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いのちが光であったなら。

(映像:2020/04/29 開催の pray with kodou。17人が onlineで繋がり、 kodou がリアルタイムで光になる体験。)

いのちとはなんだろうか。

目をつぶる。
音が聞こえる。
鳥の鳴き声。散歩する人の足音。息子の寝息。
すべて、いのちだ。

いのちとはなんだろうか。
原子や分子のような物質的存在
魂のような霊的存在
動的平衡のような状態的存在
どれなのだろうか。

モノにいのちを宿す、というように、
モノにいのちを感じる人もいる。

いのちとは
実在ではなく
感じてしまうものなのだろうか。

ウイルスは生命かという議論がある。
コロナにいのちはあるのか。ないのか。
分からない。
あるという人もいるし、ないという人もいる。

なぜひとによって、見えるいのちが違うのだろうか。
なぜひとによって、感じるいのちが違うのだろうか。
僕らは同じ人間なのに。

では、もしも、
すべてのいのちが光であったなら。

隣で寝る息子と妻も。
喧嘩している猫も。
大地に生えている大木も。
道端にある雑草も。

すべてのいのちが、光であったなら。

息子が寝息をするように
猫が泣き叫ぶように
大木が光合成するように。

人間も。動物も。植物も。
さらには。森も。大地も。月も。太陽も。
すべての営みが光として可視化されたなら。

それは、どんな世界なんだろう。

世界は世界。同じ世界なのに。
僕たちには見えない世界。
でもきっと違う世界がそこにはある。

すべてのいのちが、光であったなら。
そんな世界を見せてくれる眼鏡があったなら、
僕はその世界を見てみたい。

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