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観覧車グラビティ 第六話

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円山と日奈田

 奈良の観光地から少し外れにある、奈良と大阪を結ぶ幹線道路沿いの小さな喫茶店。マンションやビルに囲まれ、雑居ビルの1階に店を構えるその店先には、黒猫がモチーフとなった看板が掲げられている。そのロゴは、ブランドイメージと店名の両方を表していた。

 僕はアイスコーヒーとモーニングセットを2つ頼んだ。ここのホットサンドは美味しいぞ、奢るからどうだ? と半ば強引に勧め、日奈田はどっちでもいいですよ、という顔をしていた。

 僕は日奈田に会って開口一番、「先生が観覧車の人だったんですね」と言われた。「観覧車の人」とはまた率直なネーミングだが、「観覧車おじさんって言われていないだけマシかな?」というと、「あ、もう遅いです。私はずっと観覧車おじさんって呼んでました」と言われてしまった。
 ここで変に隠さないのが日奈田の良いところだなとは思う。

「それにしても久しぶりだな。卒業以来か? 今日は来てくれてありがとうな」
「そりゃ、今話題の事件と、月野先生のことでちょっと話があるんだ、って言われれば来ますよ。ちょうど今日休みだったし」
 そう話すと、日奈田は切なく今にも泣き出しそうな顔に変わった。

 彼女が高校3年生のとき、確か担任は月野先生だったはずだ。
 卒業してからどれほどの繋がりがあったのかはわからないが、今の彼女の様子を見ていると、6年前の月野先生の事故は知っているのだろうと窺える。ひょっとすると僕が知らないだけで、お通夜やお葬式にも参列していたのかもしれない。

「今もケーブルテレビで働いているのか? 大変な時に悪いな」と僕は気遣うつもりで尋ねる。
 事件直後のニュースでいっとき、犯人逮捕か? とでも言いたげなほど、ケーブルテレビ局が入っているビルの前に多くの報道陣が押しかけ、異様なほどの盛り上がりを見せたことがあった。盛り上がったというか、矢面に立たされたと言うべきか。
 そこに映っていた彼女は、一緒に映っていた上司っぽい人に比べて、明らかに疲れているように見えた。あれからまだそんなに日は経っていないから、流石に疲れは取れていないのかもしれない。やや表情が淀んでいて、眠たそうな印象が窺える。

「会社の方はもう片付いたんで、大丈夫ですよ」
「そうなのか、良かったな」
「で、先生は今何してるんですか?」
「ルート配送のドライバーだよ。それと、もう先生じゃないんだ。『先生』はやめてくれないか」
「そうじゃなくて、警察の人が『行方がわからない』って言ってましたよ」
「え? そうなのか?」
「先生、ひょっとして犯人だったりして」
「やましいことは何もないし、別に隠れているつもりもないんだけどな」

 僕は先週から早めの夏休みに入っていた。おそらく職場に電話をしても僕が捕まらないから「連絡がつかない」と言っているのだろうと推しはかった。

「で、先生、何か知ってるんですか?」
「何かって?」
 モーニングセットについてきた、硬めに茹でられたゆで卵の殻を剥くことに必死なフリをして、話題の中身をはっきりとさせた。
「例の事件の犯人とか」
「ああ、ヤマトタケル事件?」
 事件から1週間ほど経った今では、メディアやSNS上でも、市長刺殺事件のことを、容疑者……いや容疑キャラクターの名前を取って、みんなそう呼んでいた。

「あれはヤマトタケルがやったんだろ? あの時、僕も会場で見ていたし知っているよ」
「いやだから、その中の人が誰なのか知ってるんですか? ってことですよー」
「誰が犯人なのか、僕も教えて欲しいくらいだよ」と嘘をつく。
「みんな必死になって犯人探しをしているんですよ? 事件のことで話がある、っていうからてっきりそれかと」
 必死になって犯人探し……か。みんなというのは、誰なんだろう。
 殺された市長の家族や関係者であれば、「犯人を見つけたい」という気持ちは当然理解できる。しかし直接関係のない、例えば市長と同じ市に住んでいるだけの僕や彼女にとって、犯人の正体がはっきりしたとして、そこに何か意味があるのだろうか。

