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「東京観光日誌」#24|京橋|国立映画アーカイブ

銀座四丁目から中央通りを北上していき、銀座一丁目を超えるとすぐに京橋交差点にたどり着く。「国立映画アーカイブ」へ直接行く場合は東京メトロ銀座線「京橋」駅が最寄駅になる(写真下)。

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ここからは目と鼻の先にある。地図で見るとこんな感じ(写真下)。

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ここだ・・。「国立映画アーカイブ」の入口(写真上)である。

・ 展示室「日本映画の歴史」から

今回は「国立映画アーカイブ」を紹介しますが、少々内容が渋めになってしまった。了解の上、中に入ってほしい。1階エントランスはこういうスペースになっている(写真下)。

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ふ~ここまで結構歩いた・・ひとまず小休止だ。

現在13:30。開場は14:30で開演が15:00。今日はここの長瀬記念ホールOZUの映画を観ようと思う。もちろんチケットはチケットぴあで購入済だ。
ここには展示室がある。まだ1時間余裕があるので、映画を観る前に覗いてみるつもりだ。早速エレベータで7階へ上がってみよう。

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展示室では企画展として「MONDO映画ポスターアートの最前線」が行われているようだ(写真下)。

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引用元:国立映画アーカイブホームページより

常設展は「日本映画の歴史」となっている。
観覧料は企画展・常設展合せて一般250円。ここが入口付近の様子(写真下)。では、展示室に入ろう。

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最初は「日本映画の歴史」常設展から鑑賞する順路になっていた(写真上)。

紅葉狩もみじがり」か・・え~と「明治期を代表する歌舞伎の名優、九代目市川團十郎だんじゅうろう(1838~1903)と五代目尾上菊五郎(1844~1903)が、それぞれ更科姫さらしなひめ平維茂たいらのこれもちを演じた『紅葉狩』は、日本人が撮影した現存する最古の映像である」・・か。さすがにアーカイブ。こんな前からの展示物になっている。
こちらは歌舞伎役者、沢村四郎五郎に関する資料(写真下)。

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昔の娯楽の花形は歌舞伎だったわけだ。皆が観たいものが映像化されたんだね。実は今晩は歌舞伎座にも行く予定でいる。何気に話がつながっているようだ。

展示品は1920年代「サイレント映画の黄金時代」へと移り、記録映画・ニュース映画等の紹介、時代は戦争・関東大震災が背景になっている。当時の撮影機も展示され、こちらはアーケリー撮影機(写真下)と呼ばれた当時としては小型軽量カメラであったそうだ。

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他にも様々な撮影機が世に出始めてきた。これはウィリアムソン式和製撮影機(写真上)。この後、国産映写機も展示されていた。
実は高校の頃、少し8mm映画に凝ったことがあった。家の天井裏にフィルムが残っていると思う・・保存状態が良くないのでもう観れないだろうな。

丹下左膳たんげさぜんのポスター(写真下)。丹下左膳は現代の役者も演じているようだが、残念ながら一度も観たことがない。

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この辺りは私の生まれる前の作品ばかりだ。解説を読むと「六大時代劇スター」が現れるとある(写真上)。丹下左膳という特異なキャラクターを生み出した大河内おおごうち傳次郎でんじろう、「バンツマ」こと坂東妻三郎、「鞍馬天狗くらまてんぐ」等のシリーズもので気を吐いた「アラカン」ことあらし寛寿郎かんじゅうろう、「旗本退屈男」で貫録を示した市川右太衛門、明朗時代劇でユーモラスな演技を見せた片岡千恵蔵、女性ファンの心をつかんだ林長次郎(後の長谷川一夫)。彼らはともに第二次世界大戦後も日本映画の大スターであり続けた、とあった。名前は聞いたことがあるが、こちらもほとんど知らない。

