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映画「ザ・ウォッチャーズ」 ネタバレ 考察

趣味は人間観察って言う奴

だいたい面倒くさい。
僕も言ってた時期があるから悪く言う資格はないのだけれど、殊更に言わなくても皆やってます。観察しパターンを見つけ、それが偏見になっていく。面倒って判断もきっと偏見。
で、なんでそう思うかって言うと観察して他人の悪癖を看破する奴はそうすることで自分の悪癖を見ないようにしてそうだから。要は自分を棚上げする奴。
誰だって自分の悪い側面を直視したくない。
皿を割った時、恐る恐る見るのと似てる。
昔、先輩が炊いた米を腐らせてしまい その炊飯器を開けたがらなかった。
「開けたら腐ってるの確定するやん」
確定してんだよ、もう。シュレディンガーの猫じゃあるまいし。
とにかく認めるには勇気がいる。そういう話。

妖精の国アイルランド

舞台はなぜかアイルランド。理由はウォッチャーズの正体が妖精だった事でわかる。歴史ではキリスト教に押され妖精信仰は廃れていったそうだ。
妖精が住む森も人間によって消えていく。ペットショップで流されるニュースは森林伐採だった。

妖精が日中に潜む穴の中で見つけた新聞には
「1992年 和平交渉決裂」と書かれてあった。
和平交渉って何?
これは人と人との話じゃなくて人と自然の話。
1992年に行われた地球サミットの事だ。
この中で「森林原則声明」という合意がなされた。
内容は「森林保全と持続可能な開発を目指す」と言うもの。
初の世界的合意だけど法的拘束力はなし。つまり努力義務。
「行けたら行く」と同じ。
と言うわけでそれからも森林伐採は行われ、32年前より4%以上の森が失われた。
「なんだそんなもんか」と思った?僕もそう思った。
でもこれって人間側から見た話だよね。
例えば僕が
「これまでお前のこといじめてゴメン。これからは毎日じゃなくて三日に一回にするわ」って言ったとして
君は「ありがとう」とはならない。
「お前の家、これからも毎年ちょっとだけ俺のものにするけどいいよな?」
いいわけねぇだろ!
これが和平交渉決裂の意味だ。
妖精側からしたら理不尽で馬鹿げたルールだ。
で、その理不尽をそのまま返される。

意趣返し

日が沈むと家に閉じ込められる。決められた時間しか外に出れず、森からは出れなくて、妖精の住処には近づいてもいけない。
人間が動物に強いてる事と同じだ。昼と夜が逆なだけで。
ルールを破ると殺されるのも一緒。
部屋の窓はマジックミラーなっていて人間は自分自身を見つめる事になる。
「お前がやってることやり返してるだけ」
自分自身を見つめるって言うと主人公は双子でラストで会いに行く。
自分のせいで顔に傷を負った妹?と向き合う。
ミナはこれまで自分の邪悪さを切り離して生きてきた。
それが冒頭に深夜の酒場で別人になりすました理由だ。
「あれは私じゃない」そう思い込もうとする。
母親から言いつけられたルールを守らず家族を傷付けた。
彼女は森でもルールを破る。
そもそもこのルールってなんだ?

ジャイアニズムの半分は優しさでできてる

理不尽なルールって強者が弱者にたいして押し付けてるのが多い。
「俺の物は俺の物、お前の物も俺の物」
ジャイアンのルールはそんなのばっかり。
映画でもルールを宣言してるのも強者ばっかり。

現実では自然に対して理不尽ルールを押し付けるのは人間。
映画ではマデリン、自然側にルールを押し付けられる。
主人公の過去では母親に車では大人しくしておくルールを言いつけられる。
逆らうと罰がある。妖精と親が強者、人間と子供が弱者だ。
親が子に言いつけるルールは危険から守るためでもある。
子供からすると自分を制限するだけのルールにしか見えない。
マデリンもペットを飼ってるつもりで守ってたと言う。
理不尽なルールにすら悪い面と良い面がある。
自分の悪い面は認めるのは難しい。
他人の邪悪さに良心を見出すのも難しい。
だけどそのままだと共倒れになってしまう。

インコはダーウィンと名付けられた。
どこで覚えたのか何度も「死なないでいて」と鳴く。
生きてていてほしいと言う願いだ。
本物のダーウィンも進化論の説明でこう言う。
「最も強い者が生き残るのではない。 最も変化に敏感な者が生き残るのだ」

僕らがこの先 生きのこるには世界の変化に気付き、自分の非を認め、他人の邪悪さを許す心を持つ必要があるのかもしれない。
ミナがマデリンに願った愛と許しを僕ら人間も持てるのかを
きっとどこかで誰かが見てるに違いない。

備忘録

ペットショップって言うのも自然に対する悪意を含めてる気がする。
母親はタバコ、ミナは電子タバコ、吸ってる後姿がダブる。この意味なに?

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