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観覧車グラビティ 第四話

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円山とタワー

 僕は何を聞いているんだ、とは思った。いい歳こいた僕みたいなおじさんが「観覧車を作る予定はありませんか?」とは、直球すぎる。真っ直ぐにボール球だ。危険球の可能性だってあった。

「タワーだけではバランスが悪いので、観覧車も一緒に作りませんか? ほら、神戸もそうなっていますし」と話せば、会場の雰囲気もまた違った結果になっていたのかもしれない。

 観覧車のゴンドラがあったら、入りたい気分だった。

 赤面した顔を隠すように下を向き、僕は初めてゼロに会った2ヶ月前の記憶を辿っていた。どうやれば正解だったのだろうか。


 ゴンドラの高さが10時くらいの位置に来た頃だろうか、「せっかく時間があるので……」と言ってゼロは、観覧車の歴史と千利休について話をしはじめた。

「1889年のパリ万博の目玉がエッフェル塔、それに対抗する技術として、4年後のシカゴ万博で観覧車が誕生しました」
「へぇ、観覧車って、意外と古いんですね」
 知らなかった。
 ちなみに日本で最古の観覧車は、1906年にここ大阪にありましたよ、とゼロがついでに教えてくれた。

「この世に観覧車ができてからは、私たちの相談場所はもっぱらゴンドラになりましたが、私の先輩や大先輩たちは、もっと別の場所で仕事をしていたようです」
「別の場所?」
「はいー。私が聞いた限りでもっとも古い時代には『茶室』でおこなっていたようです」
「茶室って、あの、千利休とかの?」
「まさに。利休さんが私の大先輩に当たります。と言いましても、面識はありませんけどねっ」
 あ、ちなみに利休さんの出身もまた、ここ大阪です、とゼロは付け足した。

「侘び茶とも言われ親しまれた利休さんのお作法は、当時の武将たちのみならず、時の天下人でさえも虜にさせたんだとか。今でいうところの、まあ、まさにインフルエンサーというやつでしょうなー。一つの時代の流れをつくってしまわれた」
「インフルエンサーって括ると、なんだかすごい軽い出来事のように聞こえますね」
 僕は頭をかきながら合いの手を入れる。
「そうですか?」
「え?」
「生前の彼ほど、周りの力をうまく利用しながら自分の工夫を凝らした人はいない、と私の先輩はよく言っておりました。現代のインフルエンサーってのは、そんなに軽いのですかー?」
 そう言いながらゼロは、目を見開きギョッとする。

 僕は反省した。無意識に「インフルエンサー」を軽んじていたのかもしれない。自分が知らないものや経験がないものは、その過程を知らないからこそ、どうしても軽く見てしまう。ダメな考え方だ。
 きっと今も昔も、周りの力やツールをうまく利用しながら、自分なりの工夫を凝らせる人が、大きな影響力を持つのだろう。

「そんな彼がお茶を淹れる場所『茶室』、もっとも、利休さんがいた頃は『数寄屋すきや』と呼ばれていたそうですが、その数寄屋こそがこの空間の原点だと、私は聞いています」

 はあ、と言いながら脳裏には牛丼屋が浮かんだ。物理の話の時と違って、はじめに「茶室わかりますか」と尋ねてこない理由が、今なんとなくわかった気がする。

「その数寄屋の広さは、一般的に畳で4枚と半分。4畳半です。4畳半以外の広さもたくさんあったそうですが、私の先輩……ここでいう先輩とは利休さんの後輩に当たりますが、彼が言いますには、4畳半には意味があるらしいのです」
「意味ですか?」
「ええ、4畳半のお部屋は、どうやら『円』を表したかったというのです。確かにほら……円とは言い難いですが、正方形には見えるでしょう」

