言語の本質に挑む
『言語の本質』(今井むつみ、秋田喜美著)がおもしろい!
著者のお一人である今井むつみさんのお話を、YouTubeチャンネル「ゆる言語学ラジオ」でお聞きしました。
今まで感じたことや考えてきたこと、疑問に思ってきたことを、解明する道が見つかるのではと興奮してしまう内容で、もっと勉強したいと本書を手に取りました。
そんな私の興奮を、少しでもお伝えできればと思います。
オノマトペは、超ホットな研究テーマ
1990年代前半、言語は身体から切り離された抽象的な記号であり、論理的に操作すれば理解し使うことができるという考え方が主流だったそうです。
そのため「AIは、言葉を理解し使うことができる」という立場から研究が進められていました。
ところが、認知科学者のスティーブン・ハルナッドという人が、言語という記号体系が意味を持つためには、基本的な一群の言葉の意味は、どこかで感覚と「接地」していなければならないとの説を提唱。そして今、オノマトペがその鍵になるのではと考えられているそうなのです。
オノマトペとは、「ワンワン」「ヒヤッ」「ドキドキ」など、音や状況、感覚情報、心情などを表す言葉です。日本語を母語とする人には馴染み深い言葉なのですが、オノマトペが言語学で注目されているというのですから、びっくりですね。
オノマトペとは何か
全体の3分の2は、オノマトペについて書かれています。
オノマトペとは何か、オノマトペは言語か、子どもの言語習得にとってどんな働きをするのか、言語の進化との関わりは…ぐいぐいと、オノマトペの、いや言語の不思議に引き込まれていきます。
そして、オノマトペを、次のように定義しています。
それでは、どのように感覚を「写し取る」のか。
単語のかたち、清濁や子音・母音の音象徴、口のかたちなどで写し取っているというのです。日本語のオノマトペはこれらを規則的に活用しているとのこと。「コロ」「コロコロ」「ゴロゴロ」のイメージ違いを、私たちには簡単に感じ取ることができますね。
しかも音の象徴を感じ取る能力は、赤ちゃんの時から備わっていて、この力が「ものには名前がある」という気づきを助けるというのですから、驚かされます。
さらに、ニカラグア手話を例に、言語が感覚的、アナログ的な表現から、デジタル的な表現に数世代で進化していく様子が書かれています。
ここでいう数世代というのは、親子孫の世代ではありません。ニカラグアでは、1970年代から、ろうの子どもたちに学校教育ができる環境づくりが始められ、学校が設立されていったそうです。それまで共通の手話がなかったため、学校で自然発生的に手話が生まれ、先輩から後輩に伝えられていくなかで、こうした変化が生まれていったというのです。
身体的、感覚的に接地したアナログ的な手話やオノマトペが橋渡しをしながら、抽象的な言葉を作り出していく…なんてダイナミック!
一番好きなオノマトペ
突然ですが、このnoteを読んでくださっているみなさんには、好きなオノマトペってありますか。わたしはあります。それは…
漫画『どんぐりの家』(山本おさむ著)の一場面です。
ストーリーの本筋とは少し離れていますが、雑誌掲載時から、この場面が心の片隅にずっと残っていました。
『言語の本質』を読み始めてすぐに思い出し、記号接地ってこういうことなのかな、情景と心情がないまぜになったような「しんしん」という言葉が少年の心に届いた、なんて美しい場面だろうと思ったのです。
私の理解が違っていたらすみません。でも『どんぐりの家』はすごくいいので、ぜひ読んでみてください。
飛躍をもたらす人間の能力ーアブダクション推論
さて、横道にそれましたが、再び『言語の本質』に戻ります。残りの3分の1は、アブダクション推論に費やされています。
アブダクション推論とは、いったいなんなのでしょうか。
私たちはいつも、推論してる
ところで、私たちは日々生活していくなかで、よく推論していると思いませんか。子どもをきつく叱っている親をみたら「あの親はいつも子どもを叱っているに違いない」と一般化したり、「子どもがわがままを言ったから叱っているのだろう」と推測したり…
そうするつもりがなくても、自然に浮かんできてしまうことも多いはずです。
この自然に推論してしまう能力が、ヒトと動物を分けるものであり、赤ちゃんが言葉を習得する時にも使っているというのです。
推測して、使ってみて(または観察して)、間違ったら訂正して、その新しい知識そのものが、次の言葉を理解する土台となっていく…これをブートストラッピング・サイクルというそうです。
AIのように膨大なデータのなかから法則を見つけ出すというやり方ではなく、少ない経験をもとに自分で体系を作り上げながら、言語を習得していく…人間の能力に寒気を覚えるのは私だけでしょうか。
演繹法とか帰納法とか、実はわかっていなかった
アブダクション推論とは何かを説明するために、演繹推論や帰納推論についても言及されています。
演繹法とか帰納法とか、実はよくわかっていなかったことが、よくよくわかりました。もちろん字面をおっていけば、何を言っているかはわかるのですが、「だから何なの?」と思っていました。
それが、この本を読んで初めて合点がいったのです。
さらに、帰納推論とアブダクション推論の違いについて「観察される部分を、全体に一般化するのが帰納推論」であり、アブダクション推論は「観察データを説明するための、仮説を形成する推論である」と説明しています。
言語の本質に挑む研究が、ひらく未来を楽しみに
私の不十分な知識によると「言語がどのように生まれたのか」という問いに、単語か、文法かという2つの説があったように記憶していますが、どこかしっくりこない思いでいました。
『言語の本質』は、こうした私の疑問にパシッとハマる爽快感があります。
一方で、ここで書かれていることがすべて初めて知ることとも思わないのです。
文中でも、ヘレン・ケラーを取り上げていますが、先ほど引用した『どんぐりの家』をはじめ、戦後の日本の良質な教育実践とも重なるところがあるのではと感じながら読みました。
具体から抽象へは、教育の大きなテーマだといますが、それが、どんな一歩か、どれだけ大きな一歩なのかをわかりやすく、説得力を持って書かれているところがすごいなあ。
オノマトペとアブダクション推論は、言語学だけでなく人類史の謎を解く一端を担うのではとワクワクしています。
言語の本質に挑む研究のひらく未来が楽しみです。
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