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メディア化における原作者・マンガ家の問題を考える(前編)

現在読切のネーム制作に四苦八苦してます。
今回のマンガ制作で、まず初めにしたことは、オリジナルキャラを創るということでした。

主人公の容姿は以前から使っているキャラを流用するとして、
問題はヒロインです。

いや~ものすごい苦労しました。


何度も何度も描き直して、目を変えたり、服装を変えたり。

さらに大変なのが、そのキャラがどういうキャラなのか。
生年月日、出身地、家族構成、趣味、好きなもの、嫌いなもの、これまでの経験、信念など膨大なテキスト量になりました。

ある作家さんは本一冊出せるくらいキャラを創り込んでいると言っていました。

それだけ人間を創り出すのは難しいのです。

キャラを創って、作品コンセプトやテーマを決めて、ようやく話作り、つまりネーム制作をしている訳ですが、この場面でヒロインはこんな反応しないんじゃないかと何度もセリフを書き変えたりしています。


もし、私が原作があるドラマや映画の脚本家ならば、徹底的に原作を読み込み、キャラクターを深く理解し、一言一句に目を光らせるでしょう。
それがプロフェッショナルとして、当然の姿勢だと思います。

芦原妃名子先生が亡くなったことをきっかけに、数々の作家さんが
メディアミックスの苦い経験だったりの話をしていましたが、
どうもプロフェッショナルと呼ぶに値しない人たちもいるらしいのです。

原作軽視、リスペクトなどまるでなく、好き勝手にセリフを変え、原作ならこのキャラはそんな行動しないということをやらせる等々。

なんでそんな傍若無人な振る舞いができるのだろう。
俳優や芸能人との付き合いがあり、イケてる業界人だと勘違いしちゃっているんですかね?

でも媒体は違うとはいえ、創作に携わる者ならキャラクターを創る大変さは想像できると思うんですが…

プロのマンガ家でキャラクターをぞんざいに扱う人なんて1人もいないと思います。

私はなんでもかんでも原作に準拠すべきだとは思っていません。
脚本家や監督の色を加えるというのも大いにありだと思います。
でも原作者が、それこそ必死に考えて創り出されたキャラクターは尊重すべきでしょう。それはキャラクターを借りる者の最低限の礼儀だと思います。

しかしマンガでも描いてあるように、

原作に対するリスペクトなんて微塵も感じられないのにもかかわらず、とんでもない名作が生まれるケースもあります。


次回はその話をしていきます。


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