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非ミステリ映画「落下の解剖学」ネタバレ ラストの考察

白黒つけるぜ!

哀川翔のゼブラーマンのキャッチコピー。
ヤンヤンつけボーの動画のタイトル。
人って白黒はっきりさせたがる。
僕の両親は離婚してる。僕が小学3年くらいの時に。
原因は父が女にだらしなく、母が情緒不安定だったこと。
最初僕は母について行った。その後母が再婚するので父の元に帰った。
その時母は「裏切るのか」と言い、(父方の)祖母は「ようやくわかってくれた」と言った。
母と祖母はどっちが悪いかを決めたがった。
僕は他人と暮らすのが嫌だから都合のいい方に逃げただけ。
今の僕があの時の彼らに言えること。
「誰が悪いか?あんたら大人だよ」

ミステリと言う勿れ

映画の舞台はフランスの山小屋。誰も容易には来れない。陸の孤島的要素があって早い話が密室。容疑者はほぼ一人。妻が犯人、そうでなければ自殺。ミステリーと言うには質素すぎ。科学的アプローチもお手上げ。
殺されたかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
だから裁判は印象で判断することになっていく。
はっきり言って退屈です。ミステリーとしてみるなら。
これは真相を解明する話じゃない。

真実はいつもひとつ

だけど真実には誰も興味がない。映画内の弁護士が何度も言う。
「真実かどうかなんてどうでもいい」
つまり「どう思うか?」って主観が重要。
実際、妻はケンカの事を隠す。理由は「ケンカしてれば殺しもするだろう」と思われるから。
裁判は真実を明らかにする場所なのに印象で判断しそれを事実とする。
この映画でも結局どっちかわからないのに自殺と判断する。
殺してたなら事実誤認で犯罪を野放し。逆なら冤罪。
裁判って凄そうだけど欠陥がある。

「それってあなたの感想ですよね」

母であり妻であったサンドラの性嗜好や夫婦間の家事分担が問題になる。
このシーンが盛り場になってて、この映画のレビューでそれぞれ自分の気に入ったテーマで語りどちらかに肩入れしてる人もいる。
バイセクシャルが裁判で差別されたり、
どっちか稼いでるか、どっちが時間を奪われてるか、
性別、人種、言語、等々どのテーマも重要。
で、子供は?
裁判長が「あなたが傷つくのを考慮してられない」と言う。
子供は「もう傷ついてる」と返す。
大人が印象と感想で白黒つけようとしてる間、子供は無視される。
一年以上、ダニエルは「母が父を殺したかもしれない」状態だった。
そもそも、視覚障害も家事分担などの「より良いあり方」を実践した歪みで発生してる。
最後の陳述も結局は主観的な判断でダニエルの曖昧な視力とさして変わらない。
大人のせいでぼやけた視界で世界を印象や感想ってぼやけたもので判断するる。
この歪さが問題なのは今のところ解決策がない。
稼げる方が稼ぎ、時間がある方が家事をすると家事の方の稼ぎたい気持ちは無視される。
バイセクシャルを認めれば同性の人とお酒飲むだけで浮気が疑われる。
ドイツ人とフランス人の夫婦が間をとって英語を家庭内言語にしても不便さが残る。
どの問題でも「あちらを立てればこちらが立たず」でどっちつかずでいいとこどりも出来ない。
曖昧で欠陥だらけのこの世界で生きていかなきゃならない。
判断が正しかったかなんて誰にも分らない。
親子の再開もなんだか気まずい。
「ママは殺してたかもしれない」
「息子は自分を軽蔑してるかもしれない」
もやもやした気持ちで二人は眠りにつく。
明日もぼやけた世界で生きていくから。

備忘録

シュレディンガーの猫の話に似てる。
「観測するまで物事の状態は確定しない」
と言うコペンハーゲンさん。
「判断する情報がないから確率でしか言えないが確定はしてる」
と言うアインシュタインさん。
量子力学の話は置いといて現実では判断する材料とは決定的な証拠になる。
それがないことって結構ある。
で各々が感想と印象で「観測」して確定させる。
するとなんと人によって答えが違う。
サンドラは殺してるって思う人。殺してないって思う人。
箱の中の猫は箱を開けるまで死んでる猫と生きてる猫が重なり合ってる状態。この説明がなぜかしっくり来てしまう。
観測者によって答えが変わるのがこの世の不思議。
二重スリットとかなんとか言うけど人間の方がもっと奇妙でしたってお話。
全くめでたくない。ガッデム!!
https://youtube.com/shorts/pPB-sH4mo18?feature=share

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