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私とは何か 「個人」から「分人」へ(読書感想)



書籍の情報

平野啓一郎
講談社現代新書
2012年9月20日第1刷発行

書籍の目次

第1章 「本当の自分」はどこにあるか
第2章 分人とは何か?
第3章 自分と他者を見つめ直す
第4章 愛すること・死ぬこと
第5章 分断を超えて

読書感想

著者が複数の小説を書くことで積み上げた「分人」という概念をわかりやすくまとめてあります。

・「分割できない」と思われている人格を、「分割できる」と考えた方が正しく自己を理解できる。
・人格は1つに固定されているのではなく、相手に応じて人格が無意識に切り替わるのである。
・人格は、人や言葉との関わりで変化し得る。

中学生〜高校生におすすめの本です。

印象に残った箇所の引用

6ページ
すべての間違いの元は、唯一無二の「本当の自分」という神話である。
そこで、こう考えてみよう。
たった1つの「本当の自分」など存在しない。
裏返しっていうならば、対人関係ごとに見せる複数の顔が、全て「本当の自分」である。

7ページ
分人は、相手との反復的なコミュニケーションを通じて、自分の中に形成されていく、パターンとしての人格である。

1人の人間は、複数の分人のネットワークであり、そこには「本当の自分」という中心はない。

36ページ
人間には、いくつもの顔がある。

相手次第で、自然と様々な自分になる。

人間は決して唯一無二の「(分割不可能な)個人individual」ではない。
複数の「(分割可能な)分人dividual」である。

37ページ
分人は、こちらが一方的に、こうだと決めて演じるものではなく、あくまでも相手との相互作用の中で生じる。

分人は関係性の中でも変化し得る。

他者と接している様々な分人には実体があるが、「本当の自分」には、実体がない。

分人はすべて、「本当の自分」である。

48ページ
森鴎外は「仕事」を必ず「為事」と書く。
「仕える事」ではなく、「為る事」と書くのである。
人間は、一生の間に様々な「事を為る」。
寝て起きて、食事をとって、本を読んだり、映画を見たり、デートをしたり「為る」。
職業というのは、何であれ、そのいろいろな「為る事」の1つに過ぎないが、ただ、1日24時間、死ぬまでの何十年だかで、最も長い時間を費やすことであるには違いない。
だからこそ、自分の本性とマッチしたものでなければ、耐えられないはずだ。

54ページ
あらゆる人格を、最後に統合しているのが、たった1つしかない顔である。
逆に言えば、顔さえ隠せるなら、私たちは複数の人格を、バラバラなまま生きられるのかもしれない。
ネットの裸の投稿者たちは、まさしくその先鋭的な実践者だった。
彼らは自分の裸をできるだけ多くの人に見てもらいたい。
しかし、自分をよく知っている社会の上司や家族に、顔と一緒に見てもらう事は決して望まないのだ。

62ページ
1人の人間は、「分けられないindividual」存在ではなく、複数に「分けられるdividual」存在である。
だからこそ、たったひとつの「本当の自分」、首尾一貫した、「ブレない」本来の自己などというものは存在しない。

69ページ
分人のネットワークには、中心が存在しない。
何故か?
分人は、自分で勝手に生み出す人格ではなく、常に、環境や対人関係の中で形成されるからだ。
私たちの生きている世界に、唯一絶対の場所がないように、分人も、一人一人の人間が独自の構成比率で抱えている。
そして、そのスイッチングは、中心の司令塔が意識的に行っているのではなく、相手次第でオートマチックになされている。
街中で、友達にばったり出会して、「おお!」と声あげる時、私たちは、無意識にその人との分人になる。
「本当の自分」が、慌てて意識的に、仮面をかぶったり、キャラを演じたりするわけではない。
感情を隅々までコントロールすることなど不可能である。

94ページ
貴重な資産を分散投資して、リスクヘッジするように、私たちは、自分という人間を、複数の分人の同時進行のプロジェクトのように考えるべきだ。
学校での分人がイヤになっても、放課後の自分はうまくいっている。
それならば、その放課後の自分を足場にすべきだ。
それを多重人格だとか、裏表があると言って、責めるのは、放課後まで学校でいじめられている自分を引きずる辛さを知らない、浅はかな人間だ。
学校での自分と放課後の自分とは別の分人だと区別できるだけで、どれほど気が楽になるだろう?

138ページ
愛とは、相手の存在が、あなた自身を愛させてくれることだ。
そして同時に、あなたの存在によって、相手が自らを愛するようになることだ。
その人と一緒にいるときの分人が好きで、もっとその分人を生きたいと思う。
コミュニケーションの中で、そういう分人が発生し、日々新鮮に更新されていく。
だからこそ、互いにかけがえのない存在であり、だからこそ、より一層、相手を愛する。
相手に感謝する。

いちいち、お互いに愛していることをアピールし続けないでも、互いの存在そのものが、既にして、一緒に続ける必然なのである。

151ページ
言葉というのは、私たちそれぞれが生まれる。
遥か以前から存在していて、死後、遥か後まで存在し続けている。
私たちは、生きている数十年の間、一時的にそれを借りて自分を表現しているに過ぎない。
誰から借りるのか?———必ず、他者から。
本であろうと、対面の会話であろうと、とにかく、私たちは言葉を自分1人では決して身に付けられない。

完全にオリジナルな自分の言葉など、そもそもないのである。

分人の人格とは、相手とのコミュニケーションが生み出した、一種のパターンだ。
こちらがこんなことを言えば、相手がどう反応するか、分人はある程度、知っている。

私とは何か


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