蝉 (七)


 人生を満喫して早く死にたい。(早く帰りたい)
「まず生き延びること」と今年の元日に決めた。
 コロナのおかげで、おかげと書くのは抵抗があるが、あまり時間が経つこと、今日一日をまず生き延びることを、あまり考えないで済んだ。いろんな人が「夏の実感がないまま夏があっという間に終わった」と言っていた。その通りで、夏なんだから夏らしいことをしなきゃとか、そんなことを考えずに済んだからよかった。
 自分が何歳まで生きるのかよく分からない。四十代で早く死ぬかもしれないし、八十すぎまで生きている感じもある。でも、ただ何もない一日を過ごすぐらいなら別に死んでもいいかなという感じはあって、でも私はできたら八十歳ぐらいまでは生きたいんだけど、その理由はたんなる「長生きがしたい」ではなく、小説を何十年も書きつづけたらどんな景色が見えるのか、その景色を見たい、という気持ちだけで前を向いている。みうらじゅんが、
「エロスクラップをたった一冊作った人と、五〇〇冊以上作ってる僕とでは、見える景色がぜんぜん違う」
 と言っていてその景色を見たい。四十歳を過ぎるとだんだん体力の低下に直面して、それまでは多少寝不足とか、多少体調不良でも若い体力があるからなんとか仕事はできたけれど、四十過ぎて体力の低下に直面すると、その多少の無理ができなくなるから、健康に留意しないといけない、体力が無くなったなりの方法を新しく考えないといけない。『水曜どうでしょう』とかはその体力の低下とか、老化に忠実な番組の作り方をしているように見える。飽きたら「飽きた」とちゃんと言う。私も飽きたときには紙上で「飽きた」と書いているけれど、二十三歳の私が言うのと、五十五歳の藤やんが言うのとは重みが違う。私も五十歳になって「飽きた」と言いたいし、保坂和志が小島信夫の晩年を「ボケたかのように書く」、「ボケても書ける」と言っていたけれど、私もボケても書きたい、そこにどんな光景や境地があるのか知りたい、それだけで前を向いている。
 茨木のり子の詩は、

  心配しないで
  死をしそんじた者は今までに一人もいない
  千年も生きて流浪する
  そんなおそろしい罰を受けた者は一人もいない

 この四行詩が好きで、死は怖いものでも痛いものでもなく、それまでの人生を懸命に生きてきた人に対する、慰めのようなものなんじゃないかと思ったりする。目の前で生きているからその人が生きていると感じるのはもちろんだけれど、その人がいないことで、不在であることで生きていると感じることもある。
 くわしくは書かないけど、中学校でお世話になっていた駐在さんが最近亡くなったらしい。話は母から聞いた。母は中学校のお母さん友だちから聞いた。四十歳で、まだ小さい子どもが三人いるらしい。
 だれかが亡くなったことについて他人の私が勝手な妄想を書いたり、意味づけしたり、判断をしたり、そんなことは絶対にしてはならないことだと思う。だから、駐在さんについてどうこう書くつもりはない。中学生のときも、遠くから見かけたりしたことはあったけれど、特別親しかったわけでもなかった。

 喫茶店に行った。今日の分を揃えるのに、午前中いっぱいかかってしまった。喫茶店で二時間ほどすごして、さっき帰ってきた。
 退屈しないように本をたくさん持っていたけど、ずっと『読書実録』を読んでいた。保坂さんの書く文章は、文章を書きたくさせる。早く帰って、小説のつづきを書きたかった。

「父は昨晩から子どもたちの見ている前で必死になって肉の塊を切ろうとしている。父の手の中で包丁は熱せられて真っ赤になっている。」(『読書実録』p.116)

