見出し画像

変化の予兆

8月に入ったくらいから、時間の流れが一気に変わった感覚がある。1週間ほどの香川県三豊市・徳島市・淡路島の旅もものすごかった。その他にも、すべての領域でいろんなことが起きている。

日々誰しも変容しているけれど、大きな変容はそんなに頻繁に起きない。僕でいうと、一つ前の大きな変容のタイミングは、アーティスト活動を始める前の数年間だった。

今、あのとき以来の、強烈な創作意欲が出てきている。常に何かを作り出したいし、生まれることを祈っているけれども、大きく質の変わるものが生まれる瞬間というものがある。僕でいうと、kodou が生まれる瞬間がそうだった。

この頃、私は、Earthrise に続く、"生命" や "いのち" の眼差しから見る、地球の姿を見てみたいと思っていた。そして生まれた作品が、"The Egg of the Earth"だ。

不思議な話に聞こえるかもしれないが、それが目の前に顕れても、何なのか分からなかった。何を創ってしまったのか、何が生まれてしまったのかまったく分からなかった。

はじまりの物語。Egg of the earth.

その時くらいの波が、近づいている気がする。正直、怖い。コントロールできる領域を大きく超えて、現実が起きてしまうから。コントロールできるという考え自体が思い込みなことを頭で理解はしているけれど、怖いものは怖い。

ついつい、なぜこのような波がきているのか、理由を考えてしまう。

一つの事実は、自分の中の、隠されていた欲望、真の欲望のようなものが出てきてしまったからだろう。無意識に閉じていた扉がまたひとつ、開いてしまった。閉じ込めていた何かが溢れ出た後は、混乱が起こる。前回は、胃潰瘍で病院に運ばれた。

変化ではなく、変容のタイミング。その大きな波に向かっている。確かなのは、これらを終えた後、僕から生まれるものは、多分今生み出せるものとはまた違うものになっていること。書きながら思い出したのは、昨年、人生初の坊主にされる瞬間を映像にした作品だ。考えてみればあの瞬間が、この変容に向けての、一つの大きなきっかけであったように思う。

あのとき、すでにヒビが入っていたのだ。一瞬、その中にあるものがすべて外に出てしまっていた。その後数日間、出会った人たちから、目が違うと言われていた。数日間でその感覚は失われてしまったけれど、思考で忘れても、身体は覚えていたのかもしれない。

あぁ、これから何が起こるのか。怖い。本当に怖い。もう嫌でしょうがない。けど、同時に、最高に楽しみだ。きっと、この過程を終えられたら、今見えていない何かに触れられているだろうから。あぁ、でもやっぱり怖い。

ここから先は

0字

芸術のげの字も知らなかった素人が、芸術家として生きることを決めてから過ごす日々。詩を書いたり、創作プロセスについての気付きを書いたり、生々…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?