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御冷ミァハの「大嘘」(2) 『ハーモニー』読解/伊藤計劃研究

 ( 前回 から続く)

 集団自殺事件の主導者、御冷ミァハ。
 事件の真の動機は、霧慧ヌァザに近づくためだったのではないか。
 そう考えたなら、もうひとつの謎にも説明がつく。
 その謎とは何か。自殺のためと示唆しながら、なぜ直接的な毒物でなく徐々に衰弱する薬を選んだのかだ。

「トァンはさ、わたしと一緒に死ぬ気ある……」「わたしは、逝く」と述べつつ、その手段は迂遠だった。単なる自殺が目的なら、直接的な手法はあったにも関わらず。

 作ろうと思えば、御冷ミァハは猛毒を作れた。

「これ、錠剤。 一日一回飲むだけ。それで胃から腸に至るまで全部の消化器官が、口から入れた食べ物の栄養をシカトしてくれる」
「どうやって手に入れたの……」 (中略)
造ったの、メディケアから
 ミァハはさらりと言ってのけた。

『ハーモニー』文庫版p47-48

〈remind〉 毒ガスを風呂場で造るなんてお茶の子さいさい、だよ。〈/ remind〉
  ああ、ミァハはそんなことを言っていた。
 〈maxim〉 人間は、個人は、その気になれば誰かの命を奪う力を秘めているんだよ。〈/ maxim〉   

『ハーモニー』文庫版p114

  家にあるメディケアで五万人を殺せると笑っていたミァハ   

『ハーモニー』文庫版p133

 錠剤を他人から入手した可能性は、零下堂キアンに否定されている。
 義母・御冷レイコは娘が「どこかから」薬を入手していたと述べており、身内ルートの入手でもない。

 御冷ミァハは直接的な毒物でも作れた。出来なかったのではない、あくまで選ばなかったのだ。それはなぜか。
 状況は示している。御冷ミァハには自殺する気などなかったと。
 集団自殺は決して目的でない、本命はあくまでも霧慧ヌァザへの接近。
 メディケアを悪用したとなれば、否応なく研究者の目を引くことだろう。
 そう考えると、あの迂遠な手段にまで筋が通るのである。

 御冷ミァハと霧慧ヌァザの接近は、御冷ミァハ自身が目論んでいた。霧慧トァンと零下堂キアンのこのやり取りも、また違った印象になるはずだ。

「そうだね、 ミァハが言ってた。リソース意識なんてゴメンだ、自分たちが無価値であることを証明させて欲しいの、って」 
でもね、だから死んじゃおう、とか誰かを殺しちゃおう、とかそういうことは思わなかった。そこまでは思い詰めていなかった。でも、わたしの見たミァハは違ってた。すっごくギリギリのところに立っているように見えたの」

『ハーモニー』文庫版p150

 ここまで来れば、零下堂キアンの冷静さも見えて来るだろう。
 霧慧トァンの抱いていた「腰巾着みたいなものだった」とのイメージは「とんでもない誤解」だった。零下堂キアンは違和感を抱いてはいても、死のうとするほど思い詰めてはいない。なぜなら、御冷ミァハに心酔し切ってはいなかったのだから。

 客観的に見て、13年前に自立していたのは零下堂キアンの方だ。ただ若き日の霧慧トァンの目には、願望混じりに「腰巾着」と見えていただけで。

 御冷ミァハにはそもそも自殺する気などなかった。
 零下堂キアンは死を望むほど思い詰めてはいなかった。
 霧慧トァンは御冷ミァハに心酔し、目を閉じていた。

 けれども現在の霧慧トァンには、かつての盲目に気づくことが出来る。
 霧慧トァンの成長が、御冷ミァハの虚偽を暴いていくのである。 (続く)

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