 私は机のうしろにある窓から強く風が吹きつけていて、原稿用紙が飛ばないように、小学校のとき家族旅行で行ったガラス細工工房の工作体験で作ったガラスの文鎮で抑えていた。もう間に合わず紙は飛んでいったので、腹が立って窓を閉めた。
 ラジオを聞きながら書いている。坂口恭平がラジオに出ている。けっこういいかもしれない。目の前の原稿に集中しないで済む。手を動かすことだけに集中して、細部にこだわって一喜一憂、一喜することはほとんどないが、一憂しないでいい。こだわっているあいだに何を書こうとしていたのか忘れてしまう。思い浮かんだらその瞬間に書かないと、後で書こうと思ってももう遅い。だからパソコンではなく、手書きで第一稿は書くことにした。タイピングは遅い、遅いというか私がヘタで上手に早く打てないから、今思い浮かんだ文章を書き始めても、その文章が終わるまでに次の文章が浮かんでも、前の文章(今書いている文章)を書き終わるまでに時間がかかるから、次に書こうとしていた文章に取りかかったときには何を書こうとしていたのか忘れてしまう。あと、パソコンではメモすることもできない。原稿用紙なら余白があるから、そこに思い付いたことをメモしておくことも出来るけれど、パソコンではそうもいかない。
「横にノートか、雑紙でも置いておいて、そこにメモを残しておいたら?」
 それも考えたんだけど、ペンを持ち替えている時間も惜しい。メモがたくさんになるとどれが何なのかも分からなくなるから、できたら一枚の中でぜんぶ完結させたい、そう試行錯誤していくと、やっぱり原稿用紙がいちばんいい、ということになった。
 ラジオの会話はどんどん進んでいく。相乗効果でこっちもどんどん進んでいく。聞こえてきた言葉で印象に残った言葉をメモしておく。

「頭の中にある砂漠を小説にするにあたって、形容詞化ではなく、描写しないといけなくなった」
「完成したありきたりな言葉を使わずに描写する」

「コロナも死にたい人たちにとっては、悪いものじゃない」と坂口さんが言った。

 いのっちの電話。
死にたくて坂口さんに電話をかけてきた人「死にたいー」
坂口さん「外出れば?」
「いやぁ、コロナがあるので…」
「えっ? 死にたいならコロナに罹って死ねばいいじゃん?」
「あっ! そうか!」

「もちろん、冗談で言っているんですけどね。でも見方を変えることはものすごく大事で……」と坂口さんはつづける。この会話はTBSラジオの「ACTION」という番組(金曜日だったので聞き手は武田砂鉄さん)にゲスト出演されてて出た会話の断片なんだけど、さすがに記事にはしにくい内容なのか、後日ネット上にアップされた公式の文字起こしの記事には、この会話は書かれていなかった。でもいちばん核心の部分のように感じるから、ここには書いておく。
 私もそんなに悪いものじゃないと思っている。それはもちろん感染することについてではなくって、コロナはただの風邪だと言ってマスクをしないで大人数で電車に乗ったり集会を開いた人たちがいたらしいけれど私はその活動にはまったく賛同しない。そうではなく、コロナが社会に与えた影響については、悪い面もあるけれど、良い面もたくさんあったと思っている。経済活動が強制的にストップしたことでいろんなことを考えるようになった。さっきも書いたけど、休みの日なんだからどっかに遊びに行かないともったいないんじゃないかとかも考えなくて済んだ。
「早く、以前の日常に戻りたい」と思っている人はもしかしたら、今までに猛烈に死にたくなったりしたことがない人たちなのかもしれない。
 いや、そんなことあるか? みんな、一度や二度は考えないか? 絶対考えてたはずだ。なのにそんなことはなかったかのようにしてしまって、保坂和志の言葉で言えば、小説を書いている小説家も小説に飽きているのに飽きていないかのように書いている、読者も飽きているのに飽きていないかのように書いている。死にたいと考えている方が異常で、死にたくないと考えている方が正常なはずがない。「死にたい」と考えたことがあるのにそんなことは考えたことがないかのように振る舞う。または考えちゃいけない、と思う。でもその感覚は私にもすこし残っていて、卒論の書き方を教えてもらった大学の先生がツイッターで、「自分の好きなことができなくなると、死にたくなる」とサラッと書いていて、「えっ、先生も死にたくなることがあるんだ……」とびっくりした。そのあとで「そりぁそうか」と思った。大人はそんなこと考えていないはずだ、と心の奥のところで思い込んでいた。
 九十歳になってから「死にたくない」、「まだやり残したことがある」と言われても、ならばどうして若いうちにやっておかなかったんだ! としか言いようがない、と養老孟司がインタビューで言っていた。「その人は今までちゃんと“人生”を生きてこなかったんだろう」、「霞が関のような働き方では人生が終わってしまう」と。
 祖父はどちらかといえば霞が関的な、仕事一筋の人生だったのかもしれない。分からない、実際に見てきたわけではないから分からない、祖母や、父から話を聞く分にはそんな印象を受ける。退職後は、地域のコミュニティーにも属していなかった、趣味は将棋しかなかった。将棋も、近くの市民センターだとか、将棋教室だとかに行って地域のおじいさんたちとやれば刺激にもなったかもしれないが、パソコンを手に入れて、ゲームソフトを自分で買ってきて、インストールして、パソコンで将棋をしていた。年賀状もパソコンで書いていた。だから、他のおじいさんに比べたらパソコンを操れることはすごいことで、新しい挑戦のアンテナは敏感な方だったのかもしれないけれど、同時にパソコンのおかげで家から出なくなってしまったのも事実だった。唯一の趣味の将棋はパソコンで指せるから、家を出て、誰かと会って指す必要がなくなった。
 あっという間にラジオは終わってしまった。また無音の中で書き進める。
 もう今日の分の原稿は揃っているから書かなくてもいいのだけど、『読書実録』を読んだら書きたくなったから書く。本当はこんな前置きもいらない。

