歌になっているかなっていないかがあるだけ
表現に類するものの場合、そこに客観性の高い優劣をつけることは難しい。絵や音楽など複雑で高度な技術を駆使した作品が、必ずしも訴求性が高い、もしくは意義のある作品になるわけではない。優劣の分岐点を作ることが難しい。
こんなときには、少し道を引き返してみる。戻ってみると、いつのまにか自分が「表現であるかどうかの分岐点」を気にせず進んできたことに気づく。
表現にとって重要なのは優劣の分岐点ではなく、表現であるかどうかの分岐点なのではいだろうか。
冒頭に引用したのは椎名林檎にまつわるwiki。信憑性は低いかもしれないが、椎名林檎の音楽性を示している言葉である。
歌になっているかどうか、絵になっているかどうかはそこに優劣をつけるよりも簡単だろう。ただそこに分岐点を作ること自体に意味があるかどうかはわからない。表現においてはその先に分岐点を作ることが難しく、消去法的にその重要度が増しているだけかもしれない。
おそらく作り手の視点にたったときにはこのような感覚になるのだろうと思う。自分が作品として良いと思ったものが、受け手によいものだとは限らない。適当に作ったものが受ける、というのはよくある話である。
結局はどのような文脈で解釈されるかによってその価値が決まる、ということなのだろうが。
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