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赤黄色の初恋

小学校高学年。
夏休みも明けて、蝉時雨も落ち着いてきた頃の出来事。

少年がいつものように本を片手に下校をしていると、
「○○く〜ん!」と真正面から手を振る少女がいた。

少年は顔を上げ、笑顔を振りまく少女に一瞥をくれる。
特に面識もない、隣のクラスの同級生・A子だった。

軽く会釈をしながら通り過ぎようとすると、
A子は「気をつけて帰ってね!」と
同じトーンで元気よく声をかけてきた。

少年は、中学受験を控える優等生。
友人と無駄口を叩いたり、遊ぶ時間があったら、
勉強をしたいし、本を読んでいたい。

少年は、小学生ながらになかなか尖った性格をしていた。
だから当然のことながらA子にも関心がなかった。

しかし、来る日も来る日も、
下校の帰り道にはA子の姿が現れるようになった。

無愛想に返事をする少年をよそに、
A子は気さくに「○○くん!」「気をつけてね!」と声をかけ続けた。


それから1ヶ月、キンモクセイの香りがするようになった下校道で、
いつものように少年を待つA子の姿。

今日は珍しくいつものA子らしいハツラツとした笑顔がなく、
どこか物寂しげな表情をしていた。

さすがの少年も見かねて「どうしたの?」と声をかけたが、
A子は下を俯いたままモジモジとしていた。

ーー数秒ほどの沈黙。

気まずそうな様子のA子から放たれたのは、
「私…転校することになったんだ」という一言。

少年は、びっくりした表情を一瞬したが、
冷静になって「そう…なんだ」「寂しくなるね」と声をかけた。

ーーそれから、再び、数秒ほどの沈黙。

A子は、「そういうことだから…」「じゃあね…!」と
笑顔でその場を離れていった。


翌日。
帰りの会では「隣のクラスのA子が転校することになった」と
担任から発表があった。

周りの生徒からは驚嘆の声が上がり、
いつも以上にひどくざわめいたものだから、
どうやらA子が転校する事実を知っていた者はいなかったらしい。

当たり前だが、
それ以降、下校道に彼女が現れることはなかった。


あれから、少しだけ月日が経った。
少年は、いつものように本を片手に歩道を歩いている。

うっすらと見える視界の一部で、
赤とんぼが元気よく飛んでいた。

数ヶ月前に漂っていたキンモクセイの香りは、もうしなかった。

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