御冷ミァハの「大嘘」(2) 『ハーモニー』読解/伊藤計劃研究
( 前回 から続く)
集団自殺事件の主導者、御冷ミァハ。
事件の真の動機は、霧慧ヌァザに近づくためだったのではないか。
そう考えたなら、もうひとつの謎にも説明がつく。
その謎とは何か。自殺のためと示唆しながら、なぜ直接的な毒物でなく徐々に衰弱する薬を選んだのかだ。
「トァンはさ、わたしと一緒に死ぬ気ある……」「わたしは、逝く」と述べつつ、その手段は迂遠だった。単なる自殺が目的なら、直接的な手法はあったにも関わらず。
作ろうと思えば、御冷ミァハは猛毒を作れた。
錠剤を他人から入手した可能性は、零下堂キアンに否定されている。
義母・御冷レイコは娘が「どこかから」薬を入手していたと述べており、身内ルートの入手でもない。
御冷ミァハは直接的な毒物でも作れた。出来なかったのではない、あくまで選ばなかったのだ。それはなぜか。
状況は示している。御冷ミァハには自殺する気などなかったと。
集団自殺は決して目的でない、本命はあくまでも霧慧ヌァザへの接近。
メディケアを悪用したとなれば、否応なく研究者の目を引くことだろう。
そう考えると、あの迂遠な手段にまで筋が通るのである。
御冷ミァハと霧慧ヌァザの接近は、御冷ミァハ自身が目論んでいた。霧慧トァンと零下堂キアンのこのやり取りも、また違った印象になるはずだ。
ここまで来れば、零下堂キアンの冷静さも見えて来るだろう。
霧慧トァンの抱いていた「腰巾着みたいなものだった」とのイメージは「とんでもない誤解」だった。零下堂キアンは違和感を抱いてはいても、死のうとするほど思い詰めてはいない。なぜなら、御冷ミァハに心酔し切ってはいなかったのだから。
客観的に見て、13年前に自立していたのは零下堂キアンの方だ。ただ若き日の霧慧トァンの目には、願望混じりに「腰巾着」と見えていただけで。
御冷ミァハにはそもそも自殺する気などなかった。
零下堂キアンは死を望むほど思い詰めてはいなかった。
霧慧トァンは御冷ミァハに心酔し、目を閉じていた。
けれども現在の霧慧トァンには、かつての盲目に気づくことが出来る。
霧慧トァンの成長が、御冷ミァハの虚偽を暴いていくのである。 (続く)
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