「父は昨夜から子どもたちの見ている前で必死になって肉の塊を切ろうとしている。父の手の中で包丁は熱せられて真っ赤になっている。」
 この唐突な、うっ(傍点)と吐きそうになるほどのリアリティは夢でしかありえない、(『読書実録』p.116)

 またぶつ切りになってしまって申し訳ないが、今「うっ」と頭に浮かんでしまった文章を、下らないことだとしても書いておかないといけない。その方が楽しい。
 さっき、外から強い風が吹き込んできて、原稿用紙が風に飛んだ。書きにくくて仕方がなかったから窓を閉めた、と書いた。自分で閉めた。なのに風がなくなったら亡くなったで今度は、
「暑い…、暑い…」
 と文句を言っている。
 あの暑い夜、この部屋にはエアコンがなく、窓を開けていてもまったく風が入ってきてくれず、二時間に一回、暑くて目が覚めてしまうような部屋に住んでいて、あの夜に喉から手が出るほど欲しかった風が今は吹いてくれているのだから、原稿用紙が飛んじゃうとかそんな下らないことを言っていないで、風に当たれる幸運を嚙みしめるべきで、私はまた机のうしろの窓を開けた。
 筆写のつづきをする。もう最初から書き直したりしない、読点のつぎから書き写す。

夢でなかったとしても考えついたわけではなくその情景が突如として浮かんだ(p.116)

 人生で一番たのしいものはセックスらしい。坂口さんが言った。

 私はもともと、セックスをするのが好きだ。なぜなら、セックスをすると気持ちがいいからだ。セックスほど気持ちのいいことは知らない。(遠野遥『破局』)

 でもそう思う。童貞か童貞じゃないかが若い頃はとくに男の大きな関心事であるのと、酒が飲める二十歳をすぎたかすぎないかは似ていて、酒もセックスも他に同じ快感を与えてくれるものがないのかもしれない。だからあんなに執着していたのかもしれない。今月はひとつ目標というか予定ができた。だから今月はまだ生き延びられる。その予定を遂行するまではまだ死ねない。それで思った。セックスは生命の源だ。本当にそう思った。「あいつはスケベおやじだ」とか「いくつになっても恋してたい」とかそういうことではなく、生命そのもの。生きることに禁欲的になってはいけない。

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