家族機能の外部化・性別役割分業について

まえがき

学生時代に書いたレポートを2年越しに改編したので公開します。
家族心理学の授業で「授業の感想を書きなさい」と課されたものなので、まじで感想(思想強め・ほぼTwitter)です。当時21歳の私による一意見として読んでもらえると嬉しいです。
公開にあたって改編しましたが、テーマがデカすぎて「自分の考え、及ばね〜。」と思ったのでこれからもっと本や論文を読んでいきたいです。

色々な考え方、色々な選択、色々な生き方、色々な形があることは理解していますが、ここでは社会一般的な話を取り扱っています。


用語の説明

一応用語の説明しとくね。
家族機能…家族に必要な機能のこと。

家族機能の外部化…家族で担ってきた機能を外部環境に移すこと。具体的には、保育サービス、家事代行、老人介護サービスなど。

性別役割分業…特定の性別に期待される行動や役割のこと。例えば、「男は仕事・女は家庭」といったように「男だから」「女だから」と役割を分ける意識のことを性別役割分業という。


概要

今回は、性別役割分業に関して「家庭内の役割」の側面から考える。
本レポートにおいては、「家族」という言葉を「子供がいる一般家庭」と定義・イメージして話を進める。

家族機能の外部化

時代が進むにつれて、家族の機能はどんどん外部化している。それまで家庭内で担ってきた役割(負担)を、外の民間施設やサービスにお金を払って分散させるようになってきた。
この流れは共働き世帯の増加によるものだろう。共働き増加の原因は、①世帯所得が減少して共働きせざるを得なくなった②活躍したい女性が増えた、活躍できる社会になったことがあげられる。

家族機能の外部化にはメリットとデメリットがある。簡単にまとめると、
メリット:手間と時間が削減できる
デメリット:お金がかかる
だ。

共働き原因①によって共働きが必要になった社会で起こっていること(想像
・世帯所得の減少/女性の活躍
→共働きが必要/共働きになる
→家庭機能(家事・子育て・教育)に時間と手間を割けなくなる
→家族機能の外部化(家事代行・子育て施設・教育サービス等の利用)をせざるを得なくなる
→外部サービスの利用にお金がかかる(昔よりも)
→もっと働かなければいけない!
→以下無限ループ

考察 
この無限ループに陥りかけてはいないか?
①シンプル生活苦で共働きをせざるを得なくて、働くことに時間を奪われて家事や子供との時間がとれなくなる。外部サービスを利用せざるを得なくて、更にお金がかかって…。子どもは贅沢って言われる理由もわかる。
逆に、外部化によってめちゃくちゃ助かってていい感じに運用できてる家庭も沢山あると思う。
②女性も活躍できる社会になって、家庭が共働きになって、家事や子育てに手が回らなくなる(のかな)→外部サービスを利用→めっちゃ助かる!なのかな 実際どうなんだろ〜

一つ言えることは、お金さえあれば愛情機能を除く大半の家族機能はまわせる。やっぱりまず必要なのは最低限の生活に必要なお金だ。親鳥が雛鳥にエサを持ってくるように、同一の生計にお金を入れることは世間一般の家庭機能として必要な機能だ。(普通の家庭というワードが嫌いだが、ここではあえてこう表現している。)

そしてなんといっても大不景気のこの時代。

このような現代構造において家族の在り方はどのように変化していくのだろうか。
そして性別役割分業はどのように変化していくのだろうか。

性別役割分業

家計→男
家庭→女

という性別役割分業意識から

家計・家庭→男 
家計・家庭→女

となってきている。

外部化できない家事や育児が存在する、完全外部化は経済的余裕がないと厳しいなどの理由から、いくら外部化が進んだ現代とはいえ、家事・育児の〈完全〉外部化は一般標準化しないだろう。外部化できなかった(しなかった)部分の家事育児の役割は、この共働き時代において、"共家事・共育児"の傾向として強まっていくのか。

性差による役割の違い(性別役割分業)ついて考えてみた。
男女平等が謳われる世の中でも、まだまだ性別による固定観念や求められる役割の違いが今の日本社会にはある。私たちはその固定観念の元に生まれ育ち、無意識のうちに「女性だから」「男性だから」という判断基準で物事を捉え、決めることをしてきた。生き方の選択に制限が出てしまっていたこともあっただろう。

女だから、出産育児でキャリアに穴があくこと。女だから家事育児をやって当たり前。女なのにはしたない。母親なのに、働いてて子供が可哀想。

男だから、経済力は持っていないとだめだ。家族を養う責任、一家を背負うプレッシャー。めそめそするな、男なのに、情けない、女々しい。

(もちろん現代社会において多様な生き方が存在していることは認識している。社会通念上の固定観念の話をしている。)

特に子育てに関してでいえば、今後、従来の父親像・母親像というものが打ち砕かれ、大きく変化していくだろうと考えているし、変化していく必要があると考えている。

父親=家計と家庭を支える
母親=家計と家庭を支える

というスタイルが多数派になりつつある中で、
すでに男性の育休制度推進や家事の分担が進んでいるし、女性が家計を支え、男性が家庭を支えている家庭も沢山ある。

色々な形が存在してきていて、それでもなお社会通念上の固定観念として根強くあると感じるのは「母親像」への「母親なんだから、母親なのに」という意識だ。"母性"に過剰な期待と依存をしているのはないか。その期待が、現代の母親に対して不公平な負担を強いる結果につながっているのではないか。
母親になるの大変そう。21歳からの率直な感想。家庭内で家族の役割分担や育児の責任を明確にしない限り、"母親"をやるのは私には無理やな。
授業内容について真剣に考えれば考えるほど、クーポンなんぞで少子化が収まるわけがなかろう、と思ってしまった。
そして父親像は今後どう変化していくのか。

"妊娠し、出産する"方の性別と"妊娠、出産をしない"方の性別で産まれた子に対する責任差はあるか否かか、という話は、これまたバカでかテーマですので、またの機会にしましょう。

まとめ

現代の日本社会において、今後必ず必要になってくるであろう変化は、性別役割分業に関する世の中の意識変化である。
共働きの増加に合わせて、性別役割分業意識も変化していく、薄くなっていくことが必要不可欠だと感じるのだ。(※個人的見解:性差がある以上、性別役割分業意識が完全になくなることはないと私は考えている。「違い」の上に「対等」が成り立つ未来を予想・期待している)
今ある性別役割分業意識が早いうちに変化し、共働き社会に適応していかなければ、社会全体として家族機能が破綻していくことになると私は思っている。大・機能不全家族時代に突入する。(想像であり予言であり脅し)

以上

参考文献・関連資料

・NHK高校講座いいね〜

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