見出し画像

映画「ミーガン」のネタバレ考察

AIが怖いアメリカ

日本人はなんとなく幽霊を信じてる。
幽霊否定派の僕ですら「この道、ぶきみだから嫌い」ってことある。
幽霊までは信じてないけど魂的なものはふわっと信じてる。
だからなんか幽霊が怖い。何かわかりません?この感覚。

アメリカはAIを怖がってる。
自我をもって襲い掛かってくる。
人類に取って代わる新たな種として登場するとなんとなく信じてる。
例えば、ターミネーターに出てくるスカイネットは突然自我を持ち、自己保存のために人類を抹殺しようとする。
何で自我を持つに至ったかはわからない。
アイザック・アシモフの「我はロボット」でもロボットは自分が人間だと思い込み、一緒に暮らしていた人間をロボットだと思い込む。
ここ最近だと「ザ・クリエイター」もAIに自我があると考えている。
AIが自我を持つとなんとなく信じる理由はおそらく「機能主義」が関係してそう。あと進歩主義。
AIと機能主義に関して「ザ・クリエイター」の考察で書いたので詳しくはそっちで。とにかく人が介在しないと怖いっと思ってるみたい。

歌ってごまかしてんじゃねぇぞ。

この映画、ミュージカル要素が多い。
ミーガンは歌う。
ミュージカルは人の思いを歌にする。
楽しい時は楽しい曲に
嘘ついてる時は嘘をついてそうな曲になる。
歌は感情に嘘をつかない。
でもミーガンはどうだかわからない。だから怖い。
「人間は歌えば騙しやすい」そう思ってるかもしれない。
この映画自体も二人の関係が「人と人とのつながり」を感じさせる時にそれっぽい曲が流される。
特にラストのミーガンが自宅に帰ってくるシーンは怖い。
姪との関係が変わってよくなっていきそうな曲が流れていく。
お涙頂戴映画ならここで終われるような曲。
でもこの映画だとミーガンが演奏してたってオチがついてくる。
「ね?こういう曲流せば気持ちよくなるんでしょ?人間は」みたいな。
ターミネーター2でシュワちゃんがこういう
「俺は涙は流せないが、人間が涙を流す気持ちがわかった」
じゃあもう無敵やん。
人の感情を理解して歌まで歌えるならもう人間に勝ち目はない。
だって感情だけ人とAIを区別してるって多くの人は思ってるんだから。

失う前から大事だと思っても大事にしない。

でもその大事な感情を育むと思ってる
「人と人とのつながり」
を面倒だって感じてる人が多いからAIは進化を続ける。
冒頭の夫婦の喧嘩もそれだ。子供をAIに任せるなとお互いを責めるが自分は何もしたくない。
ミーガンを壊して事件は解決する。でも何も変わってない。
これからもAIは使われるし、この姪と叔母もその内コミュニケーションが面倒になるかもしれない。
この面倒に思う事に対する解決策は映画では示されない。
というか示せない。心の問題を哲学はまだ解決してない。
それに僕達はそれを考えるのも面倒だし……

備忘録

映画チャイルドプレイのリメイク版でチャッキーが殺人鬼の魂じゃなくてAIの暴走に切り替えたのもAI恐怖症から来てると思う。

主人公がゲットアウトの彼女役。今回もまたサイコパス要素を持ってる。
姪より仕事が大事なのに、なんかかわいそうだから位の気持ちで引き取ってる。

恩知らずのガキ、これは割とそう。というか人類もそう。
自分で作って進化し過ぎだと怯えるのはなかなかのおバカさん。
ある意味この茶番はチャイルドプレイ(おままごと)と言える。

この記事が参加している募集

#映画感想文

69,031件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?