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まうの思考回路

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エッセイもどきと、何やらいろいろ考えてみたもの。増えてきたのでそろそろ細分化したい。
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ありがとうを繋げるだけの簡単なお仕事

「あら、いつもありがとうございます」 満面の笑み。 どうやら私は週に一度、計3回ほど通っただけでドラッグストアの店員のおばちゃんに顔を覚えられてしまったらしい。 会計レジへ行くたびに某ファーストフード店顔負けのスマイルがもらえるなとは思っていたけれど、お客全員に共通する「いつも」なのだと思っていた。ところがこの間ついに、明らかに「お馴染みのお客さん」として雑談を投げかけられた。あれはやっぱり、私向けスマイルだったのか。 それにしても毎日顔を出すならまだしも、用があるのは

この家族を愛そうと思います

私の場合、義実家ガチャは当たりを引いたんだと思う。 基本的に放任主義、だけど必要なときには必要なだけ力を貸してくれる人たち。盆暮れ正月に帰ってこいとは言わないし、連絡は常に夫を介してくれるし、田舎の古い家なのに「家制度」へのこだわりも全くない。自称サバサバ系女子が実はネチネチだった、みたいなよくある例ではなく、本当にさらりとしている。 何よりもありがたいのは、私が夫とともに義実家を訪れるとき、変にお客様扱いをしないところだ。義両親も義祖父母も、それこそ息子である夫に接する

やり遂げたかったこと、天才にはなれないこと

8月最後の日、初めて小説を公募に出した。 創作大賞の作品を書き終えてすぐ、むずむずする勢いのまま見切り発車で書きだした小説。正直書ききれる自信はなかった。創作大賞のために4万字書いたばかりだったし、それとともに書くことへの執念も薄れだしていたから。 でも、書かねば、と思ったのには理由があった。その公募は、24歳以下にしか応募資格がなかったのだ。24歳、今年しかない。しかも真っ先に見つけた公募がたまたまそれだったから、何かしらの運命のようなものも感じていた。これは今、私に書

メロンソーダでできている

メロンソーダが好きな大人って、子供っぽいだろうか。でも、やめられない。許してほしい。 人体の約7割は水分だと言うけれど、私の場合そのうち5割くらいはメロンソーダだと言っても過言ではない。メロンソーダが身体の中を巡りすぎて、私からはメロンソーダの香りがするなんて都市伝説まであるくらいだ(ない)。 この夏も、私の身体はメロンソーダになる。 休日、出かける前にコンビニに寄るのが私たち夫婦の習慣。その日の水分調達をするためだ。ドリンクコーナーの前でああでもないこうでもないと迷う

終わってくれるなよ、夏。

夏の終わりが名残惜しい。こんな感情、いったい何年ぶりだろうか。昼間こそまだ灼熱の日々が続くとはいえ、今年は早くも心地のよい夜が増えてきた。暦通り、順当に季節が巡っていることにかえって戸惑いが隠せない。でも、そうだった、夏って本来こんなにも短いのだ。 もう少し待って、夏。せめて余韻に浸らせておくれ。今、私の心は夏に向かって吠えている。 花火が上がった。周囲からわあっと声が上がる。潮風がひんやりと頬を撫で、心臓の奥でどん、と音が轟いた。最初の花火の最後のきらめきが、夜空を儚く

私は私の本を作った。

我が家の本棚には、皐月まうと書かれた本が4冊並んでいる。どれも私が世に出した、私の本たちだ。同人誌とはいえ、プロの小説のように装丁が本格的ではないとはいえ、胸を張って私の本です、私の作品です、と言えるものたちだ。 本を作ろうと決めたのがいつのことだったか、今となってははっきりと覚えていない。 noteのフォロワーさんが文フリで本を売りはじめた頃だったかもしれない、はたまた一緒に本を出さないか、と文学フリマ出店に誘ってもらったときだったかもしれない。 でもそれよりもっとずっ

ソーラン節の花嫁

2ヶ月で3キロ太った。体重計の上で思わず、「しにて〜」と声が漏れる。あまりよろしくない言葉のチョイスだけれど、この瞬間の感情を的確に言い表すには最もふさわしい言葉だった。 でっぷりと横に広がった尻(うちの猫といい勝負)、尻とほとんど幅の変わらない太もも、子供のようにぽこんと膨れた腹。見苦しい。お風呂の鏡に映る自分の姿が、あまりにも見苦しくて悲鳴を上げた。いつだ、いつからだ? いつから私はこんなに情けない身体で生きていた──? 「来とるなあとは思いよったんよ」 夫はようやく

