見出し画像

3.11と戦争

3月11日。

あの壮絶な状況を11年前、私は東京の実家で体験した。

私が育った東北、ゆかりが深い場所がいとも簡単に飲み込まれていく。建物、土地は崩れ、人の心も壊れていく惨状を目の当たりにして、もう言葉にできない、なんとも言えない気持ちになった。

当たり前のようにあったものが、一瞬で崩れる。
それまで一生懸命積み重ねてきたもの、人が創り上げてきたものが一瞬でなくなる。
(形はなくなっても、精神的に生き続けるものの方がこの世の中には多いと思う。そういうものを作れるのが人間の特性であるし、私はそういった価値や精神性を大事にしたい)

そして、しばらく人生とは何だろう?という疑問に苛まれるようになった。

私は大学1年生の時に母親を亡くしている。当時50歳ほどの若さだった。

震災当時もまだ大学生。

それまでは、「病気にならなければ、70年、80年ぐらいは生きるのだろう」という考えがあったし「どんな形であれ、日本に住んでいれば人生はなんとか続いていくのだろう」という楽観主義的な考えが抜けなかった。
そうやって「当たり前」の生活が続いていく前提で、人生プランを描いていた。

しかし、自分自身の人生について悩み惑う時期に、人の死と直接向き合う経験を重ねたこと、さらにあの衝撃的な映像を見てガツンとバットで殴られたような気がした。その後、瓦礫以外何もなくなってしまった被災地へ赴いて、空虚さとむなしさに包まれた。

それからだった。「一瞬一瞬、悔いのないように自分らしく生きる」ということが大事だ、という光がぼんやりと見えてきた。

日々、いろいろなことに忙殺されていると、「しんどい」「休みたい」といった気持ちに負けてしまうことも多いのだが、常に頭の片隅にこの意識を置くようにしてきたし、要所要所の決断、選択の際に私の判断の礎となっている。

とにかく3月11日は忘れられない日だ。

この特別な日、生涯忘れてはいけない日に、ヨーロッパで戦争が起こっている。
とても残念なことだ。

自然災害と人為的な戦争、原因は別物だが、どちらも災害であることには変わりない。

死傷者が出る。生き残った人の心が荒む。終わった後もすぐに元の状態に戻るわけではない。

荒廃した社会においてはさまざまな思惑や利権が絡み、醜い争いはなくならない。

こんな状況において、私には被災地やウクライナへの寄付以外、何もできていないのがもどかしい。

日本からも義勇兵に応募した人がいると聞く。

外務省は当然、止めるだろう。しかし、どんな状況でも、口だけでなく、自分で行動できる人に私は敬意を表する。

勇敢な彼らの意志には心から拍手を送りたい。

北海道に住んでいると、北方領土というロシアと火種を抱えている領土がすぐ近くになる。

国後島がすぐ近くに見える羅臼町の人ほどではないが、本州に住んでいたことよりも、領土問題がぐっと身近に感ぜられるようになった。
やはり物理的な距離感と実体験が何より大事なのだ。

つい先日、ロシアが北方領土を経済特区に指定したとのニュースを目にした。

さらにミサイルを用いての軍事演習。今のロシアと日本の関係を考えてみれば、容易に予想された挑発である。

私の周囲も危機感が薄い。私自身も東京にいたらもっと希薄な危機感のまま、日々を過ごしていただろうと思う。


「3.11」という日に、戦争のことを考えていたら、「風化」ということの恐ろしさと、
「過去に目を閉ざす者は、現在に対してもやはり盲目となる」と発した、ドイツのリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー元大統領の言葉を思い出した。

過去の積み重ねによって現在ができている。

今年度から、国の震災復興関連の予算が一気に減額されていく。

正解が見えない社会において、どこにどれだけ投資していくかを考える上で、何を大切にするかは大事である。

振り返るべき過去と今起こっていることにしっかり目を向け考える。それが未来志向で生きることの大前提になる。

この地球に住む一人間。ちっぽけな存在である私に何ができるか。これからも頭を使って考えていこう。

※写真はウクライナの隣国であるポーランドの首都・ワルシャワ。バックパッカー時代、ウクライナには行けなかったものの首都キエフは非常に歴史ある街。無意味な破壊がされないことを祈ります。

サポートいただきありがとうございます。地域活性化活動、特に次世代の子どもたちの探究学習の支援に使わせて頂きます。