この後1930年代「トーキー革命へ」と移り、東宝映画会社が設立。日本映画の新たな勢力として伸長、なかでも大きな人気を獲得したのが、榎本健一(エノケン)や古川緑波(ロッパ)らが主演する軽快なコメディ・・か。これも名前は知っているぐらいだ・・。せっかくなので、YouTubeでチェックしてみたらこちらが出てきました。雰囲気だけでもどうぞ。

あ、小津安二郎の名前が出てきた(写真下)。

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やっとこの辺から知っている名前が出て来た・・映画も「東京物語」や「麦秋」をアメリカのレンタルビデオショップで借りて観た覚えがある。

展示品は1930年代後半から40年代「戦時下の日本映画」へと移り、映画の役割も変わっていったようだ。国内で映画を国家統制の手段として利用しようとする動きが強まる一方、日本が併合していた朝鮮半島、侵攻した中国大陸、太平洋戦争時に占領した東南アジア諸国でも、プロバガンダの媒体として映画の重要性が唱えられるようになった。

そして、敗戦と占領期を経て、日本が荒廃した社会の再生を目指した1950年代、映画産業も復興への努力を鼓舞するかのように、「娯楽の王者」の地位を謳歌おうかすることになる。その先駆けに「羅生門」(写真下)のヴェネチア国際映画祭金獅子賞の受賞により黒澤明・溝口健二らの作品が世界の注目を集めた。

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黒澤映画の代表作はほとんどアメリカで観た。アメリカにも名画座みたいなところがあってよく通ったものだ。もしかしたらアメリカ人の方が黒澤・小津作品を観る機会が多いかもしれない。

1960年代には映画産業がかつてない好況を迎え、松竹・東宝・大映・東映・日活・新東宝という大手6社がそれぞれ制作・配給・興行を行うようになっていた。この時期、日本映画は国産のカラー長篇劇映画「カルメン故郷に帰る」に始まる色彩映画時代の到来、「ゴジラ」などでの特撮技術など技術面などの著しい発展があった。

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そしていよいよアニメーション映画も東映によって大きく変革する。アメリカのディズニーにならって本格的なマルチプレーン・スタンド(多層式遠隔操作撮影台)を導入。こちらは「大藤信郎自作のセル画用アニメーション撮影台」(写真下)。

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1958年には日本初の長篇カラー動画「白蛇伝」(写真上)を発表して外国への輸出も行った。短篇「こねこのらくがき」や「こねこのスタジオ」のためにアニメーター森康二が描いた猫の主人公が、後に「長靴をはいた猫」(写真下)の主役ペロとなった。私が初めて観た映画がこれだ。

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現在は東映のマスコットキャラクターになっている。

ここまでの日本の映画史を見せてもらった。これらの展示品は映画界を目指す人には良い教材になるだろうな。とりあえず常設展はここまで。次のスペースから企画展「MONDO映画ポスターアートの最前線」に変わる(写真下)。

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・ MONDO映画ポスターアートの最前線

さて、“MONDO”というのはいったい何だろう? 掲示の「ごあいさつ」によると「アメリカのテキサス州オースティンを本拠地に、鋭い感性を持ったデザイナーやイラストレータに委嘱、旧作・新作映画の垣根を超えたオリジナル・ポスターを生み出しているのがMONDO」と書いてある。
2004年に映画館「アラモ・ドラフトハウス」系列のTシャツ店として生まれ、映画のサウンドトラックやオブジェなども制作・・そして何よりもスクリーンプリント技法で印刷される限定版の映画ポスターは、オンラインショップを通じて各国に熱狂的なファンを獲得しているとのこと。
第9弾となる本展ではポスター71点が展示されている。では、さっと観てみよう。

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写真の左は「ビートルジュース」、中央上「ブルースブラザーズ」、中央下「ロボコップ」、右は「アギーレ神の怒り」。

