ディズニーと建築
さて、少し前回の続きになります。
まだ、お読みでない方はそちらから読んでもらえればと思います。
では、続き。
ディズニーは一度は皆さん行った事があるかと思います。行った事が無くても少しくらい話を聞きかじった事があるんじゃないかなと思います。
あそこは
夢の国
なんですよね。
創始者であるウォルトディズニーの世界観を表現する為にあの空間が出来上がり、それを演出する為にさまざまなアクティビティが存在しています。
こないだ聞いた話では
ディズニーランドで、ワンスが初回上映される際に開園から最後のそのワンスの時間まで13時間も待ち続けた人がいると言う事でした。
これってよく考えるとすごく不思議なんですよね。と言うよりもディズニーって凄く不思議なんです。
約7000円近くのお金を払って皆さんアトラクションに乗るために2時間待ったりするんですよ。先ほどの人でいえば13時間そこに居続ける。
それはみんなが自主的にやっている事だからいいわけですが、これが電車だったりしたら大暴動が起きますよね。
これは、何故可能なのかと言えば
ディズニーに行く事が目的であるから
だと僕は考えています。
あの時間
あの場所
あの空間
に対して僕たちはお金を払っているから
アトラクションで並んだり1つのショーを観る為に待つ事が出来ているんです
これが
ご飯を食べに行く場所と言う認識でディズニーが存在したとすると
ご飯を食べにディズニー行く
と言う風な目的意識になります。
まぁディズニーですからこの様な目的で来園する方もいるかもしれませんが
これが普通の飲食店だったらお客さんは帰ってしまいます。
では何故ディズニーがそれが可能なのかと言えば、空間体験と言う付加価値を持っているからです。
付加価値があるからどの様な目的意識のゲストに対しても対応でき、且つその人たちが自由に選択をしてそれぞれの楽しみ方が出来ているんだと思います。
もう少し要素に還元すると、ハードとソフトの目的意識の逆転現象が起きても成り立つ構造が出来ているという事です。
ディズニーと言うテーマパークはハードで
その中にあるアトラクションや食べ物はソフトです。
一般的な人の思考では
楽しみたいからディズニーに行こう
けど
期間限定のスイーツがあるからディズニーに行こう
って言う事がディズニーだと容易に発生しているんです。
これはテーマパークと言う場所柄の特性がある可能性は排除しきれませんが、スケール感として等しい観光地で考えてみればこの考え方は成り立つと考えています。
表参道に暇だから行こう
と
新しいインスタ映えするカフェが出来たから表参道に行こう
結果的に表参道に行っていますがこの人たちのその後の行動は大きく変わってくるはずです、
何故なら最初に置かれている目的意識が全く違うものだから。
目的が違えば行動は大きく変化します。
たぶん、後者の人たちは表参道に滞在せず帰る人が大半になりますね。
しかし、ディズニーはそこからゲストを逃がしません。何故なら目的意識がソフトにあってもハードに入る際にお金を払っているからです。
だからゲストはそれ以外にしなきゃと
言う気持ちになるし
それだけの為に行ったのにアトラクションやショーを楽しめたと言う
付加価値・体験を得る事が出来ているんです。
それはすなわちゲスト自身が楽しむ事をデザインする余白が存在しているから成り立っています。
よく建築で余白をデザインすると言いますが、それは空間として規定するのではなく、そこを利用する人が使い方を規定すると言うデザイン手法です。
しかし、このディズニーから見て取れることはそこを考えるのではなくて、いかにしてハードの利用者に対して選択の余地を与えるのかと言うことになって来ると思います。
ディズニーはたしかに優れた建築かもしれませんが特筆すべきモノでもありません。
要するに一般解なんだと思います。必要最低限人が困らないように作られていて
後はソフトで補っているんです。
さて、ここまでちょっと建築とディズニーの関係を考えてみると視点として新しいものが得られますよ
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