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観覧車グラビティ 第七話

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日奈田と大塔

「ごめんね、大塔くん。忙しい時に」
「いや、大丈夫だよ。どうしたの?」

 やっぱりこの声を聞いてしまうと、ちょっと緊張してしまう。先生に「探ってほしい」とお願いされたとはいえ、なんだか本音を隠して彼に迫らなくてはいけないのは喉の奥に痛みを伴う。

「今忙しい? 今というか、今晩なんだけど……」
「うーん、そうだね……今日はちょっと難しいけど、明後日なら大丈夫だよ」
「それじゃ……明後日の夜、会ってもらえると助かるんだけど、どうかな? ちょっと、月野先生のことで話したくて」
「月野先生! 懐かしい。同窓会でもするの?」
「いや、同窓会じゃないんだけど、ちょっと相談したいことがあって」
「いいよ、いいよ。明後日だと19時くらいなら大丈夫だと思うから……この前のお店でもいい?」

 できる人はやはり違うな、と感心した。予定を聞かれて無理だった場合、断るだけでなく、いつなら行けるのか代案を提示する。要点の察しも早ければ、面倒なことは「こっちでやっとくから」と一手に引き受ける。こりゃ相当モテるな、と確信した。
 まだ会う前だというのに、私は今から前髪を気にしている。

 それにしても月野先生の話を出して、すぐに「同窓会」って言葉を出したところを窺いみると、大塔くんは月野先生が亡くなっているとは知らないのかもしれない。

 私と同じで県外の大学に通っていたし、そのまま県外で一回就職していたって、この間の飲み会でも話をしていた。ひょっとすると本当に何も知らないのかもしれないな……などとぼんやり考えて、彼との会話を腹落ちさせた。

 約束の日、以前飲んだ時とは反対に、今度は私が少し遅れて会場に到着した。雨で色々と撤収作業が手間取ってしまったことと、会社に戻るまでの道で渋滞に巻き込まれてしまったせいだった。
 約束の場所の最寄駅を降りてからは、小雨になっていたことをいいことに、私は傘もささずに小走りでお店に向かった。
 荒い息遣いで眉間に皺を寄せながら店先に着いたものだから、店員に緊張と困惑が混ざったような表情で出迎えられてしまう。
 呼吸を整えて花柄のハンドタオルをバッグから取り出し、髪の毛や衣服についた水分を軽く拭き取りながら、「大塔の連れです」と店員に告げた。

「ごめん、お待たせ!」
「ううん、僕もさっき来たところだよ」
 そういうと彼は、見ていたスマホを机の上に置き、メニューを差し出してくれた。今日は、例の彼女は来ていないらしい。
「私ビールで」
「僕もそれで」

 仕事の後のビールは、一口目がうまい。飲み終える最後までずっと一口目が続けばいいのに。カドの消し感がずっと続く消しゴムが登場するくらいなら、そろそろ一口目がずっと続くビールが発売されても良いだろうと思う。

「それで早速なんだけど」私は一口目のビールを堪能した後に、すぐに話を始める。
 今日は例の彼女もいなかったから、ゆっくりしたければできたのかもしれない。しかし彼の会社はまだ、お酒を飲んで楽しい時間を過ごしても良い状態に戻っていない気がした。
 今の時代、どこで誰に見られているのかわからない。不謹慎狩りにでも遭遇してしまったら、相当めんどくさいことになるのは容易に想像がつく。同席している私も、ただでは済まないかもしれない。そう考えると、要件は早めに済ますに越したことはない。

「月野先生のこと、って知ってる?」
「知ってるって?」
「事故のこと」
「え? 事故したの? いつ?」
「今から6年前……」

 何とか泣かないように堪えたが、表情はやや暗くなってしまった。やはり6年経っていてもまだ無理だ。未だにお葬式に行ったときのことが蘇ってくると、大きな布で覆い被せられたように、身動きが取れなくなり体が重くなって思うように呼吸ができない。

 いい人は早く居なくなってしまう。それがこの世の不変の真理だとしても、どうしても受け入れ難い。
 月野先生のことを考えると、いつも胸がキツく締め付けられる。

「6年前……そうなんだ。知らなかった」
「で、その月野先生の事故と、今大変になっている例の市長の事故がね……なんか、関係しているかも……って聞いて」
 私は、慎重かつ丁寧に、言葉を選んで話した。
「誰から?」
 彼は短くそう訊ねると、眉をひそめて、冷たい目になった。
 彼が持っていたグラスは、カタンと音を立てて微動だにしない。

「警察の人が……」私は咄嗟に嘘をつく。気圧されそうになってたじろいだが、踏ん張った。「ほら、あの市長、うちらの高校の元校長だし」
 そこまで聞くと、彼の目にやや温かさが戻った。
「あ、そうなんだ。それも知らなかったよ」と目をぱちぱちとさせ、頭を少し掻いた。
「校長なんて、ふつう、名前も覚えてないし、みんなそんなもんだよ」と、もっともらしいことを言うのが精一杯だった。