お祭り最終日、早くも息を切らしたり。

ようやく訪れたか、停滞が。 日本の灼熱の暑さとともに、私の中で燃え盛っていた炎はふっと蝋燭の灯火へと変化を遂げた。そのことに、不思議と焦りも寂しさも感じなかった。むしろほっと胸を撫で下ろしていた。 自分の中で日々増していく推進力には、もはや恐れをなすほどだった。この半年間、月に10冊以上という個人的には怒涛のペースで本を貪り読み、カービィのごとくあらゆるものを吸収し、noteに毎週上げる記事のネタにも事欠かなかった。ぐんぐんぐんぐん突き進んでいた、何に向かってとか、なんの

慈しむべき壁、越えなきゃわたし、

事務所に赤ちゃんがやってきた。生まれたての、ふにふにの、すやすや眠る赤ちゃん。弊社は家族経営の会社で、社長たちの弟夫婦が赤ちゃんを見せに来たのだった。社長たちの父親の前社長も今日は出社していたので、事務所はさながらお正月の実家のような盛り上がりを見せている。 2600gの赤ちゃん、想像以上に小さくてびっくりした。確か私も同じくらいで生まれた。こんなに小さくてか弱かったのか。これからすくすく育っていく赤ちゃんの成長を思うと、人間ってすごい、というか赤ちゃんってすごい、と圧倒さ

チェックアウト12時の素晴らしさ

ホカンスしました、in神戸。 時は6月下旬、大雨予報の休日。相方は高校時代から腐れ縁のようにつるんできた友人だ。 関西人のくせに、地元からなら電車一本で行けるのに、そういえば二人では行ったことのなかった神戸。当日、それぞれ反対方向の電車に乗って三宮に集合した。 天気予報はあいにくの雨だけれど、私たちの足取りは軽い。なにせホカンスなのだから。快適ホテルが、私たちを待っているのだから。 三ノ宮駅から10分ほど歩くと現れたのは、洋風のかわいらしい外観の建物。私たちの今夜の宿、「

苗字が変わって3日間

一日目、非常に疲れた。 朝から社内外への結婚報告に追われる。わざわざ自分から話題を切り出して祝われに行くのは気疲れがする。本来の目的は祝われることではなく、苗字変更に関する業務連絡にすぎない。とはいえ相手はどうしたって祝うしかない流れになるし、祝われるのは素直に嬉しいけれど、なんだか申し訳ない。お手間をとらせてしまい。 私は自分が注目を浴びることが好きではないので、できればひっそりと、知られざる者として空気のように生きていたいとすら思う。社内でも数少ない若手で、さらに少な

痴人の愛夫婦

どしゃ降りの雨が降った日、晴れて結婚した。 ただ結婚したからといってすでに1年以上同棲しているし、生活の形は何も変わらない。なかなか実感が湧かないので各所で報告してみたものの、自ら作り出したお祝いムードが逆に自分事とは感じられなくなってきた。それでも何か私の人生で大事なことが起きた、という漠然とした達成感だけはある。 とはいえ思い返せば、なかなかいい流れでこの日を迎えることができたなと思う。 入籍の直前、読書好きな私たちにはちょっとした文豪ブームが訪れていた。私が川端康

「愛してる」がなくったって

推しを推す以上、我々は弁えるべきだと思う。 アイドルのような天上人だけでなく、身近なコミュニティに推しを作ってしまう私が悪いのだけれど、私は推しに猛アタックしすぎて失敗したことがある。 私があまりにも熱烈に愛を伝えすぎたせいで、推し(以下推し①とする)の方が私に恋愛的な好意を抱いてしまったのだ。違う、そういうんじゃない、と言いたくなったときには時すでに遅し、彼との間でとろとろと生まれた恋のはじまりから逃げ出せなくなった。 私は基本的に、推しと恋愛は切り離すタイプだ。推しは

私も、あなたも、人間なので。

私のことブロックしてったあの人、生きてるかな。私のこと利用するだけしたらフォロー外して消えてったあの人、元気かな。 去る者追わずのスタンスでいても、そう思うことはままある。私だって人間だ。 noteを始めた頃から、フォローフォロワーにはあまりこだわらないようにしてきた。私自身、タイムラインを埋め尽くしたくなくてフォローを最小限にしているから(もはやタイムラインを活用していないのでフォローの意味すらない)、皆さんお好きにどうぞと思っている。 それでもフォローしてくれる人は