ばげ
1.正史と偽史の間
津軽の風土について考える。例えば、和辻哲郎ならこの「風土」についてどう考えるのだろう、とか。
太宰治の『津軽』について考える。彼はどんなことを考えながら、この土地のことを振り返っていたのだろう?
……生きていれば謎は尽きることがない。世の中には分からないことばかりだ。私はそう思う。
いつも自由に連想していたい。見たことのある文章ではなく、見たことのない文章が見たい。だから私は文章を書くのだと思う。もしも文章を書いても既知の文章しか現れないのだとしたら、それって悲しい。何だかさびしい。
――私は未知のもののことが好きだ。
夕方、街を歩いていると仕事帰りの人たちが行き交っているのが目に入る。辺りは雪が積もっていて白かった。世の中には色々な仕事があるけど、それを「色々」とだけ言い切って、それで思考をおしまいにするのは気が引けた。きっとみんなそれぞれにそれぞれの美しい想いを抱えて、今この時を生きているのだろうと思うから。
性的なことは難しい。いくつものイメージをくぐり抜けて残ってきた印象に、それらがある。単純に描写すればそれは陳腐だし、公序良俗に反すると判断されてしまうこともあるだろう。芸術と性は密接に関わっていると思うけど、それらが同じものなのかどうかまではわからない。どんな物事だって、それなりに難しいものなのだ。
『東日流外三郡誌』を読んでいると、何となく感慨深い気持ちになってくる。和田喜八郎はどうしてこの文書を世間に公表しようと思ったのだろう? そんなことを思う。もちろん、答えは出ない。私の思考はいつもそうなのだ。絶対に答えが出ない。多分、絶対なんてものがこの世にはないからなのだろう。そこに幾多の可能性が眠っている。
村上春樹の小説は好きだ。いつも可能性を感じる。人のそれを。
現代の小説家の仕事について、フロイトなら何と言うだろう? 褒めるだろうか? 貶すだろうか? 多分、それはどちらでもいいことだ。芸術は心理学の外にあるのだから。
歴史は明大さでその道を示す。小説はその陰影に隠されている部分を仮説的に見せてくれる。「フィクション」として。だから歴史だけでも小説だけでもダメなのだ。そのどちらもが必要なのだろう。想像力は偏りによって摩耗し、ついには息絶えてしまう。小説は解説的になると息ができなくなってしまう。だけど連想だけに特化すると統合失調症になってしまう。何にでもちょうどいい具合がある。そのバランスを縫っていく。そうして、どこまでも進めるようになるのだ。
2.創造の病
突き進んでいる最中は絶望的に見える。立ち止まって振り返ってみると、美しい光景が見える。だけど、それは突き進んできたことが決して無駄ではなかったということなのだ。
エレンベルガーは「創造の病」という言葉をどのような想いで発していたのだろう? そこには太宰が故郷に対する想いを綴ることと同等の何かがあるように思う。エレンベルガーの故郷。
コーヒーを淹れて、あたたかいうちに飲む。あまりに熱いと火傷してしまう。あまりに冷めてると物足りない。かと言って、生ぬるいのも微妙だ。
スポーツは爽快だが、勉強もまた。アーユルヴェーダやユナニ医学などの伝統医学には何か風流なものが残っている。そういう古代の香りが好きだ。歴史の匂い。きっとなくなってしまった過去もある。小説の匂い。チャラカ・サンヒターとスシュルタ・サンヒターの比較だと、私は前者が好きだ。じゃあ、中国医学は? 漢方医学は面白そうだ。たくさん調べてみたいことがある。世の中には私の知らないことがあふれている。私にはそれがうれしい。
青森にはものすごく雪と風が強い夜がある。そんな中を歩いていると、顔が凍りそうだ。そんな時、傘は……ちょっと役に立たない。壊れてしまうかもしれない。それくらいに強い風というのがある。
3.雪月花と信念
雪月花。どれも美しい。
月の綺麗な夜に、夏目漱石ふうに告白してみたい。「月が綺麗ですね」って。
桜の花が舞い散る中で、そっと口づける時に感じられるものがある。儚さ。
真夜中に降りしきる雪のように、いつも純白な心で……。
フィンランドの教育水準はトップクラスのものなのだと言う。どうしてそうなのだろう? 私は一人でそんなことを考えている。きっと日本とフィンランドには何かの違いがあるのだろう。
机の上に恋人のメモがある。三つの文章が箇条書きされている。
1.ヤジュル・ヴェーダの目指したものは、ハンバーグか? すき焼きか?
2.心理学史においてロールシャッハが行ったことは結局正解だったのか?
3.ナビエーストークス方程式が流体的な力動の表現でなかったとしたら?
世の中にはよく分からないことがたくさんある。
流れに逆らって泳ぐのも素敵だ。フワフワと流れていくのも時にはいいだろう。弱い者がいつも弱いなんて限らないんだから。
見えないものを信じるのは難しい。証拠がないから。エビデンスベースではそこまでは行けない。今この瞬間の心を大切にしたい。その時、きっと何かが満ちていくのだと思う。
夜は明ける。でも、夜を生きている私たちもきっと、本物だから。たとえ、それがどんなにありきたりなものだって、誰にも邪魔なんてさせないから。
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