御冷ミァハの「大嘘」(3) 『ハーモニー』読解/伊藤計劃研究
( 前回 から続く)
御冷ミァハには集団自殺する気などなかった。
事件の真の動機は、霧慧ヌァザへの接近。
踏み台にされた事実に、霧慧トァンは気づいていたのだろうか。
13年前は気づかなかった。御冷ミァハに心酔していたからだ。
本編開始時の霧慧トァンには、過去の真相に気づく冷静さがある。
足りないのはただひとつ、きっかけだけだ。
注意深く読むと、霧慧トァンは徐々に「嘘」に迫っている。
無論、最初から追求を意図していた訳ではない。
本編序盤の時点で、魅了は解けていないからだ。
きっかけは無論、眼の前の零下堂キアンの自殺である。
事件の影に御冷ミァハを見出し、霧慧トァンは独自捜査におもむく。そして集団自殺未遂事件の真相に迫るにつれ、御冷ミァハに不信をつのらせていくのだ。
「わたしは逝く」「わたしと一緒に死ぬ気ある……」などと誘いながら、なぜ迂遠な手段しか用意しなかったのだろう。
「この身体はわたし自身のもの」「リソース意識なんてゴメンだ」などと言いながら、なぜ自らの遺体をリソース=献体として父・霧慧ヌァザへ差し出そうとしたのだろう。
疑念は徐々に、だが確実に深まっていく。
同時に、かつてのカリスマと己の考えは分離していく。
そしてバグダッド編の終盤に至り、ついに衝突するのだ。
ここに至り、もはや盲信はない。かつてのカリスマは、今では問い詰める相手でしかないのだから。
・
御冷ミァハへの不信。
不信を抱くきっかけは、紛れもなく零下堂キアンの自殺だった。
注目すべきは、零下堂キアンが自殺に追い込まれた理由だ。
その理由こそが、巡り巡って本編終幕につながっているからだ。
無論、本編のやり取りでは明示されていない。
けれども御冷ミァハの目から見れば、明確に殺す動機が存在している。
御冷ミァハが通話越し、零下堂キアンを唆すシーンを見てみよう。
ここまで読んだ方ならお分かりだろう。
「このカラダは自分ひとりのものなんだ」と示す「勇気」。その帰結を自殺に持っていくのは明らかに矛盾である。「このカラダ」の捧げ先が、社会から御冷ミァハへ変わったに過ぎない。これでは「カラダ」が、「自分ひとりのもの」との主張とは言いがたい。
声のかけ方も不自然である。
「こっちにはこなかった」点では霧慧トァンも同じだ。
零下堂キアンは追い込まれ、霧慧トァンには声さえ届けなかった。
つまり何らかの、二人を分ける理由が存在したのだ。
御冷ミァハが、零下堂キアンだけを殺す動機が。
・過去の御冷ミァハには集団自殺する気などなかった
・集団自殺事件の真の動機は霧慧ヌァザへの接近
この事実を踏まえた上で、現代の御冷ミァハの動機に迫っていくとしよう。 (続く)
付記:「本編序盤の時点」とわざわざ書いたのは、記述の時系列がしばしば錯綜しているからだ。ここでは「カリスマに見切りをつけた後の記述も序盤に入っている」「時系列上は最後尾近くに存在している」と述べるに留める。
ここから先は
¥ 300
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?