僕は現代のアーキテクトになりたいからこうなった。

意匠設計/現場管理/飲食経営/DTPデザイン
WEBデザイン/ブランディング/マーケティング
/ライター/コピーライター/コミュニケーションデザイン/コンサルティング/プロジェクトマネージャー/ディレクター/バックオフィサー/ノーコードエンジニア

などなどをしながら、ローカルでまちづくりに関わりながら生きているものでございます。

本当にそろそろ説明するのが面倒くさくなって来たので、一本ちゃんと書こうかなと思っています。

何故アーキテクトになりたかったのか

ことの発端は、高校生の頃に建築学科に入った事です。

当時は建築=アーキテクトであったのですが、どうやら語源を掘り下げていくと違う話であると言う事がわかって来ました。

アーキテクト(architect)は、建設する者、といったような意味の語であり、アーキテクチャという語と密接な関係にある。また、大工のような現場の担当者よりも、設計側のほうを指して使われることが多い。具体的な建造物の他、より抽象的な情報アーキテクチャのような概念に対しても使われることもある。
Wikipediaより

とあります。アーキテクチャを調べると

語源は古代ギリシャ語の「αρχιτέκτων arkhitekton」(アルキテクトーン)である。これから、ウィトルウィウスが著書『De Architectura』の中で architectus(アルキテクトゥス)というラテン語を使った。この語は「architectura」(アルキテクトゥーラ)と変化し、これからおそらくはフランス語を経由し、英語の architecture(アーキテクチャ)になった。

αρχιτέκτων arkhetekton は、「主な」「第1」「長」などの意味の αρχώς arkhos(アルコース)と、「職人」、「工匠」、「名匠」、「大工」などの意味の τέκτων tekton(テクトーン)からなる。

ただし、ウィルウィトスが使った architectus は、直接には αρχιτέκτων arkhitekton ではなく αρχιτεκτονική arkhitektonike(アルキテクトニケー)もしくは αρχιτεκτονική τέχνη arkhitektonike tekhne(アルキテクトニケー・テクネー)に由来するという説もある(ブルーノ・ゼヴィ Bruno Zevi など)。
Wikipediaより

と転じます。
ここを解いていくと、長いんで参考の文献を一個載せて掻い摘むと

現代語として訳されるとアーキテクチャは建築とイコールになるのですが、当時のアーキテクチャの意味はさらに広範であると言う見方が一般的です。

と言うのも何故かと考えれば
建築=技術の推を集めた行為であったからだと考えられます。

そして、ウィストルウィウス先輩の建築十書の中にも出てくるが、セブンリベラルアーツを修めている事も求められられています。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/リベラル・アーツ

と言う変遷を見た時に
では現代のリベラルアーツとはなんだろうか?
また、いわばネオアーキテクト、ネオアーキテクチャとはなんだろうか?

と言う問いに至るわけです。

理解されないならやるしかない

この問いに行き着いたのが確か2017年で当時25歳だったかと思います。

当時ちょうど現場監督をやっていて、少し心を病んで、次の人生どうしようかなーと悩んで大学院に入り直す事を決めた辺りです。

大学院に入り直す時に、この時間で何かしら人生の基軸を決めると思い、ひたすら知識を溜め込み続けました。

ドクターを目指すとかもあったんですけど、なんかそれって社会からの乖離感とかあるし、それだとソーシャルインパクト低いなーと考えて、昔からあった独立、起業という方法を取ろうと考え始めたわけです。

そして先ほどの、問いの一つの自分なりの解が実は最初の問いの中にあることに気が付かせてくれたのは、亡くなられた恩師です。

アカハラ上等の人でしたが、理論武装と論理的思考、ダイナミックな仮説からのミクロに落としていく話し方、コミュニケーションはたぶんこの人から学んだなーと思っています。

そんな恩師が僕が大学院に入り直した時に課したテーマは、不安というワードを探し出して体系化せよと言うテーマです笑

不安とは何かを夜な夜な1人で読み続けた訳です。

ただ読んでいて、はたと気がついたのが、その当時の人たちが見ている世界と自分がいる世界は全く違うではないかと言うことです。

建築十書でいけば紀元前33年くらい。つまり2000年以上前です。
そして、僕が読んでいた本も100年前もあれば、10年前のものもあります。

しかし、彼らと僕がいる時間が違いさらに言えば情報伝達速度も違います。

全くもって環境が違う。これが僕が出した答えです。
つまり、アーキテクトの範囲を今一度再定義しなくては行けないと思い始めたわけです。

が、そんな事を25歳のしかも会社をドロップアウトして、半ばニートみたいな奴が言い出しても大学でも社会でも相手にされない。

なら、やろう。と思い行動開始をしました。

ただ行動するんじゃ無くて、どうやったらぐうの音が出ないかを考えた

ちなみにこの時かなり、腹が立つ事があったので、本当にぐうの音も出ない状態で建築業界に戻ろうと考えました笑

その条件が

  • 建築以外で生活をする

  • 建築をやる時には全てを掌握する

  • 大学には所属しない

です笑
完全に元のベースを捨てると言うアホな所業を行って、最終的に建築業界に戻ろうと考えたわけです。

リスキリングどころの話じゃないくらいな事を始めてみたら、連絡がすごい事笑

一個に絞れだ、そんなん上手くいく筈がないだろうとかね。

ただ、やっぱりその連絡があったから今があるなと思っています。

まず、僕が最初に勉強したことは経営と経済です。そして次にデザインを学びました。

と言ってもそこは完全に独学です。
しかも、トライアンドエラーの計画もなんもなしのチャレンジを繰り返し続けました。

その結果が冒頭の肩書きの数です。
別に肩書きはどーでも良いですしスキルの数もどうでも良いって考えてます。

ただ、なんでこれが出来たのかを考えると、ベースの教養みたいな部分がある気がすると考えています。

建築って、まさにリベラルアーツだと思っていて
数理学は当然のこと
デザイン
地政学
文化学
人文学
心理学
などなど色々な範囲が絡まり合って出来ています。

これらを体系的に学んだからこそ、今の自分の理解度や世の中への解像度を持てているんだと捉えています。

僕の考える現代のアーキテクト

少しジャンプしてるけれど、僕がなろうと思っているアーキテクトは、自分は建築領域だからと言わないことかなと改めて思います。

横断的に、曲がりなりにも業界を跨いでポジションも違うと言う優位性を使って行きたいし
それによってクライアントさんの課題を解決できればと考えています。

そして、変化量が多い今だからこそ、学び直しをし続ける事を忘れずに走れれば、目指しているアーキテクト像に近づくのかな??
と思ってます。

#私の学び直し

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