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Wang Dang Doodle

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(ワン・ダン・ドゥードゥル) 詩・小説・作文
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 柿内さんちでも亀を飼っている。2021年4月号の「文學界」に掲載されているエセーはその亀の話から始まる。

 うちのアントニ・ガウディの話から始めようと思う。いま目の前で気持ちよさそうに日向ぼっこしている、四歳だか五歳で、たぶんメス。剝がれかかった甲羅はもうずいぶん前からそのままで、きれいに半分だけ剝がしたかさぶたのように、見ているこっちがもどかしくなる。愛称はトーニョ。トーニョはミシシッピアカ

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ムーン・リバー

「うちのお母さんは元気。頭もしっかりしてるしね、お父さんのことも分かってるし、ワクチン打ったこともちゃんと頭に入ってるよ」
 と母が言って、彼はそんなこと言わなくていいじゃん、と思った。祖母は、
「ああそう、」
 と言って下を向いた。傷ついたから下を向いたのかもしれないがそれは分からない、彼の邪念で、そんなことはなくてただ単にたまたま下を向いただけかもしれない、祖母の今の気持ちまでは分からない、た

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マルボロ

 赤坂先生のワイシャツの胸ポケットにはタバコが入っていた。マルボロの赤いやつ。白いシャツから透けているのが見えた。朝の会で教壇に立っている赤坂先生の胸ポケットに入っているのが透けて見えた。私は前の方の席にいたからよりくっきりタバコが見えたけれど、後ろからでもそこそこ見えた。中学生ならば、先生のタバコを見たら、自分もくすねて吸いたいとか、もう親のタバコをくすねて吸っている人は、
「おれはハイライト」

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ココロン

「ココロン」はコンビニの名前で、仮称である。いつだったか覚えていないがずいぶん前に閉店した。もしかしたら利用していたのは私ぐらいしかいなかったのかもしれない、店はいつも空いていて、というか誰もいなくて、でもレジにいるあばさんは私みたいな小学生の男の子が来ても、私がいる間はいつも直立していた。レジの中に椅子は置いてあって、誰もいないときはそれに座っていたのかどうか、バックヤードで待っていて店のドアが

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祖父の葬式

 祖父の介護は父がぜんぶやっていた。それを今になって申し訳ないと思っても遅かった。今日は祖父の葬式である。
 祖父は86年生きた。家を片づけると、少なくない量のアルバムに収められた写真が出てきた。生前から時間をかけて父と母が片づけていた。家から物はすっかりなくなった。職場の慰安旅行、親族の旅行、その集合写真の中に若い祖母もいた。マイホームを背にして、白地に、胸元に水色の横線が6本くらい入っているポ

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蝉 (八)(九)

 もう蝉のことなんて一切書いていない。タイトルを『蝉』と名づけていいのか。タイトルも本当はなくてもいいのだけど、ないとダメらしいからつけてはいる。誰がダメと言っているのかは知らない、誰も言ってない。でもタイトルの付いていない小説を見たことがない。だから多分ダメなんだろうと思う。「交響曲○番」とかって、音楽ではできているけれど小説にはない。あるのかも知れないけど、知らない。
 蝉はずっと同じ状況で、

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蝉 (七)

 人生を満喫して早く死にたい。(早く帰りたい)
「まず生き延びること」と今年の元日に決めた。
 コロナのおかげで、おかげと書くのは抵抗があるが、あまり時間が経つこと、今日一日をまず生き延びることを、あまり考えないで済んだ。いろんな人が「夏の実感がないまま夏があっという間に終わった」と言っていた。その通りで、夏なんだから夏らしいことをしなきゃとか、そんなことを考えずに済んだからよかった。
 自分が何

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蝉 (六)

 ひさしぶりに早く起きた。現在四時三十五分。書き始める。
 本調子に乗るのは六時すぎた頃で、蝉は見ないままに書くしかない。こんな朝っぱらから蝉を見ていたら父に変態だと思われる。
 五時半ごろ、一階に降りて、口をゆすぐ。私には毎日これをやらないと一日が始まらないと思えるようなルーティンはないけれど、唯一、朝に口をゆすぐのはやらないと気持ちが悪い。筆の進みが悪いような気もする。
 リビングには父が布団

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蝉 (五)

 十日目、今朝は蝉の姿を観察した。しないと今日の小説を書けないような気がしたからだ。
「あった」
 さすがに両親が朝メシを食っている横で声に出して「あった」とは言わなかった、そんなことをしたら変態だと思われる。心の中でつぶやいた。つぶやくほどのことでもなかった、姿は変わっていなかった。最後に観察したのは三日前だったと思うが、そのときの姿形からほとんど、まったく変化していなかった。
 母がベランダに

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蝉 (四)

 九日目である。蝉について書いたのはいつが最後だったのか忘れてしまった。もちろん、何を書いたのかも覚えていない。ウォーミングアップとして、そのとき浮かんだ断片を書いていると思いの外それが楽しくなってしまって、どんどん書いてしまう。それで五枚が終わるから私はそれで満足して書かなくなる。一応、ちゃんと観察はしている。昨日は父に、
「なに探してるの?」
 と訊かれた。私はリビングの窓から外に出て、庭に置

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蝉 (三)

 昨日書いたところで小説は完結するつもりだった。つもりもなにも、観察する蝉がいなくなってしまったのだから小説を書くことはできない。
 今日は七日目だ。結論から言うと、蝉はあった。部屋のカーテンを開けに来た母が蝉に気づいて、熱いコンクリートの上ではかわいそうだから、一階に持っていって、外のガーデニングの鉢の土の上に置いていた。見ても私にはその鉢になんという名前の植物が植わっているのか分からなかった。

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蝉 (二)

 六日目、ベランダをのぞくと蝉はいなくなっていた。
 どうしようかと思った。これでは小説が書けない。どうしようかどうしようか、とずるずる気持ちを引きずったまま机にむかって一時間が経った。

 一日は憂鬱でありやくそく、叱責でありときどき逢瀬であり、自分と同じでかさ質量のずだ袋を引きずって、ずーるずーる歩く行為であって、それがわたしのコーヒーの飲めやん癖とどう関係してるんかということはまったく考えた

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蝉 (一)

 ベランダに落ちている蝉の死骸を観察しようと思い立ったのは、私が蝉が落ちているのに気づいてから四日経った朝のことだった。
 もう四日も経っているのだからカラカラに乾いて、粉々になって、風に飛ばされたかもしれない、最終的に死んだ蝉はどうなるのか、百年も一千年もこの場所にずっと留まり続けるはずがない、土の上なら微生物が跡形もなくきれいに、お米一粒も残さず分解してくれるだろうけど、あいにくベランダはコン

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優しくなれない

優しくなれない

 優しくなれないのか性根が曲がっているのか
 どちらかといえば性根が曲がっているのだから
 「優しくなれない」なんてことを悲観する必要もなく
 「優しくなれない」のではなく
 「優しくない」のだから
 「優しくない」と胸を張ればいいではないか