 例によって音もなく目の前に画像が出された。確かになるほど、4枚と半分が敷き詰められた畳の部屋は、正方形の形をしているように見える。

「そして、その円を模した4畳半の空間には『上も下もない』、という意味が込められていたそうです」
「上も下もない……」
 言葉を反芻して飲み込んだ。

 座ったまま後ろを振り返り、視界にとらえたゴンドラたちを順に目で追って気づく。観覧車も円の形を成しているし、何より個室だ。首を傾け横にして見れば「上も下もない」とも言えるのではないか。少々こじつけのようにも思えたが、なるほど確かに、観覧車の起源は茶室にあるかもしれない。そう思うと「ユリーカ」と叫んでみたい気分になった。

「当時の数寄屋では、ああでもない、こうでもないと、悩み相談を受けられたり、世の中の方向性を決められたりしたんだとか」
「へー、秘密の作戦会議みたいですね」
「作戦会議というよりは、意外と『平等』や『平和』などを話し合っていたのではないかなと思っています」
「……平等や平和?」
「はい、『円』や『身分の上下もない』というのを意識して、部屋から作っていましたからね」
「そっか、なるほど」
「そのおかげもあってか、今では随分と平等や平和が浸透したと思いますが、当時参加していた人たちは皆、時の権力者。悩みや思いも、相応のものだったと推察いたします」
「あ、なんか聞いたことがあります!」

 千利休は茶会を通じて色々と知りすぎてしまい、利休の存在を脅威に感じた秀吉が、彼に切腹を命じたという話だ。

「なぜ切腹を命じられたのか……本当の理由は、残念ながら私にはわかりません。私の先輩に聞いてみたら答えてくれたかも知れませんが、今となっては、それも叶わない」
 口ぶりから察するに、先輩とやらはもういないのだろう。なんだか、親近感が湧く。

「ただ事実として、彼は権力の中心かつ頂点にまで上り詰めたみたいですし、実際、利休は武器商人としての顔もお持ちだったようです。そのため、政治的に相当な影響力を持っていたのかもしれませんねー」
「知らなかったです……なんか、お茶のイメージもあるから、千利休って結構穏やかな印象があったので」
「私の先輩から聞いた話では、若い時から上昇志向も強かったらしいので、ひょっとすると、私たちのような『係』の存在なのにもかかわらず『塔の気』に触れやすかった……なんてことは考えられます」
「塔の気?」
「はい」
「塔って、ああいう塔ですか?」
 僕は、ゴンドラ内から見える、薄赤色した不気味な顔をもつ塔を指差した。
「はい、その塔です。今も昔も、日本にはたくさん塔がございますでしょう? あなたが住んでいる奈良県なんか、特にあるんじゃないですかー?」

 言われてみたらそうだった。遊園地がほとんどなくなってしまった奈良県には、観覧車よりもむしろ、歴史の教科書に載るくらい古くから存在している大小様々な塔がある。

 僕も幼い頃から、社会科見学などでよく塔を見にいったことがある。その度に、「この塔は、当時流行っていた病を治すために建てられました」とか、「この塔は、非常に長い年月をかけて建てられたものです」などと説明を受けてきた。

 ゼロがいうには、塔は「権力」や「財力」、時には「武力」など、力の象徴として存在しやすく、その力に引かれて「気」や「感情」が溜まりやすい構造をしているのだという。

「ひとたび塔が設立されれば、祈る人や訪れる人など、塔の付近から半自動的に気が送り続けられ、やがて気が肥大化。集まりすぎた気や感情は、周りの人へと降り注ぎます」
「周りに降り注ぐ……?」
「そう、ちょうど噴水の水のように」
 下から気や感情を汲み上げ、上から撒き散らすようなイメージです、と手で噴水の水の動きを表しながらゼロは語った。

「降り注ぐとどうなるんですか?」
「人を攻撃的にしていきます」
「なんでそんなことを?」
 僕は堪らず訊ねる。

 塔が、権力や財力の象徴となることは容易に納得できた。しかし「祈る」とか「平和を願う」とか、そんな感情には暴力的なイメージがない。
「人の祈りが暴力につながるだなんて、信じられないし信じたくもない」

