フィクションは現実に根付いている
私は比較的論理的な人間であり、一貫性のない事柄が嫌いだ。
表層的なものにはあまり興味が湧かず、刹那的な快楽にふけている人々を見ると、今この行為の意味やその人たちの将来、そして自分の将来の生き方まで考えてしまう。
そんな私は映画やドラマ、アニメが大好きだ。
「なぜ好きなのか」と聞かれれば「面白いから」と答えられるが、「なにのために見ているのか?」と聞かれれば、私は返事に困る。
アニメや映画などの「フィクションを見る目的」については、私も何度か考えたことがあるが答えは出ていない。
「楽しいから」「面白いから」という理由はもちろんあるのだが、それだけでは納得できないからこの問いの答えを思索することをやめられない。
現実に根ざして生きる人間として、やはり自分の人生をより豊かにするための目的が欲しいと感じてしまう。
まあ今更理由を後付けしたところで、ドムハンクスやカンバーバッチの演技に魅了され、魔法学園の世界観に圧倒された時間が正当化されるわけではない。これは私の中での区切りの問題である。
今日ふと一つ答えが得られた気がしたのでここに記す。
結論から言えば、「フィクションは現実に根付いている」ということである。
人間は現実に根ざした人間である。
上記の問いを抱える私は人間であるが、また同様にフィクションの書き手も人間である。
よって、その発想や表現内容・方法、作品に込められたメッセージは、その作家の経験や時代に間違いなく影響を受けている。つまり、そこから抽出された成果物も、同様に現実に根ざしているはずである。
作者は感じた日常や世界を俯瞰して見たときに感じる具体的な違和感を抽象化し、それを物語に落とし込んでいる。
冗長となってしまったが、このメモで言いたかったこと以下である。
「フィクションを楽しむ理由は、作品の背後にある作者の五感を想像することで『面白さ』の根源を知ることができるからである」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?