"商売文章"

結局、何をするにも他人の為に行動すべきだとつくづく思う。

Twitterに書いたことをそのまま文章的に書く。

僕はよくアイドルのイラストを描いているのだが、それは別に【認知されたい】とか【ありがとうと言われたい】訳では一切ない。
僕は僕の好きなものを描きたいだけだし、単なるマスターベーションであるから、その自慰行為が少しでも他人の娯楽で存在しているのならば、僕は幸せなのだ。だから描いている。

実際、どの職業もそうだと思う。
飲み屋、アパレル、医療職、事務、コールセンター、コンビニエンスストア、全ての職業や行動は【対"人"】に直結する訳であるから、そこを無視した行動は批判され、排他されるべきなのだ。

例を出そう。

美味いシーシャを出す店がある。
ただシーシャを吸う時に会話をせずに、ただ店内で流れるアジアンテイストなのか洋楽なのかを一切理解できない音そのものを聞いているだけの店に行きたいだろうか。

僕は行きたくない。

美味いシーシャならば頑張れば僕だって作れる。ただ、その店に行くという【価値】が何かを考えた時に、結局はその店員さんの人柄や会話能力を味わいたい為に行くのであって、何も魅力を感じない店に行く価値など一切ないのだ。

ECショップだとしてもそう。

デザインやそこに書かれている文章でそのブランドに書かれる人間を感じることが出来るのだ。

商品自体に魅力を感じないならDiorを買う。
Amazonで買う。
ではわざわざそのECショップで買う?

そう。
その【人間】が好きなのだ。

だからこそ、僕は人間の感情表現を考えていきたいし、文章にしていきたい。商売としたい。

拙い文章でごめんね。

僕はこれを見てくれる君が好きだし、喜怒哀楽の喜楽の感情を与えたい。

僕の感覚を、その感情へと変換して欲しい。

つまり、商売は自分自身を出しつつ、自分自身を否定しなければならないのだ。

ただ金を儲けたい人間は商売の邪魔だ。

貴方は僕にどう感じてるかな。
それしか僕の頭の中にはない。

貴方がいなくなった瞬間、僕は死ぬだろう。

商売とは、そういうことだ。

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