「残念なことに」ゼロがピシャリと断りを入れる。
 目の前で、勢いよく扉が閉められた気分になった。

「ヒトは集まると、攻撃的になる生き物です。ヒトから生み出される『気』も当然同じです。『強気』という言葉がありますが、気は、幾つも集まると『重さ』を持ち、より強く攻撃的になります。おそらくそこに理由や原理などはなく、初めからそういう風にデザインされているのだと思いますよ。人も宇宙も」

 ……僕は言葉が返せなかった。言われてみればそうだ。
 人間は皆、多く集まりすぎると攻撃性が増す。群集心理とか集団心理とか言ったはずだが、昔、教育心理学か何かの授業で聞いたことがあった。
 1対1で始まった「嫌がらせ」が、やがてそれに感化された人たちが集まり、気がつくと、1対多数の「いじめ」に発展している。そんな光景が脳裏に広がる。

 スポーツなどでは「ファンの力」などと言って、集まることが良い方に取られることも多いが、それでも『力』に変わりはない。

 ここ大阪では昔、野球チームが優勝した喜びを分かち合うべく、多くの人が集まった。そして、「活躍していた外国人選手にちょっと似ていた」とかそんな適当な理由をつけて、フライドチキンを提供する店の前に置いてあった、創業者の姿形を模したメガネの大きな白い人形を、川底に向かって投げ込んだのだ。
 その結果、その人形は24年もの間、冷たい川の水に晒し続けられることになった。一体その人形には、どんな罪や罰があったというのだろうか。

 その一連の出来事で、僕が攻撃性や異常性を感じ取ったのは、むしろその後・・・だった。
 人形が見つかり川から引き上げられると、皆が「奇跡だ」と称え出した。自分たちが投げ込んだにも関わらず、投げ込まれたそのものの行為や、その人形が見つかったことに対して、誰一人として「当時は悪いことをした」「これは恥ずべき行動である」という風に報道を全くされなかったのだ。
 あまつさえ、幸運の象徴として讃え「おかえり!」と銘を打って、記念式典のシンボルとして担ぎ上げた。
 民衆を導くために犠牲となったマッチポンプの被害者は、左手を失い、眼鏡を失い、体は灰のように真っ白になっていた。

「人の気が集まりすぎると攻撃的になるって……具体的には?」
 まさか、またあの狂ったような光景を見ることになるのだろうかと不安になり、訊ねた。

「暴力・武力・知力・魅力など、『力』がつく形で、自分の周りの人たちを攻撃し始めます。これは、その『気』そのものがなくなるまで続きます」
「自然に終わるのを待つしかないんですか?」
「いえ、意図的に気を減らしていくことが可能です。そのために、巨大な塔が建てられてしまった近くには、少しでも影響を減らすため、気をゼロにする仕組みや装置を配置するようになったと聞きます」

 なるほど、と外の景色を見た。
 不気味な顔をして手招きしている塔と、不即不離の関係で存在しているように見えるこの大きな観覧車。
「さながら、盾と矛じゃないか」そう感じた僕は、全国にある大きな塔の横には、みんなを守るための盾があるのだろうか。そんな疑問が脳裏をかすめた。

 パリン、パリンと瓶が割れるような音が2つ鳴って、それが催眠術から解かれる合図だったかのように意識が戻った。すぐにステージが暗転して、キャラクターが入ってくる。炎や煙の演出も相まって、ステージショーさながらの盛り上がりを見せていた。
 僕は遠くの景色を見るかのように焦点をぼかし、ぼんやりとステージを眺めながら、感嘆の声を遠くに聞いていた。
 すでに僕の存在はみんなの記憶の中から消し去られているのだろうと感じて、安堵と虚しさが込み上げてくる。

 やがて、会場に流れるBGMと、ステージ上で起こる変化との整合性がなくなった。感嘆の声が動揺の声に変わり、明転してしばらくすると煙が晴れ、動揺の声は悲鳴交じりの叫び声となっていった。

「ああ、間に合わなかった」
 騒然とした会場で、率直な感想が口をついて出た。

<続>

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