見出し画像

「くらしのアナキズム⑥」

「ダネッサには、人びとを戦争へ均質的に動員するいかなる制度化された調整機構も存在していないだけでなく、個人レベルでも他者への強制を嫌い、相手の「胃」の自己決定を尊重する態度が共有されている。彼らは、個人を超越した規範や命題に依拠して組織された「われわれ」として、斉一的に集団行為へ参加することによってではなく、これまで経験をともにしてきた他者がその過去の経験に基づいておこなっった決定を、「胃のちがい」という論理をとおして最大限に受容しあう態度を共有することによって、ゆるやかなまとまりを保持しえているのである。」『くらしのアナキズム』 P147 松村圭一郎 ミシマ社

内容とは関係ないが、少し「ひらがな」が多すぎる気がする。タイピングしていると予測変換される簡単な漢字さえ、ひらがなに変換し直す。逆にひらがなが多くなると読みにくいと思うのだが・・・。「読みやすさ」を考えたんだろうけれど。漢字で一発で視覚に入れば漢字の組み合わせで「意味」がすぐにわかるのに。

「胃のちがい」を受容しあうのは子供の頃なら誰しもやっていたことのような気がする。「今日遊べる?」「今日は○○と遊ぶ」「じゃあ、明日は?」「いいよ」 「プールいかない?」「〇〇の家でゲームしたい」「どっちでもいい」
「どうする?」etc

気分で答える。それができるエートスである必要があるが、人間関係(政治的能力)に目覚めると途端に「胃のちがい」が通じなくなってくる。

日本語には「腑に落ちる」「腹が立つ」「腑が煮え繰り返る」「腹が浮く」「胃が痛む」などなど。「頭にくる」は少し軽薄な響きがする。薄っぺらい印象。

考える「根っこ」が身体にあった。(腸は第二の脳だとか)動物的な感(複雑な系を時系列で根拠づけるのではなく、同時並列、一緒くたに瞬間的にまとめ上げて「虫のしらせ」「直感」として「判断」に絡んでくる。それを蔑ろにするのが「都市」であり「国家」であり「システム」なんだろう。人間が創ったものなんだが、それに潰される。アイロニー。

胃のちがいを尊重しつつ、ゆるやかなまとまりを保持する・・・。

アウトロー作品のキャラクターたちだな・・。ルパン3世にスターウオーズのミレニアムファルコンetc

ミッションでは同じ目的に対してそれぞれの役割を果たす。それが終わればそれぞれ好きにする。で、必ずキャラクターの「古傷(精神的な)」が疼いて「まとまりが欠ける回」がある。その過去の経験による「胃のちがい」を他のメンバーも知って、胃のちがいを再認識しつつまた「ゆるやかに」まとまり直す。

そういった物語があって、繰り返し別な「装い」をまとって語られる。それは「国家」やそれに準ずる均質的なシステムに「抗いたい」本能をくすぐるんだろう。『ヨルムンガンド』『ブラックラグーン』を最近、一気視聴したので余計に思う。そう考えると、『池袋ウエストゲートパーク』『シャンタラム』etc

グレーゾーンで生き延びるには「胃のちがい」が重要になってくるんだろうか。
『東京リベンジャーズ』なんかも、或いは『鬼滅』にしろ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?