「そもそも、よく私のケータイの番号知ってましたよね。私、先生に教えてましたっけ?」彼女は前髪を触りながら僕に訊ねる。
「そうみたいなんだよ」
 僕は玉子の殻と白身の間にある薄皮を丁寧に剥きながら、気無しに相槌を打つ。ここの喫茶店のゆで卵はいつも硬く茹でられているせいか、この薄皮がなかなか取りにくい。
「僕もびっくりしたんだけど、部活の時にでも聞いてたのかな?」
「あー、試合とかの連絡用で……ってことですか」

 僕自身もそのことを忘れていたし、10年以上が経っていたのに、まさか本当に繋がるとも思っていなかった。「3回かけてダメなら諦めよう」そう思っていたから、3回目が空振りに終わったときは少しばかり肩を落とした。
 そんな落ち込みタイムも束の間。スマホのディスプレイに「日奈田」の名前が表示されたものだから、ビンゴゲームで狙っていた番号が発表されるくらいの驚きはあった。「え、まさか」

「で、わざわざ呼び出して、何の話ですか?」
 怒っているのか急いでいるのかわからないが、とにかくこの場所に長く居たくない様子は窺える。この喫茶店は席数が少ないため混雑時に長居することははばかれるが、今は僕たちしかいない。別の理由なのだろう。

「日奈田のクラスメイトで、確か大塔……って生徒、いなかったか? ほら、今回の事件の、会社社長の息子の」
 その言葉を聞いた彼女は、目が三角になった。
「大塔くんまで、なんか関係あるんですか?」
「いや、関係というか。日奈田がその、大塔のことを覚えているかなぁ……と思って」
「もちろん覚えてますよ」それで? と目だけで話しかけてくる。
「説明が難しいんだけど、今回の事件『ヤマトタケル事件』は、6年前の月野先生の事故と繋がっている、って僕は思っているんだ」
「繋がっている? なんで?」
「確たる証拠はないから、それはこれから調査しようと」
「それで、なんで大塔くんが?」
「彼と直接話がしたいと思って……」
「それで、私に連絡をしてきたと?」
「そう。日奈田に何とかして連絡を取ってもらって、彼に事情が聞けたら助かるな、と思ってさ」
 僕は、この通り、と頭を下げた。

 少し間をあけて「何で私なんですか?」と日奈田は聞いてきた。
「え?」
「何で私が、大塔くんと連絡が取れるかもって思ったんですか?」
「僕のスマホの中にある連絡先で、大塔と同じ学年だったのは日奈田だけだったからな」
 ふーん、とだけ答える彼女の様子を見ると、少なくとも僕が今日ここに呼び出した意図だけは、それなりに理解してくれたらしい。

「でも、私から先生に大塔くんの電話番号を教えるってのはできません。メッセージアプリやSNSのIDも嫌です。個人情報の観点として完全にアウトですから。いくら先生だとしても……って、今はもう先生じゃないみたいだし、なおさら無理です」
「だよな。むしろ咄嗟にそこまでしっかりと考えてくれて、やっぱり社会人ともなると違うなって、今感心しているよ」
「ふざけてるんですか?」
「いやふざけてない、ふざけてない。大真面目だよ」
「あやしい」
「本当にだよ。日奈田に連絡をとって、本当に良かったと思っている」本音だ。
「そこで一つ、お願いがあるんだけど」
「なんですか?」
「もし日奈田が大塔に連絡を取れるなら、大塔に確かめて欲しいことがあるんだ。6年前の月野先生の事故について、何か知っていることはないかって」
「何かって?」
「何でもいいんだ。些細なことでもいい」
「でも彼、今はそれどころじゃない、って感じなんですけど」

 株式会社ヤマトまほろばのキャラクターが、なぜか本物の日本刀を使って演舞を披露し、市長を誤って死なせてしまった。この事実により、タワーの開業が遅れたばかりか、株式会社ヤマトまほろばは大炎上中だった。
 炎を切っていたヤマトタケルが、批判やバッシングなどで燃え盛る炎の真っ只中にいるのは、タチの悪い冗談のようにも思える。

 ヤマトタケル事件が本当に事件なのか、それともただの事故なのか、実はまだはっきりとしていない。はっきりとしない理由は主に2つあり、1つは大量の煙とBGMで市長が切られた様子を誰も確認できていなかったこと。もう1つは、着ぐるみを着ていた中の人が誰だったのか、わかっていないことだった。