「でも、日奈田さんは覚えてたんでしょ? さすがだよ」
「いや、私も市長の経歴資料見るまで知らなくてね」
「で? 警察の人がなんて?」
「え?」
「警察の人が、何か調べてるって言わなかった?」
「いや、詳しくはわからないんだけど。ほら、私のところにも警察が来てさ。部長がコレになり損ねて」私は両手首をくっつけるようにして、目の前に突き出し、「部長がお縄を頂戴した様子」を模してくすりと笑った。
「その節は弊社のイベントで大変なご迷惑をおかけしました」と、彼は目を閉じて軽く頭を下げていた。どこかわざとらしかったが、本当に申し訳ないと思っている感じもする。
「いいのいいの、そんなつもりじゃないし。そもそも関係者席で寝ている部長が悪いからね」
「なかなかいないよね、そんな人。仕事中なのに」
「でしょ? 仕事中に寝るべきじゃないんだよ、って言ってやりたい」
「言ってやりなよ。そう言う人って意外と、直接言われないとわからないかもしれないよ?」
「そう言うものなのかな? そのくらい、新人でもわかりそうなものだけど」

 そんな会話からスタートしたこの日の飲み会は、その後もお互いの上司がどれだけダメなのかを競い合ったり、下の世代にうまく仕事を任せられず、距離の詰め方に苦労している話など、他愛もない同世代の会話がしばらく続いた。
 ほどなくして「ごめん、僕ちょっと別件が入ってて」と申し訳なさそうに彼が断りを入れてきたため、ほんの1時間くらいでその日はお開きとなった。
 正直、ベストな尺かな? と、雨上がりの最寄駅のタクシー乗り場で彼を見送りながら、今日の出来事を振り返っていた。

 月野先生が事故の後どうなったのか、そういえば聞かれていないっけ? と気づいたのは、自宅近くの駅を降りてからだった。

 帰宅後、円山先生にメッセージアプリで連絡を入れる。「先生」の呼び方はやめてくれと言われたけれど、やっぱり今さら変えるのは慣れないから「先生」の敬称は取れなかった。アカウント名を「先生」とだけ登録すれば済むのも楽だったし、結局私は「先生」と呼んでいた。

「彼、月野先生の事故のことは知らない様子でした」
「あと先生が言っていた、ヤマトタケル事件との関係性もなさそうな印象です」
「市長が元校長だったことも知らない様子で」

 五月雨式に打ったため、私のスマホがしゅぽん、しゅぽん、しゅぽんとリズムよく音を鳴らす。
 情報源を気にしていた彼の様子については、打とうか、打たないでおこうか……と逡巡していると、電話が鳴った。

「あ、もしもし? ごめんね、さっきは」
「全然! 急だったし忙しかったのに、ありがとう。楽しかったよ」
 電話だというのに、身なりを気にしている私は、なんだか恥ずかしく思えた。

「今、家?」
「うん。もう帰ってきたよ」
「今からまた出てくるってのは難しいかな? 予定していた別件が結局なくなっちゃってさ。どうも手持ち無沙汰で……もし日奈田さんに時間があればでいいんだけど」
「え?」

 時計を見る。良い子はそろそろ寝る時間だろうが、大人のお酒飲みにとってはゴールデンタイムだ。明日の朝の時間を考えると、今日はこのままお風呂に入ってメイクを落として眠った方が良いだろう。その方がきっと肌にもいいはずだ。雨もいつまた降ってくるかわからないし……。
 けれど、「月野先生のことで思い出したことがあってさ」と付け加えられた彼のその一言で、気持ちが大きく揺らいだ。

「どこに行けばいい?」
 気がつくと私は尋ねていた。
 提案された場所は知らない場所だったが、地名を聞いたらよかった、そんなに遠くない。まだ化粧を落とす前だったし、何より私はもっと彼と話してみたいと思っていた。申し訳ないけど、先生のお願いをまっとうする任務よりも、週末の夜をいかに楽しむか? の方に魅力に感じていた。

 お店の場所を聞いた私は、急ぐ気持ちを抑えながら、鍵をかけて再びマンションのエントランスへと向かう。
 下に降りるエレベーターの中で、「急に予定が空いたなら例の彼女を呼べばいいのに……」と思ったが、呼んでいないということは、今日は私に分があったということだろうか。そう考えると口元が少し緩んだ。

 この時、私はなぜ彼女が居ないと決めつけていたのだろう。
 思い上がりだろうか。
 それとも、ただの負けず嫌いが発揮されてしまって、愉悦に浸りたかっただけなのだろうか。

 いずれにせよ、今となってはもう遅い。

<続>

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