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「猿の惑星:キングダム」ネタバレ考察 ラストの解説

酒のつまみにカレーを出す

これが僕の両親が離婚した遠因だ。
晩酌のつまみを残しておいてほしいと言う父に対し母は晩飯のカレーを出して大喧嘩した。それから父は飲みに行く回数が増え不倫し離婚に繋がる。
つまみをコンビニで買えばいいのに直帰する父。この人に「ついで」と言う言葉は存在しない。
オカズを多めに作ればいいのにしない母。カレーて。「つまみ」って言うてるやん。カレーつまめるか?
とにかく二人とも身勝手な人だった。
同じ家に住む者同士なのに助け合いも譲り合いもしない。そうなれば争いは必然。誰でも知ってる。でも誰も譲らない。自分は損したくない。

偉大な自然と矮小な猿と人

冒頭、人類が築いた建物が緑に覆われそこが動物のすみかになる。
このシーンを美しく作るのに苦労したって話を海外サイトで読んだ。
「人類滅亡しねぇかなぁ」と常日頃思ってる僕はこのシーンだけで
「なんて素晴らしい日だ!」と心の中で叫んだ。
雄大な自然は人類の驕りすら飲み込んでいく。

このシーン以降多くの登場人物は身勝手な態度しかとらない。
初代シーザーの窓は旧リブート作から希望の象徴として使われてきた。
その希望や教えは歪んで使われている。
この映画は分断やナショナリズムの話だ。
主な登場人物の目的を簡潔に言うとこうなる。

メイ(ノヴァ)=人類世界の再興
ノア=部族救出と故郷再建
プロキシマス(新シーザー)=キングダムの拡張

この三名は譲歩しない。
旧シーザーは人類と仲間(コバ)を赦し譲歩してきた。
「追いつめると攻めてくる」と劇中で語り寛容さを示す。
だけどこの作品では互いに譲らない。
数少ない譲歩としてノア達はワシの卵をすべて取らない。
全部取れば攻めてくるし絶滅しかねない。
ワシの為でもあり自分たちの為でもある。
でもプロキシマスやメイには譲歩しない。
毛布だってラカに諭されるまで渡さない。
メイとノアの間に友情は生まれない。
マイノリティ同士が手を組み邪魔者を排除しただけ。
少数派と言えばラカのポジションがそうだ。

濁流に飲まれるキレイ事

ラカは旧シーザーの寛容さを受け継ぐエイプだ。
繰り返しになるけどシーザーの窓はそれが絵であれペンダントであれ希望を意味する。
この映画においては寛容さ、要は「エイプはエイプを殺さない」と言った愛や赦しが希望になっている。
しかし数世紀後の今作ではその希望はただのキレイ事だ。
実際ラカ自身も川の流れに飲み込まれてしまう。
現実でも少数の意見は無視されがち。正論か否かに関係なく。

猿の三国志

ノアはラカの教えを実行できなかった。
鉄の扉が開きメイがダムを爆破した後、ノアは言葉は少し引っかかる。
「イーグル族!上に登れ!!」
キングダムには他の部族もいる。でもノアは「皆」とは言わない。
よくあるパターンならここでエイプ全体を救うような行動に出るはず。でもそうはしない。自分の部族だけ。

メイもそうだ。
エイプに武器は渡せない、だから罪なきエイプが死んでも構わない。
ここで「見捨てられずにどうたらこうたら」ってのがお決まりだけどそうはならない。人類の為だけ。

プロキシマスは帝国主義で進歩主義だ。帝国主義は別名シーザー主義とも呼ばれる。
彼にとって人間は敵対勢力でエイプは労働力だ。
だから有能なノアを取り込もうとする。ノアが恨んでる事は考慮しない。
進化と拡張の為だけ。
だから革命を起こされる。

この映画って悪人はいない。敵はいるけどやってる事はさして変わらない。
救われない三角関係が僕らをモヤモヤさせる。だってエイプは得してないし。

反撃の狼煙が希望を覆う

王国は解体。ノアは以前の生活を取り戻したかのように見えるが人類は衛星でつながり戦いの気配が漂う。
ノアは託されたペンダントとメイに渡す。
ノアは寛容さはなかったが重要であることは知ってる。
メイにそのことを伝える。
人類の希望は衛星だけど、世界の希望は寛容さだ。
歓喜に湧く人々とは裏腹に複雑な顔をするメイ。
旧リブートの一作目は人類滅亡のきっかけの話だったけど、新作の最初は人類の反撃の始まりの話だった。
シーザーの希望はまた踏みにじられてしまうのか?

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