 ワイドショーなどでは連日、着ぐるみの中に誰が入っていたのか、ドラマの結末でも予想するかのように、相関図を使ってエンタメ化していた。それほど、白テント内で保管されていた着ぐるみと刀からは、誰かを特定できるほどの指紋や証拠も出てきていないことが露呈されていた。
 映像データはたくさんあった。会場では多くのメディアが待ち構えていたし、観客たちが各々で勝手に撮影していた動画たちも、インターネット上には無数に転がっているからだ。しかしそのどれも、ステージ上を映しているものばかりで、舞台裏の様子を映した映像は、今のところ1本も出てきていない様子だ。少なくとも多くのマスメディアではそんな映像は見たことがなかった。どの媒体も同じような動画やエビデンスを使って、似たような感想発表会を繰り広げていた。

 犯人の容疑者として一番に名前が上がったのは、キャラクターの中に入る予定だったスーツアクターの俳優だった。

 事件があった日から数日後、着ぐるみの中に入る予定だったスーツアクターの彼と、彼が在籍する会社の代表が、会見を開いた。そこで会社の代表は「先方から、先月にお断りの電話をいただいたので」と説明していた。後日、株式会社ヤマトまほろばの広報に確認をすると「そんな連絡をしたことはない」という返答をしている、と報道されていた。
 どちらかが嘘を言っているわけだが、役者自身を含めスーツアクターの会社の人間が誰一人現場に来ていないことは、世の中に多く出回っている動画のおかげで、すでに明らかだった。
 そのため「ヤマトまほろばが嘘を言っているのだろう」と、世間の多くは疑いの目を向けていた。
 この数年、会社の業績が好調だったことも裏目にでた。妬み嫉みも含めて、事件に直接関係のなさそうな会社の評判とあわせて、事件報道される機会も多くなっていた。

 市長が亡くなったことが事件であるならば、白昼堂々、殺人がおこったことになる。それなのにも関わらず犯人の目星すらついていないというのは、警察にとっては大変不名誉なことだし、市民にとっては不安が増すばかりだった。
 一方で、事故だとすれば、責任の所在をはっきりさせるだけで済む。

 メディアやSNSなどでは「事件論」を信じているようだった。連日「あーでもない」「こうでもない」と、仮定に予想と感想を重ねて発信している。

 一方で警察を含め、この件の関係者たちはやや「事故論」で進めたがっている様子が窺える。すでに責任の所在である法人の代表は、進退両難の様子だ。警察も、どこにいるかわからない犯人を探すより、すでに責任を取ろうとしている法人代表の意向を汲んであげた方が良いのではないか、と考えているようにも見えた。

「仮に私が大塔くんに連絡ができたとして、先生の中でよりはっきりさせたいのはどっちですか? 今回の事件なのか、月野先生の方なのか」
「そりゃもちろん、月野先生の方なんだけど。なんせ6年も前の話だし、そもそも大塔は月野先生の事故のことを知らない可能性があるからな。細かいことは日奈田に任すよ」
「私の負担、大きくないですか?」
 何で私がそんなことを……と言いたげの様子だったが、ここでノーと言えないのが日奈田のはずだった。少なくとも学生の頃の彼女は、頼られて力を発揮するタイプだったと思う。

 僕が部活指導中に、浮かない顔をしていた部員を見つけては、日奈田にその生徒の様子を伝え、「なんか落ち込んでいる様子だったから、気にして見てあげてな」と話したことがある。
 翌日、彼女は折りを見てその生徒と話し、フォローやケアなどをおこなっていた。教師から事情を聞くよりも、生徒同士の方が話しやすいとはいえ、彼女はしっかりとリーダーシップをとって部員の理解に努めていたと思う。

 キャプテンだから責任感があるのか、責任感があるからキャプテンになったのか。今の僕にとってはどちらでも良かったが、少なくともそんな彼女は、僕が信頼のおける数少ない「名前」と「顔」を覚えている生徒の一人だった。

 僕は彼女の分のアイスコーヒーとモーニングセットが並べられたプレートを少し前に出し、ほら、と目で合図した。
「あんまり、期待しないでくださいね」
 そういうと彼女は、汗をかいたアイスコーヒーにガムシロップを注ぎ、一口飲んだ。

 何とか次はうまくいってくれよ。そう思って僕は、ゆで卵を頬張った。

<続>

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