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陰謀論について

陰謀論というのは色々な物事を何かの陰謀であると考えるスタイルのことです。これはこれで思考のスタイルの一つとしてアリだと私は思うのですが、問題はこれらの陰謀論の活用がすごく難しいことです。

陰謀について考えるということには、隠れている現象について推理を正確に行使できる類の能力が必要になるので、ある意味で目に見えない現象を的確に洞察する論理的な能力が重要になります。

そうした正確な推論能力を欠いた状態で陰謀論を行使すると、非常に致命的な判断のミスを起こしてしまうことも多いように思います。

陰謀論を行使する際に注意しておきたいのは「過度の一般化」などの「認知の歪み」と呼ばれる現象に陥ってしまうことだと思います。

例えば、歴史的には世界のどこかしこにいつの時代でも陰謀が存在するということ自体は事実です。しかし、そのことを過度に一般化して「すべては陰謀である」となってしまうと少々思考が妄想的になってしまうように思います。

なので、白か黒かの二極思考に囚われずに、世界には多様な部分があり、何事も一概には言えない……というふうな発想を養成しておくことは、様々な社会的な局面にうまく適応する上でも有効だと思います。

陰謀論は正確に使用できれば、多くの公益に適う一つのシステムでもあります。特に陰謀を取り締まることを生業としている警察や公安、あるいは自衛隊、何らかの諜報機関のような組織においては重要かもしれません。陰謀論がなければ、社会はダイレクトに陰謀による攻撃にさらされてしまうため、ある種の社会的な「免疫」としても陰謀論は重要です。

ただし、過度の陰謀論は推論を誤りやすいので、その点はよく注意しておきたいところかもしれません。

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