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キングダムの嬴政こそ、始皇帝の真の姿ではなかろうか?

コミックも映画も大好評の「キングダム」ですが、この作品で描かれている秦王・嬴政という人物のことを少し考えてみたいと思います。

嬴政はのちの始皇帝であり、もちろん実在した人物ですが、司馬遷の「史記」と、この史書をもとに司馬遼太郎が小説にした「項羽と劉邦」のおかげで、始皇帝は暴君だったというイメージが強いですね。暴君で専制君主だったので、せっかく統一したにもかかわらず、わずか15年で滅んでしまっただろうという説明です。一方、「史記」は漢の時代に記されたものだから、漢王朝を正当化するために秦王朝を悪く書くのは当たり前。こちらも以前から指摘されていたことでした。

では、嬴政は本当に暴君で、せっかくの統一国家を15年でダメにしてしまうほど悪いヤツだったのでしょうか? その論拠として、よく引き合いに出されるのは次の3つです。

  1. 兵馬俑や万里の長城など、国力をすり減らすほどの土木工事に邁進したこと。

  2. 法治国家として厳しい法整備を行ったため、民衆の反発を招いたこと。

  3. 焚書坑儒を断行し、特に儒家への思想弾圧を行ったこと。

嬴政が土木工事好きだったことは、「項羽と劉邦」の中でも繰り返しとりあげられていますが、1は国として必要な事業という見方をするべきと考えます。外敵から国を守り、有能な家臣団を殉死によって失うことを防ぐためにやったことだからです。
2の厳しい法が民衆の反発を招いたことは事実でしょう。しかし、慣れないことに戸惑ったり反感が起こるのは世の常です。のちの統一王朝が秦の法治制度を踏襲していることは、広大な中華に法治制度が必要なことの歴史的証明です。最初の露払いというか汚れ役を、嬴政が引き受けたというだけのことです。
3の焚書坑儒については諸説ありますが、嬴政は儒家を弾圧していたわけではないと考えます。長男の扶蘇は側近に儒家を重用していましたが、そんな扶蘇を嬴政は太子に指名しているからです。また、扶蘇が民衆の期待を担うプリンスだったとする史書もあり、やっぱり嬴政は自ら汚れ役を引き受けることで、プリンスの後世に平和と安寧をもたらそうとしていたと思われるのです。

キングダムの嬴政も、戦争のない世を作るためなら、自分は暴君の誹りを受けてもかまわないと発言していました。この自己犠牲的な覚悟こそ、嬴政という人物の本質だったと思うのですよね。
そもそも、中華統一という大事業は、ワンマンなリーダーのみで為せるものではありません。有能な家臣団は絶対に必要で、李斯や王翦はそのビジョンとリーダーシップに共感したからこそ、嬴政につき従ったのだと思います。蕞の戦いで民衆を奮い立たせるカリスマリーダーぶりを発揮するキングダムの嬴政ですが、実際の嬴政も家臣団を惹きつける魅力的なリーダーだったことは想像に難くありません。

そうすると、「史記」ではなく「キングダム」で描かれるの嬴政こそが、彼の真の姿ではなかったのか? 「キングダム」作者の原泰久のクリエーターとしての才能が、史書に書かれてない歴史をあぶりだしたように思えてならないのです。

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