こちらは「ゴースト・イン・ザ・シェル/攻殻機動隊」(写真下)。

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その横が「タクシードライバー」ロバート・デ・ニーロだね。
写真の左が「クリムゾン・ピーク」。右が「サイコ」・・象徴的なイメージの絵柄だ。

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特別コーナーにあった作品。左は「13日の金曜日PART 3」中央は「レポマン」右は「ロッキー3」。きっとレアな作品なんだね。
お、「ゴジラ」があった(写真下)。

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振り返ると、通って来た会場はこんな感じで展示されていた。
ここから出ると入り口付近に戻るようになっている。
辺りを見回すと入り口付近にも展示物があった。この方は・・日本最初の映画スター尾上おのえ松之助、と書かれてある(写真下)。その下に「写真撮影ができます」とも。

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ここには「日本映画の歴史」で観てきた後の、1960年代以降のことがパネルで紹介されていた(写真上)。

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引用元:国立映画アーカイブホームページより

この後、4階の図書室も覗いてみようと思ったら、事前予約が必要とのことだった。利用時間や利用可能人数には制限があるので、予め利用案内を確認しておく必要がある。詳細はこちら。

・ 長瀬記念ホールOZでフランス映画鑑賞

そろそろ長瀬記念ホールOZUの開演時間も近づいてきている。1階のロビーで待っていることにしよう。

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引用元:国立映画アーカイブホームページより

本日鑑賞する映画は「フランス映画を作った女性監督たち―放浪と抵抗の軌跡」(写真上)で集められた「美しき青春」(写真下)という1936年白黒作品。

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1936(フランス:レ・フィルム・マルキーズ)(監・脚)マリー・エプシュタイン、ジャン・ブノワ=レヴィ(原)ヴィッキー・バウム(撮)レオンス=アンリ・ビュレル(美)リュシアン・カレ(音)マルセル・ラテ(出)マドレーヌ・ルノー、ジャン=ルイ・バロー、コンスタン・レミー

グルノーブル大学で医学を学ぶエレーヌ(ルノー)を中心に、恵まれない境遇にあっても勉学に励む若者を、虚飾を排したリアリズムで描く。M・エプシュタインとブノワ=レヴィの共同監督作には、本作や『母の手』(1933)など、困難に直面し奮闘する若い女性に焦点を当てた作品も多い。M・エプシュタインは、戦後はシネマテーク・フランセーズで映画保存に尽力した。
             引用元:国立映画アーカイブホームページより

開場時間になったので、2階の長瀬記念ホールOZUへ移動しよう。

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ホール前はこんな感じ(写真上)。ホール内は思ったより広く感じた(写真下)。

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ホールに入ってですぐに撮影。その直後にどんどん人が入って来た。結構観に来る人がいるんだね・・年配の男性が多いように感じた。

では、もうすぐ上映だ。109分の作品。ゆっくり鑑賞させてもらおう。

🕒・・・・🕔

時計は17:00になろうとしている。
結構頑張って観ていたつもりだったが・・不覚にも時々眠気に襲われた。
何だろう・・その国の時代背景などがわからないと、よく理解できないものかもしれない。現代の感覚と違う感じがする。おそらく、先ほど観た日本映画の初期の頃の作品を観ても、ピンと来ないのと同じかもしれない。
楽しむためにはある程度知識が必要かもしれない、と思った。

しかし、ピエール・・随分あっさり死んじゃうんだもんな・・。

そんなことを思いながら・・夕暮れ前の銀座を歌舞伎座に向かって歩き始めた。Fin・・ではなく(つづく)

国立映画アーカイブ
住所:東京都中央区京橋3-7-6
電話:050-5541-8600(9:00~20:00)*ハローダイヤル
[開室時間]11:00~18:30(入室は18:00まで)
[休館日]月曜日、上映準備・展示替期間、年末年始
無料観覧日:5月18日 国際博物館の日、11月3日 文化の日
公式ページ:https://www.nfaj.go.jp/

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