使わせて頂きます💛